第10話 ……それにひきかえ私は、性格が悪い

 自覚のないカース


 人間だと思い込んでいた、そのくさびは強力であったようだ。


 女子生徒をつるで刺し貫く百合芽の肉体を基点として、これまでは夜の狩人ハンターのアリアでさえ微塵も感じ取れなかった瘴気がもうもうと立ち昇っていたのだから。


(この学校で感知された所在不明のカースの生体反応、及び辺りに漂う濃密な瘴気は全て――百合芽殿のもの)


 激しい思い込みの効果で封じられた百合芽の身体そのもの、あるいは彼女が無自覚の内に撒き散らし、周囲に付着させた瘴気が全ての原因だったのだと、事前にカレンから伝え聞いていた話をアリアは痛い程に実感させられることになる。


(ですが、百合芽殿が暴走する可能性はある種予定の内。まず私がなすべきは人命救助です)


 恋人と友人を侮辱した相手だ。アリアが女子生徒を好きになれるはずがない。


 しかしアリアは自らの誇りの元、人の命というものは可能な限り、手の届く範囲であれば救うべきだとの主義を掲げていた。


。この六文字が、どうして言えないのかな? 私みたいなグズですら言えたのに」


 未だいじめっ子であったはずの女子生徒を蔓で宙吊りにしたまま、憤怒を吐き出す百合芽の間合いの内へと、アリアは武装することなく飛び込む。


「……ふぇっ??」


 百合芽の怒りはアリアには向けられていない。


 それはつまり百合芽がアリアを警戒していないということと同義。


「失礼」


 蔓だけを魔力の炎で焼き払い、目を丸くさせる百合芽を置き去りにする形で、女子生徒を抱きかかえたまま大きく後退。


 多くの夜の狩人ハンターが扱う瘴気と比較すると、アリアが保有する魔力は戦闘に向いていない。だが、瘴気よりも洗練されていることで、汎用性には富んでいる。


 腹にぽっかりと空いた穴に魔力を浸透させ、女子生徒の傷を見事塞いでみせた。


「百合芽殿」


 時が止まったかのように動けずにいるテニスコートに集う人間達を、グルリと目線だけで見回した。


 その全員をアリア個人の好き嫌いに関係なく守り抜くと決意し、彼女は初めて出来た友人に真っ向から向き直った。震える身体に鞭を打って。


「落ち着いて私の話を聞いてください。あなたがカースであることは、姫君を含めて旦那様もご存知です」


 全身を蔓で包み込んだ百合芽。


 憤怒で彩られていたはずの表情が、アリアと対面することで、いつもの困ったような微笑みに戻る。


「アリアちゃん……? 何を言ってるの……? あのね、私……人間だよ?」


 何を言っているのかさっぱり分からないのだと、百合芽がフルフルと首を横に振った。


「……人間。そう、人間なの。人間……だったはず。人間、人間、人間、私は、人間」


 漏れ出る瘴気はより濃いものと化していき、生え伸びる蔓の量はますます増えていた。


「――違う。私はカース


 人ならざるモノに変貌しつつある己の様をまじまじと眺め、観念するかのように真実を認めた。


 憤怒と困惑を超えた無の面持ちで、百合芽はがっくりと肩を落とす。


「最初から、産まれた時から、人の身でカースに汚染されていた……御影君とおんなじ。なのに……どうして忘れてたんだろう……」


 嗚呼ああ、忘れていた方が楽だったからだ――呟き、あざけった。


「……楽な方に流されたがった癖に、結局自分のカースとしてのサガ、【人間、カース、あらゆる悪意と負の感情を引き寄せ、増幅させ、喰らう】。コレに抗えてなんかいなかったよ……!!」


 嘆く百合芽に呼応して、周囲に百合の絨毯が敷かれていく。


 美しい純白の群れが、その花弁より毒を撒き散らす。


 これは危険なものだと直感で判断したアリアは、分解していた部品を組み合わせることでロッドを形成、先端に炎の刃を灯し、自らの二つ名【炎槍えんそう】の由来となった武装を顕現。


