相棒とお守り(前)

 坂道さんは今年で30になるそうだ。独身で身よりも彼女もいない。作ろうともしない。そんな坂道さんから拉致同然に連れ出された。

 その日は、学校帰りの途中で、友人と別れて家に帰宅していたときだった。道を曲がったところに坂道さんの車が止めてあり、ぼくが声をかけることなく力強く素早く車の助手席に押し込むなり車を走らせた。

 行先も知らないまま、荒い運転にいつか死ぬのではないかと思い、慌ててシートベルトをつけた。

「いきなりなにするんですか!?」

 後部座席にカバンを放り込んで抗議の声を上げた。坂道さんは飄々と答えた。

「いやね、最近誘っても無視するから、ドライブにでも連れて行ってやろうかなと思ってね」

 30にもなる人がツンデレを発したことに恐怖を感じた。

「せめて事前に行ってください。それからできる事なら休みの日にしてください!」

「休みは寝ていたいもん」

 久しぶりにカチンときた。

「黙れやおっさん! 休み関係ないやろ! ニート同然のくせにして!!」

 悪態をつくぼくに構わず、坂道さんはやけに楽しそうにアクセルを踏み込んだ。途端にスピードが上がりバランスを崩して座席にくっついた。ぼくは間の抜けた悲鳴をあげた。

「坂道さん運転できるんですか!?」

 坂道さんの店には車なんて一度も見たことが無かった。ましてや車があったことは驚きだ。

「これでも免許もっているよ。まあ、運転するのは10年ぶりやね。いやー車動かすの久しぶりすぎてどう操作したらいいか焦ったわ」

「この車はどうしたんですか?」

「知り合いから借りたん。どうせ、事故るからって」

 それを聞いた途端、

「降ります!」

と戸に手をかけた。

「高速に入ったからもう降りれないよ」


 結局、目的地に着いたころには日はすっかり落ちていた。

 坂道さんの運転は非常に乱暴だった。周りが止めに掛かるだけのことはある。何かい死にかけたことか。

「ほれ、ついたよ」

 ぼくたちは車から降りると、暗闇の中に建つ二階建てのアパートを見上げていた。

 壁は大きなヒビが入り、今にも崩れそうなほど痛んでいる。窓は割れており穴が開いたような感じだ。一階の出入口と思わしき場所には板で打ち付けられていた。

 明らかに人が住んでいる感じではない。

「ボクの親戚の知り合いの知り合いが所持している物件なんだけど……ご覧の通り、今は誰も住んでおらん」

「なんかあったんですか?」

 坂道さんは曖昧に笑う。不安が増した。

ぼくは妙な癖がある。それは鼻をつまむことだ。ある件で臭いをかぐことで『悪意』を感じ取れるようになった。坂道さんがわざわざここに連れてきたということは、『臭いを嗅ぐ』となにか関係しているのかもしれない。鼻をつまんで臭いをかいでみる。すると鼻で息ができないにも関わらず悪臭が鼻を刺激した。慌てて手を離し、アパートから距離を空けた。しけった草花の匂いがするだけで、吐き気を誘うような臭いはしなかった。

「帰りましょうよ」

 無駄だと分かっていながら、坂道さんに言った。

 坂道さんは車からライトをとってくるとアパートに向かって歩き出した。

 ぼくの提案にまるで反応がない。それどころか妙に楽しそうにしていた。まるで体験ごっこする子供みたいだった。

 ひとり残されたぼくは、車に乗ろうにも施錠されており、坂道さんがいなければ車に乗ることはできない。空の灯りが青く沈んでいくのを見て、途端に怖くなり坂道さんの後を追いかけた。

ライトで足元を照らし、渡り廊下を通った先で坂道さんは立ち止り舌打ちした。

「見てみろ」

 中はだいぶ荒らされていた。タバコの吸い殻やカップ麺のゴミ、はては花火の燃えカスなんかがそこら中の部屋の中に捨てられていた。ボヤ騒ぎでもあったのだろうか、二つほどの部屋は黒く焦げていた。

