初めての対応


 小湊こみなとは、まがりなりにも、学務課長だ。

 そして、世間ではどうだか知らないが、課長というものは、その課の仕事は、全て理解しておく必要があると思っている。

 下の人間が何をやっているのかも知らないのに、判断の下しようがないからだ。


 そんな気負いからか、思わず小湊は、相談室に足を踏み入れていた。

 落ち着いた木を基調にした相談室では、小湊の部下である係員と、興奮した様子の女子学生が対峙していた。

 

 こちらがひりひりするような、緊張感が漂っている。

 

 小湊は、課長としての責務をあらためて自覚しながら、その係員に声をかけた。


 「どういうことですか? 学生が存在しないというのは? 」

 「か、課長」

 

 対応にあたっていた係員は、課長自らのおでましに、びっくりした様子だった。

 「いや、実は……」

 「この人に調べてもらったら、あたしの親友が、ないっていうんです。そんな人は、存在しないって。そんなはずないのに!! 」

 はっきりしない態度の係員と対照的に、その女子学生は、新たに不満をぶつける相手が出来たからか、すごい剣幕で訴えかけてきた。


 興奮は収まらず、むしろますますヒートアップしているように見える。

 その小さな体を大きく震わせ、涙は頬をつたっていた。


 小湊が、ちらと係員の方に目をやると、彼は慌てたように

 「いや、この子に名前を調べてほしいと言われたので、調べたんですが……そんな学生のデータはなくて……」


 どうやら、係員と学生の間で、重大な行き違いがあったらしい。

 ここで、課長としては、どうふるまうべきか?

 新任課長にすぎない自分に、できることなど多くはない。

 本来なら、ベテランの、事情に通じた人間に任せるべきだろう。


 ……だが、この時の小湊の脳裏には、岡島大学赴任前、女上司の企画官に告げられた言葉が思い浮かんでいた。


 『期待、しているのです。あなたには、岡島大学の動きを、中から探ってきてほしいのですよ』


 そして、赴任当時の挨拶で、言外げんがいに匂わされた、『余計なことは何もするな』という、学務部長、岡島大学長による圧。

  

 この大学には、がある。

 その何かは、案外、こういったところから、拾うことが出来るのかもしれない。


 ……よし。

 

 小湊は、ここで、通常の管理職であれば、当然取るべきでない行動に、あえて、打ってでることにした。

 

 「……少し、話を聞かせてもらっていいかな? 」

 小湊は、相談室の真向かいにある、学務室の会議室を指さしながら、その学生に語りかけた。

 

 女子学生からすれば、いきなり現れたこの若い男は、今まで相談していた係員以上に、謎の存在であっただろう。

 おとなしく申し入れを受けてくれるかは、半分賭けだった。


 しかし、彼女は混乱のためか、あるいは、うっぷんを晴らせる相手であればだれでもよかったのか

 「……」

 無言で、こくりと頷いていた。


 そこで、小湊は、啞然あぜんとした様子の係員に『大丈夫』と目で合図してから、相談室を出て、その会議室のドアを開けた。

 

 小湊が帯びている密命みつめいはともかくとして、困っている学生がいて、おまけにそれを目の前で目撃した立場では、いずれにせよ、放っておくことははばかられた。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 学生相談は、ただ話を聞いていればいいと言うものではない。


 聞き手として一番大事なことは、ずばり、傾聴けいちょうだ。

 しっかりと相手の目を見て、適度に頷き、要点はキーワードとして返す。

 

 相談者にとって、この人になら話しても大丈夫、この人は自分の話をしっかり聞いてくれていると思わせることが、大事なのだ。

 

 その上で、その学生にはどのような対応が必要か、瞬時に判断しなければならない。


 必要な対処は千差万別だ。

 

 例えば、メンタルに不調をきたす学生は一定数いるが、それが家庭の事情に起因しているのであれば、まずは保護者との対話が必要になってくる。

 あるいは、成績不振など、学業上の問題が関係しているのであれば、指導教員との面談をする必要がある。

 学内の人間関係に起因するものであれば、他の学生に話を聞く必要があるだろう。 

 

 対等な相手として、真摯に話を聞き、学内外の、連携するべき適切な相手を考える。学務課が単体で出来ることは限られているから、全体を俯瞰ふかんできる、視野の広さが大切なのだ。

 

 小湊は、少なくとも学生相談を、そういうものだと捉えていた。

 つまりは、管理職ではあるが完全に素人の小湊のこの行動は、あまりにも無謀だった。


 それでも、もう動いてしまったものはしかたがない。


 「どうぞ、かけてください」

 その女子学生を招き入れた会議室は、普段は倉庫として使われており、お世辞にも清潔とは言えなかった。

 この省エネの時代に、未だに蛍光灯けいこうとうが現役で稼働中で、かつ窓にブラインドのない、照度しょうどが実にアンバランスな部屋だった。

 

 机の上にも、何に使っているのか分からない書籍や段ボールが山と積まれている。

 小湊はそれらを慌てて床に下ろすと、つくろうように言った。

「さ、どうぞどうぞ」


 小湊がほっとしたことに、その女子学生は、部屋の汚さが気にならないくらい関心が他所よそにあるのか、素直に椅子に腰かけた。


 小湊も、机を挟んだ向かいに腰掛けると

「まず、お名前をお聞きしてもいいですか? 」

「……遠藤梓えんどうあずさです。文学部の、英文学科の1年生です」

「それで、さっきもちらっと口にされてたけど、相談というのは……」


 小湊が誰なのか、よく分かっていないだろうに、単に自分の思いを誰かに吐露とろしたかったからか、遠藤梓は語り始めた。


「あたしの親友についてです。まだ、一度も出会ったことがない、大学の親友についてです」

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