第5話 ラブホみたいだね……?

 覚醒した百合芽の視界に飛び込んで来たのは、自分を傍らから覗き込む白髪男の姿。


「おう、羽衣。良かったぜ、目が覚めたんだな――」


「――……っ!!」


 眠りから目が覚めた時、百合芽の側に人間がいたことで何も起こらなかったことはなかった。


 身を寄せている親戚の人間に締め殺されかけた。金目のものなんてほとんどないにも関わらず、強盗がわざわざ百合芽を斬りつけようとした。他にもたくさんロクでもない思い出は転がっている。


 半ば無意識の内、焦点の合わない瞳の百合芽が千里の首を締めあげようと――殺られる前に殺ろうと手を伸ばす。


「落ち着け! 俺はおまえの敵じゃねぇ! たぶん!」


 百合芽の恐怖、それによって反射的に向けられた敵意全てを言われずとも即座に理解し、けれども千里は敵対者としての行動をとることはない。


 あくまでクラスメイトとして接する――その覚悟の元、伸ばされた手を痛めつけ過ぎることなく、されどしっかりと掴む。


 その上で目と目をしっかりと合わせて、御影千里が彼女に害を与えないことを必死に訴えかけるのだ。


「……あ」


 ようやく虚ろだった百合芽の双眸が、確固たる現実を見据え始める。


「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」


 彼女の全身から力が抜けた。


「気が動転してたんだろ。よくよく考えりゃあ、若い女が知らん場所で目が覚めて、しかも横に良く分からん男がいたらフッツーにびびるわな」


 蒼白な顔色のままうなだれる百合芽の掴んでいた腕を離し、千里は声をかけた。


「……そうじゃないよ。御影君はたくさん私のこと、助けてくれたのに。恩知らずにも程がある……」


「悪くもねぇのに謝んなよクソが」


 相変わらず素の千里は無愛想、尚かつ喋り方はぶっきらぼうにも程がある。


「ほれ、麦茶だ。飲むか?」


「ありが、とう……?」


 しかしその中には百合芽への気遣いが含まれている。産まれてこの方ほとんど向けられたことのない人からの優しさに、彼女はどう対処すべきか戸惑った。






 紙コップにいれられた麦茶で喉を湿らせ、一心地ついた百合芽が自分の置かれた環境を把握する。


「……御影君、この部屋」


「分かった、羽衣。言うな」


「ラブホみたいだね……?」


「だから言うなって馬鹿!!」


「ただいま帰還致しました、旦那様。ところでラブホとやらはいったい何でしょうか?」


「ほーら! こうやってアリアが俗世の汚れた言葉をまた一つ覚えちまっただろーがよぉ!! そもそも! ここはギルドの一般職員が泊まるための部屋だから! そういういかがわしいトコじゃねぇから!」


 八つ当たり気味に声を荒げる千里だが、ガラス張りの風呂場や天蓋付きのベッドなど、実際に入ったことこそないものの、伝え聞く場所に近い造りの部屋であることに違いはないのだ。


「ラブホとは何でしょうか?」


「アリアが知らなくていい言葉だぞ」


 ノックと共に部屋に入って来たアリア。彼女は未だ制服姿の千里とは異なり、クリーム色のブラウスと黒のフレアスカートといったお嬢様風の装いに身を包んでいた。


「旦那様のご意思に背くことは許されやしません。湧き上がる好奇心を抑えるべく、私は努力を続けましょう」


 とはいえ千里は千里で、眼鏡を外しているのみならず、黒髪だったはずが白髪になっていたりもするのだが、本人の様子からするとこちらの容姿の方が普通なのだと、部外者でしかない百合芽にも察せられる。


