学務部長


 学務部長室は、シックな調度ちょうどで整えられていた。


 来客を迎え入れるソファは、いかにも深々とした、部長という役職に相応しい代物しろものだ。

 壁に埋まった書棚も、インテリアとして重厚な雰囲気を添えていた。

 デスクはその部屋の3分の1を占領しており、『学務部長』という卓上たくじょうネームが、堂々たる印象を与えている。


 面積はそれほどでもないのだが、軽いノックの後にドアを開けた小湊は、その空気にすっかり威圧されてしまった。

 

 ちなみに、大規模大学ならともかく、予算に限りがある小規模大学では、このような個室は部長級以上に与えられる。

 民間では、固定の席を置かないフリーアドレスが流行りだそうだが、このような空間を目にすると、その人の立場をまざまざと表していて、個室も案外悪くないものだと思えてくる。 

 

「おお、どうぞ、座ってくださいや」


 緊張でガチガチになっていた小湊に対して、その部屋の主ー中井学務部長は、声をかけてきた。


 役職だけでも圧迫感があるのに、ブラインドから差し込む日の光を背にした中井部長は、一層その迫力を増していた。


 「失礼します」

 小湊は、恐る恐る席に腰かける。

 向かいあった中井部長の背は案外と低く、座高ざこうを加味しても、小湊より10cmは身長が低そうだった。

 

 それでもこちらは「部長」と思い込んで接しているので、緊張がほぐれることはない。


 中井部長は目じりを若干さげ

 「挨拶がおそうなって、すまんかったですな。感染症対策とやらで、辞令が長引いてしもうて」

  

 2022年現在の4月、人々の新しい感染症に対する危機感は、未だ収めるわけにはいかない状況にあった。


 当然、対面での会話はマスク越しになる。

 そのくぐもった声が、より一層、小湊の緊張を高めた。


 「ええと、さんは、キャリアの人で、大臣官房に」

 「は、はい。会計関係の、大学とは、まったく関係のない仕事をしていました。現場の管理職として、右も左も、分からない若僧わかぞうで。ぜひ、ご指導、ご鞭撻べんたついただければ」

 「そなに緊張せんでも、お役人として、堂々としておいてください。しょせん、特に儂なんかは、地方の組織の人間ですから」

 「いえ、そんなわけには……」


 そう。自分で言うとおり、中井学務部長は、国立大学プロパーの部長だった。


 国立大学の部長は、国立大学の課長と同じく、4系統に分かれる。それぞれ、文科省キャリアの部長、文科省ノンキャリアの部長、文科省転籍組の部長、そして、大学プロパーの部長。

 課長級よりさらに年齢をかさんだ人間が就くから、文科省から降りてくるキャリアの部長であっても、40代だ。


 プロパーの部長ともなると、もう定年間近。国立大学の職員として、出世レースを勝ち残った人間だ。


 それだけに、大学のことは知り尽くしている。

 特に、この中井部長の経歴は特異だ。

 

 普通、プロパーの部長であっても、それはとしてプロパーという者が多数で、普通は他大学への人事異動を経験する。

 

 しかし、事前に与えられた情報では、この中井部長は、岡島大学以外の異動をいっさい経験したことがないはずだった。まさに、岡島大学純粋培養の部長だ。


 小湊が帯びている使命を考えれば、下手なキャリア部長よりも、よほど怖い存在だった。


 そして、当然、相手もそのことを熟知している。

 「学務いうのは、まあ、所掌事項が広いですから。最初は苦労すると思います。けど、お役人なら、まあ、すぐに覚えられるでしょう」


 中井部長は、「まあ」を交えた気さくな口調ながら、その視線は小湊の全身をっていた。

 あからさまに思えるくらいの警戒だったが、それも無理はない。


 なにしろ、岡島大学の規模の地方大学に、キャリアの官僚が出向してくるのは、そうそうあることではない。

 普通は、課長や部長はプロパーで、文科省からの出向であっても、ノンキャリアか、文科省転籍組の人間だ。


 そこに、わざわざ文科省が強権を発動させて、若いキャリアの課長を送り込んできたのだ。警戒をされないわけがない。

 逆に言えば、キャリア官僚に対して警戒をせざるを得ない状況が、すでに、この大学でが起こっているあかしと言えた。


 どちらにせよ、胃が痛くなる話である。


 そんな、若い課長とベテラン部長の会談は、10分程度で終わった。


 「まあ、ここを第2の故郷こきょうやと思うて、のびのびと働いてくださいや」


 そう述べる中井部長の目は、最後まで、和らぐことはなかった。

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