存在しない留学生の謎2


遠藤梓えんどうあずさは静かな怒りを込めた口調で、話を続けた。


「私は、元々人見知りな性格です。偶々たまたま偏差値が自分のレベルに合っていたから、この大学に入学しました。地元からは少し離れていて、コロナの移動制限のせいで、実家に帰るのも難しくて、ひたすら孤独でした」


 おそらく日本の、いや、世界中の大学生が味わった孤独の辛さについて、彼女は語った。

 こちらの心が痛むぐらいに感情をのせて。


 「オンライン会議を使った授業もありましたけど、画面越しで、短い時間だけでは、人見知りの私には、友達も作ることが出来ません。せめて、もっとじっくり話す機会が必要でした。でも、大学には、それにちょうどいいツールがなかった」


 小湊こみなとは既にいたたまれない気持ちになっていたが、せめてもの気遣いとして、恐る恐る、追加のお茶を差し出す。

 

 遠藤梓は、一応、こくりと礼をすると

 「だから、SNSで、じっくり自分と合いそうな人を見つけることにしました。なんだかんだいっても、ネットは広いですから。人生を楽しんでいる様をアピールしているような人じゃなく、孤独を分かち合える人を、探すことにしたんです」

 「具体的には、どうやって探したんですか? 」


 小湊の問に、遠藤は考えるように目線を頭上にやって

 「基本は、大学の名前で検索して……それでひっかかった人の『つぶやき』をひたすら確認して……あきらかにみたいな人は、初めから除外して。……後、出会い厨であいちゅうみたいな人も。NGをどんどん積み重ねて。それの繰り返しです」

 そう言って遠藤梓は、残りのお茶をごくりと飲み干す。

 喉が渇いているというよりは、気持ちを分散させるための動作のようだった。


 小湊は、彼女を刺激しないように、再びお茶をさっと差し出しながら

 「それで、その『アリス』という留学生を見つけた、と」

 「そうです。といっても、最初は留学生だとは分からなかったんですけど。アイコンは大学の近所の風景だし、呟きも日本語でしたから。ただ、呟いている内容が、なんというか……私の感性と合ったんです。それで、思い切って、彼女のアカウントに、ダイレクトメッセージを送りました」


 ほどなく帰ってきた返事は、同じく孤独を味わう同志からの呼びかけを、歓迎するものだった。遠藤梓が自分の苦悩をつづれば、も、自分がいかに不幸せな人間かを、鏡のように返してくれた。

 人間にとって一番大切な機能ともいえる、思いやりと共感。

 

 遠藤梓にとって、大学入学以来、初めて誰かとまともに心が通い合った経験だった。


 「それで、やり取りを続けるうちに、まもなく、『アリス』が留学生であることを知りました。アメリカからの留学生で、前から日本に興味があって、岡島大学に入学したそうです。といっても、よくある交換留学生じゃなくって。……留学生でも、学校教育を何年受けたとか、認められた学業資格を取っていれば、入学できるんでしょ? 」

 学務課長として、さすがにその手のことは把握している。

 「そうですね。外国の人でも、日本人と同じように、選抜を受けることは可能です」

 「ですよね? アリスも、苦労したけど、試験に無事合格して、正規の学生として、入学したって言ってました」 

 「同じ人文学部に? 」

 「はい。といっても、彼女は日本文学科だから、学科は違いますけど。だからこそ、よかったというか。こっちが日本語や日本文学について教える代わりに、アリスには英語を教えてもらえましたから」


 2週間もすると、二人のやり取りの手段には、SNSだけではなく、電話やオンライン会議も加わった。

 画面越しにみたアリスの美貌に、遠藤梓は、思わず見入ってしまったという。

「やっぱり、人種が違うというのか……日本人からすると、欧米の人に憧れる気持ちはありますから。でも、それを差し引いても、彼女はきれいでした。私は、こんなきれいな友達ができたことが、とても嬉しかった」


 まだまだ感染症は猛威をふるっており、直接対面で会おうという約束までには至らなかった。しかし、代わりに四六時中、彼女とは電話やメッセージを交わし、お互いの存在を意識しあっていたという。


 1人暮らしで苦労していること、大学への不満、勉強で分からない部分、etcエトセトラ


 若い女子学生二人の話は途切れることなく、夕方から始めて、深夜過ぎまで、いわゆる「オンライン飲み会」が続くこともあった。


 「まあ、20歳未満なので、二人ともジュースですけどね」


 不便ではありながらも友情に恵まれた2か月だった。

 そして、ちょうどそのタイミングで、岡島大学は、対面授業を再開すると発表した。

 感染症による医療のひっ迫度と経済活動との兼ね合いを踏まえ、正常化に舵を切り始めた、日本政府の対応を受けたものだった。 


 「当然、私は喜びました。この、外出もままならない生活から解放されるということもそうだけど、一番の理由は、やっぱり『アリス』に会えることです。オンラインでしか通じていなかった友人に、やっと生で会えること。それが、何より嬉しかったんです」


 コロナ禍の2年の間で、オンライン上のみの人間関係は、格段に増えたという。

 それだけに、正常化の流れを受けて、実際に会うことができる喜びは、格別のものだったろう。


 遠藤梓とアリスも、互いに声を弾ませながら、対面で合う約束を取り付けた。

 いよいよ実際に会える。

 「何をしよう。どんなことを話そう。どんな遊びをしよう。小学校の頃の遠足前みたいに、眠れない夜を過ごしました。わくわくがとまりませんでした」


 そして、対面授業解禁当日。


 「私は、待ち合わせの場所に行きました。でも、彼女は現れなかった。1時間経っても、2時間経っても、彼女は大学の、約束の場所には来てくれなかった。私は、不思議に思って、『アリス』のSNSのアカウントに、メッセージを送信しました。何か事故にでもあったんじゃないかと、心配したんです。でも、こっちもいつまで経っても、既読にならなかった」


 親友は、現れなかった。


 途方に暮れた遠藤梓は、『アリス』が履修していたという講義担当の教員のもとを、ダメ元で訪ねた。

 だが、その教員は、事情を聞いて同情はしてくれたが、「学生が好きな時に授業動画を見る、オンデマンド型の授業だから、そもそも自分は実際に学生の顔を見てはいない。だから確実ではない。しかし、履修者名簿を見ても、」と答えた。


 「そんなはずはない!! そう思って、今度は、学務課に行ったんです。学務課なら、学生全員の名前のデータも、持っているはずだから」


 授業の履修者名簿に名前がなかったのは、単に『アリス』が、私に講義名を間違えて伝えただけかもしれない。

 そう思っての行動だった。

 大学全体の名簿そのものには、さすがに情報が載っているはずだ。

 

 「その答えが、さっきの、あの窓口の人の言葉だったんです」

  

 『そんな留学生は、』。


 「私の混乱が分かりますか? 親友が……感染症のせいで、実際に会うことができなかった友達に、やっと会えると思っていたのに……そんな子は、いないって、そういわれたんですよ!? 」

  

 そういって、遠藤梓は再び涙に溢れた目を、こちらに静かに向けたのだった。 

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