第14話 人間が生きるこの世には善も正義もありゃしねぇ

 空間を切り裂く斬撃。


 千里の手によってテニスコートから投げ出された二人が着地した場所は高校のグラウンドだ。


「【呪剣】殿ぉぉぉぉぉぉぉ!?」


「何故ここに!? 羽衣殿はテニスコート内で説得するとのご予定では!?」


 保護した生徒や教職員達を誘導、バスに乗せて夜の狩人ハンターの息がかかった医療機関へと送り届けようとしている赤薔薇商会の職員数名が、今しがた吹っ飛んで来たギルドの上司を目にして驚愕をあらわにする。


「ほんっとうにすまねぇ! このままだとどうにもならねぇから無茶することにした!」


 ここまで飛ばされることを予測していた千里はスムーズに刀を構え直すことが出来たが、何ら予期していなかった百合芽はそう簡単にはいかない。


 ゆえに一般人の保護と避難誘導に注力する部下達に声をかけるだけの余裕が、千里の側にはあった。


「またですかぁ!?」


「またとは何だよ人聞きの悪ぃ! たまにしかしてねぇだろ!?」


「「「いつもです!!」」」


 声を揃え、その場にいた赤薔薇商会の職員達が千里の無茶をとがめた。


「だーっ! 分かった分かった! 今度メシ奢ってやるから!」


「蟹!」


「いいや焼肉がいいです!」


「寿司も捨てがたいかと!」


「上司の金で食える高いメシ程ウマいものはありませんからね!」


「やいやいやいやいうるせぇぇぇぇぇぇぇ! そっちで勝手に多数決とっとけや!」


 流石はかのカレン・スカーレットローズが統率する最強ギルドと言うべきか、末端に至るまでふてぶてしさと胆力が備わっていたのだ。






 千里ら赤薔薇商会の面々が愉快なやり取りを繰り広げている最中。


 ようやく百合芽には自分が置かれた状況を把握するだけの余裕が返って来ていた。



「……あ、」


 たまたまだったのかもしれない。


 しかし今、赤薔薇商会の職員達に護衛されているとはいえど、一番騒ぎに近い箇所に残されていたのは、百合芽と同じ二年B組のクラスメイトに他ならなかった。


 突然日常が塗り替えられる恐怖に怯え、黙りこくっていた彼ら彼女らは、せきを切ったかのごとく言葉を垂れ流し始める。


「化物」「怪物」「何あれ」「私達とは違うモノ」「人間じゃない」「殺されそうになった」「ひどい」「私達」「俺達は」「何もしていない」「何も悪くない」「普通に毎日を過ごしていただけなのに」「どうして」「あんなのが私達の学校に」「紛れ込んでいたんだ」「怖い」「恐ろしい」「おぞましい」「消えろ」「消えろ」「消えろ」「消えろ」「俺達は」「私達は」


 そうしてまとまりなく吐き出していた言葉は、ある一点へと収束するのだ。


「あんな奴さえいなければ、何事もなく平和な学校生活が送れたのに」


 訪れる、静寂。


 否、実際にクラスメイトらが黙ったわけではないだろう。


 静かになったと彼女が錯覚したのは、百合芽の感情が爆発して、最早何も聞きたくなくなった、ただそれだけのこと。


 長きに渡り無抵抗の相手を虐げていたことを棚に上げ、目の前の彼女を化物扱いする醜悪な顔ぶれを見回した。


? ?」


 そうして少女の形をしたカースは、とてもシンプルな悪態をついた。








 百合芽から漏れ出る瘴気の量がテニスコート内で千里と戦っていた時よりも増していく。暴走状態にありながらも未だ余力を残していたようだ。


 そのことに今更ながら気が付き、顔面蒼白になる赤薔薇商会の職員達とは裏腹に、千里の笑顔だけが突き抜けて晴れやかである。


「おまえのカースとしての在り方は、人の悪意を引き寄せ、増幅させ、喰らうだけ。ないものを作ることは出来ねぇわけだ」


 悪意のない人間など存在するはずがない。


 この世界に含まれるあらゆるモノを傷つけることを至上命題に掲げるカース程露骨ではないにせよ、人間とて人を傷付けて生きていくことを良しとする生き物なのだから。


 勿論、理性で悪癖を封じ込め、他者をなるべく傷付けないようにすることを心がける者もいる。この学校にいる人間が皆、百合芽を虐げていたわけではない。


 それでも、彼女は人やカースの保有する悪意を増幅し、増幅した悪意を誘う特性を生まれながら、さらには知らぬ間に宿してしまっていた。


「見舞われた天災や周囲を巻き込んだ病やらはおそらくカースを無意識におびき寄せたせいだが、人間が関わった不幸はつまりそういうこった」


 千里からしてみれば悪いのは百合芽ではなく、彼女の不幸体質そのもの、あるいは己を律することをやめて、やすやすと百合芽に牙を剥いた楽な方に流される人間――直近ではこの学校の人間達だ。


 けれども、虐げられることすら自分が悪いのだと百合芽は強く思い込むようにしており、暴走状態に陥った直接のきっかけさえ、千里やアリアといった他者のための怒りでしかなかった。


「向き合え、羽衣。被害者ヅラしやがった加害者共と」


 だが、今の百合芽は溜め込んで来た鬱憤を、自分のためだけの憤怒に置き換えている。


「人間が生きるこの世には善も正義もありゃしねぇ。あるのは情、それくらいのモンさ。ましてや俺らは人間の側に立っているつもりでいるだけの、カース。汚染され反転した怪物。本質的に人間と世界を傷付けるための存在なワケよ」


 これはいい傾向だと、流れを読み切り賭けに勝った千里がほくそ笑む。


「腹の底にある黒いのをぶちまけて、醜さの限りを尽くしても」


 百合芽を包む蔓が、千里の視界の先で爆発するかのように膨張。


「俺が、羽衣を見捨てることなんざありえねぇんだ」


 無数の蔓は次々と貫いていく。百合の花を介してではなく直接。彼女がおびき寄せた新鮮なカースを、自らの瘴気へと変換するために。


「醜態を晒したところで、俺よりかは上等に決まってらぁ。ははっ」

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