 槍ではなく此度はステッキのように掲げ持ち、炎の壁が毒を打ち消す。周囲の人間に被害が及ぶことは何とか避けられた。


「人間だろうと、カースだろうと関係ありません。存在ではなく心の有り様こそが、私は最も重視すべき点だと考えておりますので」


 毅然とした態度で槍を構えながら、アリアは尚も健気に、暴走する友人へと語りかける。


「百合芽殿はこの三日間、聞いているだけで腹立たしい侮辱に一人耐えておられました。決して私や旦那様を巻き込むまいと、そう振る舞っているのが傍目から見ても理解出来ました」


 しかし百合芽がこうまでして怒りに駆られたことは今日こそが初めて。


 千里とアリアが彼女のに巻き込まれたことをキッカケとして、暴走に陥っているのであろうとアリアは見なした。


「百合芽殿は旦那様と同じく優しい方です。誰かを傷つける百合芽殿を、見たくはありません」


 真摯に訴えかけるアリアの姿を目の当たりにした百合芽の心。その内で満たされたのは――ドロドロとした罪悪感と、恋慕。


「本当に……アリアちゃんは性格が良い」


 全ての感情をべた無表情。だが、眉を八の字に下げて、百合芽が胸の前に両手を重ねた。


「……それにひきかえ私は、性格が悪い」


 蔓がアリアを対象に放たれた。


「――っ!?」


 驚愕に目を見開きながらも、夜の狩人ハンターである彼女に油断は皆無。


 危なげのない動きで炎の槍を操り、迫り来る蔓を燃やし尽くした。


「……どうせ私のことなんだからさ。きっと二人を……言い訳に使っただけ」


 どこか投げやりな口調で百合芽が言った。


「ずっとずっとずっとずっとずっと……私は私を取り巻く悪意と不幸に憤っていた。限界が来た時に丁度……御影君とアリアちゃんが……側にいてくれたの。二人を利用した私が優しい……? そんなことあるはずがないよね……」


「憤っていたのはもっともな話でしょう。ですが、三日間という限られた日時とはいえ、百合芽殿が自己防衛のために好んで姑息な手段に出る方だとは考えられません」


 見たままのことをアリアは伝えているだけだ。


 羽衣百合芽という人間は、自身に対する侮蔑には悲しみながらも、耐え忍ぶ強さがある。


 カースとして豹変したのは、アリアや千里が悪意に巻き込まれた直後。百合芽を信じるに値する材料は、ちゃんとアリアの手に握られていた。


「……お願い。お願いだから、私なんかを……信用しないでっ!!」


 されどアリアの信頼する羽衣百合芽を信じられないのは、何よりも百合芽自身に他ならない。


 強烈な思い込みは消失。後に残るのはカースに汚染された心と身体。最早理性はあるようでないようなもの。


 全身からほとばしる絶叫を叩きつけるかのように、蔓の打擲ちょうちゃくがテニスコートの均一にならされた地面に向けられた。


「くっ……」


 アリア本人への攻撃でこそなかったものの、友人の暴走に動揺する彼女が、衝撃で波打つ地面から適切に離脱することは難しかった。


 炎の槍だけは肌身放さず握っている。だが、アリアは地面の衝撃に揺さぶられ、受け身をとることもままならず、吹き飛ばされてしまったのだ。


「――いい加減落ち着きやがれ、どっちかじゃねぇ。両方ともだぞ」


 けれど、想定していたダメージを負うことなく、アリアの身体が地面に激突する寸前、突如現れた男に彼女は支えられていた。


「旦那様」


「助けに来たぜ、アリア。羽衣、おまえにも話がある」


 そして女子二人の絡まりに絡まった膠着状態を打破すべく、突如現れた男――御影千里はアリアを支えたまま、前方の百合芽にこう言い放つ。


「赤薔薇商会に来いよ。おっかないお嬢……じゃねぇ。優しくて可愛い上司のいるアットホームな職場だぜ」


「……御影君。アットホームな職場って自分から言ってるところは、大体ロクなことにならない場合……多くないかな……?」


「正論」


 かくして赤薔薇商会幹部、【呪剣】御影千里直々の悪質極まりない勧誘が始まらんとしていた。

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