岡島大学長


 学務部長への挨拶が済んだら、他の部課長への挨拶が待っている。

 

 中井部長への挨拶開始が17時だったから、これはさすがに1日で終えることはできない。

 

 というのも、国立大学という組織は、案外多くの部署で成り立っているからだ。

 

 基本は、どこの会社にもある総務、財務系の部署と、大学独自と言える学務系、研究系の部署から成っている。

 医学部があればその担当部署も別にある。


 つまり、どんなに小規模な大学であっても、総合大学なら、5部以上で構成されている。

 別に強制をされているわけではないが、それらの部長には、最低でも挨拶をしておきたかった。

 

 というわけで、小湊こみなとは、学務課長補佐の吉田に、大学職員としての薫陶くんとうを受けつつ、順々じゅんじゅんと挨拶をこなしていった。


 この吉田課長補佐は、白髪まじりの52歳で、眼鏡の奥の眼光は中井部長並みに鋭い。といって、若いキャリア課長に悪感情を抱いているという風でもなく、学務課の所掌事務しょしょうじむを丁寧に教えてくれた。酒好きの、どこにでもいる中年といった感じの人で、その素朴な人柄が、複雑な立場の小湊にはありがたかった。

 

「じゃあ、行ってきます」

「はい。お気をつけて」

 隣のデスクの吉田補佐に挨拶を告げ、今日も挨拶回りを続ける。

 

 総務部長、財務部長は、ともに文科省への転籍組で、50代半ばの気さくなおじさんだった。国立大学の部長級は、文科省本体であれば○○室長やら〇〇官といった役職に付く。現時点で文科省の課長補佐級でしかない小湊にとっては、この岡島大学においても、本籍で考えても、文字通りの上司だ。

 

 しかし、岡島大学のプロパーの部長でないだけに、彼らには無駄な警戒は抱かれていないようで、特に滞りなく挨拶を終えることができた。


 その上の、事務局長への挨拶は、スケジュールの関係で、各部長への挨拶が終わってからになった。事務局長は、文科省のノンキャリアで、50代後半のきりっとした顔立ちの女性だ。本省で言えば「課長」クラスで、キャリア官僚であってもなれるのは40代後半からだから、文字通りの大先輩だ。さすがに緊張したが、立場のある人間らしく、「苦労することも多いでしょうが、頑張ってください」という優しい声をかけていただいた。

 

 さて、これで一応自分の上官達と、同じ職位の人間には挨拶を終えたことになるが、挨拶回りはまだ終わらない。

  

 国立大学は教育・研究機関だから、当然、事務局職員だけでは成り立たない。教育を担う教員も、挨拶の対象だ。

 

 まずは、各「学部」の長。文学部長、理学部長、医学部長といった面々だ。


 そして、国立大学「法人」である以上、理事もいる。教授の職位にある教員が、専門分野の垣根かきねを越えて、総務担当理事、教育担当理事、研究担当理事といった役職に就く。最も、あくまで彼らは研究者だから、必ずしも、事務作業に精通しているわけではないが。


 理事がやっかいなのは、事務局の役職者と違って、大抵が、その大学プロパーの教員であることだ。密命を帯びたキャリア官僚の小湊としては、同じ外様とざまの立場も多い部課長と違って、警戒心を抱かざるを得ない。


 しかし、理事ともなると、さすがに多忙らしい。やっとアポを取り付けても、着任挨拶では、精々5分が限度。実に当たり障りのない言葉で終わった。


 本当に問題なのは、この大学のトップー岡島大学長だった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

  

 国立大学法人は、『国立大学法人法』に基づき設置され、大学を運営している。

そして、大学のトップである学長は、法律上、絶大な権限を与えられている。

 

 これが私立大学であれば、経営のトップと教育のトップは、理事長と学長として、別に分かれていることも多い。


 一方、国立大学の学長は、経営と教育を総括そうかつする。

 

 もちろん、学長が独断で何でも決められるわけではなく、重要事項を審議する際には、理事、学長、監事かんじを構成員とする役員会やくいんかいはかる必要がある。さらに、教育・研究に関しては教育研究評議会きょういくけんきゅうひょうぎかい、経営に関しては経営協議会けいえいきょうぎかいと、それぞれ専門の会議があり、それには学外者も委員に入っている。


 そもそも、学長は、学長選考・監察会議がくちょうせんこう・かんさつかいぎの議を経て、文部科学大臣が任命するものだ。まさか、独裁者になれるわけもない。


 ……あくまで法律上は。


 法律の間隙かんげきをぬうのが上手い人間はどこにでもいる。そして、この岡島大学長は、まさにその独裁体制を、文科省が問題視している人物だった。


 いくら各国立大学が国からは独立した組織といえでも、注力する研究分野の割り振り、教員人事等々、文科省が誘導したい方向というものはある。

 その文科省の『意向いこう』という名の『命令めいれい』にことごとそむくことが出来るのは、地方大学ではこの岡島大学長くらいのものだ。

 

 それは、何とも皮肉なことに、岡島大学長の専門分野が、政府が主導しているデータサイエンスに関するもので、莫大な資金を外部から得ているが原因だった。


 

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