「目が覚めたのですね」


 足音を響かせない優雅な足取りで、アリアがベッドで上体を起こす百合芽の元まで距離を詰めた。


「顔色があまり良くないようですが、大丈夫ですか?」


「……ありがとう、奈花都なはとさん。私の体調は特に問題ないよ……ただ」


 無表情で分かりにくいけれど、アリアもアリアで彼女なりに心配をしてくれている。そのことが良く分かったからこそ、やはり百合芽の心は新鮮な感覚で満たされていく。


「気になることがたくさんあって……」


 だが、鮮明に蘇る記憶は、不安を煽る非日常極まりない類のもの。


 破壊を撒き散らす雨、炎の槍、意味不明な言葉の羅列、そして――刀。


 何一つとして百合芽の常識にはない存在が堂々と闊歩かっぽするあの記憶が、頭を巡り続け離れない。


「おまえの台詞はそのままこっちの台詞でもあるわけだが」


 困り切った表情で腕を組む千里が、視線を宙にさまよわせる。


「さぁてと、何から説明すりゃあいいのやら――」


「――ならば、私がそこな迷えるお姉様を導いて差し上げましょう」


 千里のように最初から部屋の中にいたわけではない。さらにはアリアのように途中から入って来た気配すら皆無。


「お嬢!?」


「――姫君」


 けれども千里がお嬢、アリアが姫君と呼んだ存在が、いつの間にか部屋の中のソファに腰掛け、悠々とくつろいですらいたのだ。


「おいおい待ちやがれよ、お嬢」


「どうされたのかしら。千里お兄様」


 美しい娘だ。


 立ち振る舞いは可憐で、何より華がある。


 ふわふわとしたピンクブロンドの髪をツーサイドアップに結わえ、黒のゴスロリ衣装を纏い、小さなシルクハットを頭にちょこんと載せた幼女は、耳の垂れた兎のぬいぐるみを抱き締めながら千里との会話を始めた。


「姐さんを連れず禁域から一人で出て来たってことか?」


「ここは赤薔薇商会一般職員のお兄様、お姉様方が働いておられるビルの中。ギルドの長たる私がロザンナお姉様を伴わず出歩いたとしても、身内の夜の狩人ハンターしかいらっしゃらないから、困ったことはまず起こらないはずだわ」


「……ま、そこについては納得出来らぁ。だがな、羽衣が一般人だとしてもはたまた部外者の夜の狩人ハンターだとしたところで、【人類を妄愛する至高の幼女】にして【世界最終】の一角であるお嬢が顔を見せたら、どんな悪影響を受けるか分かったもんじゃねぇだろ」


「つい先程アリアお姉様から学校での報告を受けて思ったのだけれど、おそらく千里お兄様の心配は杞憂よ」


 見た目は可憐な幼女。しかし千里とアリアからしてみれば彼女は直属の上司であり、尚かつ夜の狩人ハンターの中でも重鎮にあたる存在。 


 そして【世界最終】と呼ばれる者達は、カースと関わり過ぎたことで、カースよりも恐ろしい化物に皆揃って堕ちている。


 ほぼほぼカースの側に反転しているとはいえど、【世界最終】の一歩手前で踏みとどまっている千里が幼女に向ける恐怖心は他者よりも薄い。だが、夜の狩人ハンターであるアリアは人より慣れてこそいるものの、無表情の内側に怯えの感情を覗かせていた。


 ――が。


「か、」


「か?」


 突然、百合芽がワナワナと震え出したことに、思わず千里は首を傾げてしまう。


「可愛いっ!!」


「うぉっ?」


 彼の発した素っ頓狂な声に構うことなく、ベッドから起き上がった百合芽は幼女に飛びついた。


「何この娘! 滅茶苦茶可愛い! お人形さんみたい!」


「お姉様、お目が高いわね。その通り。私はか弱く儚げでとても愛らしい幼気いたいけな幼女なの」


 そのまま小動物を愛でるかのように頬ずりをする百合芽だが、驚くことに【人類を妄愛する至高の幼女】は嫌な顔をするどころか、むしろ嬉しそうにされるがままだ。


「んなわけあるかぁ!! お嬢! あんた程おっかない女を俺は他に見たこたぁねぇぞ!!」


「あぁ、あぁ、千里お兄様。そんな悲しいことを言わないで頂戴。辛くて苦しくて、泣いてしまうわ。しくしくえーんえん」


「嘘泣きだろ?」


「うふふ、ご明察」


 そう言って、百合芽の腕の中でチロリと舌を出す幼女――カースを滅するギルドの中で最強と名高い赤薔薇商会の長にして【世界最終】の一角、【人類を妄愛する至高の幼女】カレン・スカーレットローズは蠱惑的に微笑んだ。

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