第8話 ねえ、謝ってよ

 百合芽を赤薔薇商会で保護してから三日が経過。本日の二年B組の五時間目は体育である。男子は体育館でバスケットボール、女子はテニスコートでテニスだ。


 ダブルスを組んでの総当たり戦だが、待ち時間は暇を持て余すタイプの授業である。アリアと百合芽は互いにペアとなって、次の試合を待ちながら、和やかな会話に興じていた。


 その会話のほとんどは、好奇心旺盛なアリアがあれこれと外のことを聞いて、百合芽がそれに答えていくといった形ではあるのだが、二人が楽しげに友情を深めている点については特に問題はない。


 ――だが、当人が良しとしていたところで、周囲が是としない場面など、この悪意に満ちた世界では吐いて捨てる程にありふれている。


「きゃあっ……」


 突然、派手な化粧をした女子の集団、その内の一人がラケットを抱えて談笑を続けていた百合芽の無防備な肩にぶつかって来るのだ。


「いったい! 今、絶対私の肩の骨折れたって!」


「羽衣、何ぶつかってんの? 可哀想なコハクが見えるでしょ? 早く謝れよ」


「あの……そのっ……」


 アリアの冷静な視点からすれば、被害者は一方的にぶつかられた上に難癖をつけられている百合芽の側だ。


「はぁ? 聞こえないんだけど?」


「……ごめんなさい。私が……全部、悪かったの」


――キャハハハハハハハハハっ!!


 されどアリアから見れば甚だしく奇妙な光景が成立してしまっていた。


 絶対に悪くない百合芽が泣きそうな面持ちで謝罪させられ、派手派手しい女子達が品性の無い笑い声をあげていた。


奈花都なはとさーん。羽衣なんかと一緒にいないでさぁ、ウチらともっとお喋りしよう」


「そんなブスと喋っててもつまんないじゃん」


「ほら、こっちにおいでってば」


「奈花都さんには、ウチらみたいな一軍女子じゃないと釣り合わないと思うな」


 百合芽に対して存分に悪意を向けた後、彼女達の興味の対象はいつものように怯えたままのいじめられっ子から転校生に移り変わる。


「――お断りします」


「は?」


 何一つたりとも女子生徒の思考が理解出来ないアリア。


 しかし返すべき言葉は拒絶でしかないことだけは、明確に理解していた。


「私は百合芽殿と行動を共にしたいと願いました。この意思を左右させる権限を有しているのは世界で一人だけ。旦那様のみ。何故、わざわざ時間を割いてまで友人をけなす人間と慣れ合わなければならないというのでしょうか」


 真っ直ぐな目で、アリアは女子生徒達を見返す。


「旦那様って御影のことぉ?」


「理想の王子様だっけ? 何それ乙女? 超ウケるんですけど」


「奈花都さんってアレだね、男見る目なくない?」


「御影って馬鹿でドン臭いキモ男だし」


「――っ、」


 されど純粋な心の赴くままに対話を試みようとしているアリアを踏みにじるかのような発言しか、女子生徒達からは発せられない。


 転校して来た直後と同じく、千里を侮辱する人間に鉄拳制裁を与えようかと一歩前へ踏み込んだ――アリア。


(これは、瘴気。まさか……)


 ただならぬ濃度の瘴気が背後から噴出したことで、彼女の拳の暴力は不発に終わった。


「こっちは親切で仲良くしてやろうって言ってんのに、いつまでも突っぱねるとか、マジありえないよねー。人の優しさとか分かってない感じ?」


「そうそう。やっぱブスと付き合う奴は見た目も心もブスってことでけってーい!」


「良かったじゃん、羽衣。ブス仲間が出来たみたいでさ」


――キャハハハハハハハハハっ!!


 耳障りな笑い声を一旦思考の外に追いやり、恐る恐るアリアは背後を振り返った。


「何よ、その目」


 アリアは見た。


 そして女子生徒達も見たに違いない。


「羽衣の癖に生意気。あんた、生徒からも先生からも、みんなに嫌われてるって知らないの? 調子に乗るんじゃねーぞ」


「うん……。知ってる、よ……?」


 憤怒の炎を通り越した絶対零度が、百合芽の双眸に宿っていることを。


「なら自分の立場をよーく弁えるよーに」


――キャハハハハハハハハハっ!!


 アリアは百合芽が自覚のないカースだと知っている。既にカレンから話を聞かされていた。


 だからこそ、女子生徒達はこの先起こる可能性が高いであろう悲劇が分からず、アリアにだけは薄っすらとではあれど予想出来てしまえたのだ。


「産まれた時から誰からも疎まれて、産まれた時から誰からも嫌われる……それが私の、羽衣百合芽にとっての普通だもん……」


 何かをしたわけではない。だが、百合芽は当たり前のように人から虐げられる。偶然の事故から故意の事件。天災から人災に至るまでありとあらゆる不幸を網羅していた。


 羽衣百合芽は度を越した不幸体質。


 災いを招く己を、好きになる方が無理のある話だ。


「……だけど、御影君はこんな塵芥ちりあくたよりも無価値で害悪な私を助けてくれたよ? アリアちゃんは……まだ少しの付き合いしかないけれど、友達にさえ……なってくれたんだ。知り合ったばかりでも分かるんだよ。二人は真っ直ぐな人……」


――キャハハハハハハハハハっ!!


 身体が言うことを聞かず、動けない。アリアは気圧されていた。


 愛しの旦那様――肉体と精神をカースに汚染されたことでほぼほぼあちら側に反転している男と同種の気迫を放つ少女に対して。


 しかし女子生徒の緊張感は皆無。皆一様に品性を捨てて笑う。


 彼女達は素人に他ならず、カースの脅威を把握することがどうしても難しかった。



 ゆえに、百合芽の肉体から伸びたつるが、先程仲間からコハクと呼ばれていた少女の腹を貫いたところで、ようやく女子生徒達は現状が生命の危機であることを実感した。


「私を嗤うのは……慣れてるからいい。でも……ね。恩人二人の優しさを嗤うだなんて、そんな冒涜……許せない」


 ゴポリ、と。コハクの口から血の塊が飛び出した。身体はくの字に折れ、目はひんむかれている。腹には未だ蔓が突き刺さったまま。


「謝って」


 謝罪を今度は百合芽が要求する。


「ねえ、謝ってよ」


 だが、コハクは応えない。というより一瞬にして死にかけに追いやられたことで、謝罪する余裕すら失われているのだ。


「アリアちゃんと御影君に」


 焦れたかのごとく、百合芽がコハクへにじり寄った。



 百合芽こそがコハクを一言も喋れない木偶に貶めた張本人にも関わらず、彼女は蔓で縛められる怨敵を忌々しげに睨み上げた。

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