第9話 反省文の準備は一応しとくか?

 百合芽がカースとして暴走する五分程前。友人のいない千里は一人、体育館の隅っこで黙々とシュート練習をしていた。


「あだっ、」


 けれども、彼の頭には横から飛んで来たバスケットボールがぶち当たる。


「おい御影。ボーっと突っ立てんなよ。早く拾えって」


「はい、すみません」


 クラスの中心人物である睫毛の長い男、岡崎サトスがいやらしい笑みを浮かべ、どこか馬鹿にするかのように千里を手招きしていた。


 内心苛立ちでいっぱいではあるが、郷に入れば郷に従え。今は普通の人間のフリをするしかない。


 千里が人間の群れの中に入ろうとすれば、疎まれるか恐れられるかの二択しか存在しないのだから。


「――っ」


「ははっ。急にコケるとか、ドン臭い奴」


 だからこそ、本来は人間離れしている身体能力を意図して抑え込み、投げ飛ばされたボールも集団の中から伸びた足も、全てを千里は冴えない男子高校生らしく受け止めた。


「どうぞ、ボールです」


 ヨロヨロと立ち上がり、ズレた眼鏡の位置を直しながら、ボールを差し出す。


 未だいやらしい笑みを浮かべてはいるものの、ひとまず男子生徒は千里に手渡されたバスケットボールを受け取った。


「サトス、あんま虐めてやんなって。見てて可哀想になってくるぜ」


「誤解される言い方はよせ。別に御影のこと虐めてねぇから。ちょっとからかってるだけだろこんなの」


 どちらも千里に対する悪意を存分に蓄えたまま、嘲笑混じりの談笑に花を咲かせる。


「あんな冴えない奴のどこがいいんだか」


「どう考えても奈花都なはとさんと顔面偏差値釣り合ってねぇわけだし」


「顔面崩壊野郎の御影は羽衣みたいなブスクイーンと絡んどけばいいのに」


「それな」


「第一、御影とヤれるくらいなら、奈花都さんの貞操観念って大したことなさそうじゃん? だったら俺でもヤれるかも――」


「――岡崎サトスさん、でしたっけ?」


 しかし男子生徒達の会話は、何故かその場から一向に立ち去ろうとしない千里の声に遮られる。


「そこから離れた方がいいですよ」


 黒髪黒目の眼鏡男。背は高いが特徴という特徴といえばそれだけのモブのごとき存在。


「はぁ? いきなり訳の分からないこと言うなって。馬鹿が過ぎて俺らみたいな普通の奴には意味不明ですけど?」


 一般人である彼らの千里に対する印象が、千里自身の手によって意図的に形作られていることなど露知らず、その侮蔑の赴くままに嘲笑をやめることはなかった。


「死にたくなければ、離れてください」


「御影の癖に偉そうなことを――」


 岡崎サトスという名の男子生徒が激昂する直前。


 突如横っ飛びに飛来して来た鋭利な刃物によって、彼の首が斬り断たれた。


「だから言ったじゃないですか。そこにいたら、カースの攻撃を受けて死んでしまうと」


 一瞬で人一人の命が失われた。だが、放心状態に陥った他の生徒や教師陣を置き去りに、千里は至極落ち着いた様子で返り血のついたジャージのポケットに眼鏡をしまい込んだ。


「ま、いいか。人の命の貴さとか知らん知らん。一人くらいは見捨てたって構いやしねぇだろ。けどお嬢の手前、反省文の準備は一応しとくか?」


 すると荒くれ者のごときギラギラとした眼と整った顔立ちがあらわとなる。首をコキリと鳴らし、切り替えは完了。


 虚空から取り出した刀で、本来は夜にこそ活性化するはずのカースが白昼堂々襲撃を開始した報いを受けろと言わんばかりに――一閃。


 岡崎サトスの命を刈り取った、刃を咥える狼が、一刀の下に斬り伏せられるのだ。


「何なんだよ……何なんだよぉぉぉぉぉ御影ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 サトスと一番親しげに接していた男子生徒が、八つ当たり気味に喚き散らす。


 放心状態から抜け出せたところで、やはりカース夜の狩人ハンターの現実を知らない一般人にとっては、現状こそ地獄に他ならない。


「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ鬱陶しい。喚くなよ一般人風情が。俺が岡崎サトスとやらを殺したわけじゃねぇからな。ただ単に見殺しにしただけだよ」


 だが、自分のみが対象であればまだ我慢出来るにしても、彼らはアリアと百合芽すら揃って侮辱した。


 如何な一般人といえど、積極的に保護したいとは思えなかったわけなのだ。


「おーい、てめーら。善意の忠告だからよーく聞きやがれ。まだ動けるってんならこの学校からとっとと逃げろ」


 これ以上の犠牲は流石にカレンに対して面目が立たない。そう判断した千里が、未だ茫然自失で動けぬ人間達へ向けておざなりに避難を促す。


「今ここは人間もカースも全てを貪欲に呑み込む、ただ一人の女のための狩場に変わりつつあるんだからよぉ」


 カースがこの高校に続々と引き寄せられている。まるで甘い蜜に吸い寄せられるかのように。


 しかし集まるだけ集まったカースは、少なくとも千里の目が届く範囲内では、先程の一撃以来人間を襲っていなかった。


 とはいえそれは、博愛精神に駆られたわけでも、自分達の使命を忘れたわけでもない。


 高校に吸い寄せられた多種多様なカースから、ひとりでに百合の花が咲き誇り、尚かつ生命エネルギーたる瘴気を無慈悲に吸い上げていた。


 今は同種の瘴気に反応しているが、いつ百合芽の隠されていた牙が高校の生徒達に向けられるか――猶予はほとんどないであろう。


 百合芽が彼ら彼女らを恨む理由など、山のように積み上がっている。


 ほぼほぼカースの側に反転している御影千里が人の群れの中に溶け込もうとすれば、冴えない男子高校生になるしかないのと同じく、自覚のないカースである羽衣百合芽は、不幸体質のいじめられっ子としかやっていけないのだから。


 冴えない男子高校生、あるいは不幸体質のいじめられっ子にすらなれないのなら、後は人ではない異物として排斥される――醜く弱い人間に、怒りを覚えない方が難しい。


「クソうっぜぇ学生の真似事は終いだ。くくく、せいせいすらぁ」


 歪んだ笑いを唇に載せて、刀を大上段に構えた。


「羽衣ぉ、赤薔薇商会【呪剣】による、とくと味わってもらうぜ? 生憎とアリアもお嬢もてめぇのこといたく気に入ってるらしいからな」


 ついでに俺も――その言葉は囁くように紡がれたが、刀が振り下ろされた轟音でかき消された。


 移動するのに邪魔であった周囲のカースを一掃。


 以前高校でやり合った雨のような現象型ではなく、生物型のカースを百合の花ごと斬り裂いた後、千里はテニスコートを目的地に定め、走り出した。

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