「ひどいことをするもんですね」

 坂道さんはライトを部屋から部屋へと移動しながら照らしている。何かを探している様子だが、依然と分からない。ぼくはただ坂道さんの後を付いていくことしかやることがない。やることといえば鼻をつまむことだけ。

 ……臭い。先ほど外で嗅いだほどひどいものではなかったが、なにか落ち着かない。妙な気持ちになった。ぼくは知らずに坂道さんの服の裾を握っていた。

 廊下を進む。途中、階段を上りまた長い廊下を歩く。

「……そろそろここに来た目的を教えてくださいよ」

 ずっと黙ってついていくのはそろそろ疲れた。坂道さんは足を止め、ぼくに振り向きこう言った。

「迷った」

「は?」

「だから、迷った。勇真くんは、道順覚えておる?」

 意味が分からない。どうしたらさほど広くない建物で迷うのだろうか。

「冗談はよしてください」

「……先いって。ボクはついていくから」

 このおっさんは何を言っているんだ? ため息と一緒に呆れてしまう。

「ライト貸してください。ぼくが先に行きますので」

「暗いからヤダ」

 結局、ライトは坂道さんがつけていく形になった。ぼくは先が見えない道をただライトを照らしてくれる坂道さんを頼りに歩くしかなかった。

 ……おかしい。しばらく歩いてから不安が徐々に抱き始めた。この廊下、こんなに長かったっけ?

 ライトを照らしてくれる坂道さんの先陣を切って進んでいたが、どうもおかしい。先ほど上ってきたはずの階段がいっこうに現れない。

「坂道さん、これ……」

「だから迷ったと言うたろ。この建物は生きとるやん。ボクらを食うて出してくれなくなった」

「なに呑気なことを言っているんですか!?」

「慌てるな。ほら、階段見えたろ」

ライトを照らす先には階段があった。ただ階段は下りるのではなく上るだ。

「……上るんですか?」

「当たり前やろ」

 そっけなく答え、坂道さんはぼくの手を引いて階段へと進む。坂道さんはいったい、なにをしたいのか理解ができない。ただ、言えるのはこのアパートでなにかを探しているといった感じだ。それがなんなのか、坂道さんからの返事はまだない。


 階段を数段上った時だった。階段の先から鈍い音が響いた。

 さすがに坂道さんも足を止め、こちらを振り向いた。

「今のは」

「……知りませんよ」

 震える足でやっと立っているぼくに坂道さんは苦笑いした。

「ここで待っとくか?」

「そんな!」

「冗談や」

 坂道さんはあれだけ渡さなかったライトをあっさりと渡すと、後ろに回って背中を押した。

「ほれ勇気や」

 ぼくはぎこちなく軋む階段を上った。


 1階と比べると2階は比較的にきれいだった。

 だがさっきの音のせいで、それが帰って不気味に感じられた。

 後ろからついてきている坂道さんを何度も振り返りながら、ひとつひとつ確認をしていく。

 一歩前進するだけでも手首が震えるからだ。

「……そろそろ教えてくださいよ。ぼくたちはいったいなにしにここへ来たんですか?」

 坂さんはばつの悪そうな顔をした。

「兄貴に頼まれたんだ」

「お兄さんおったんですか?」

 そんな話は初耳だった。

「仲は悪いけどな……向こうから急に連絡が来て『調べてくれ』って一方的にな」

「それでわざわざ調べるに行くんですか? なにか事情でも?」

 坂道さんはその先はなにも答えてはくれなかった。

 廊下の突き当りを曲がると扉があった。ただ、他の扉と違い鉄製でできた扉だった。真っ黒に塗りつぶされた鉄製の扉。表札はかかっている。空き家ではなく明らかに人が住んでいそうな感じだった。

 ぼくは帰ろうかと坂道さんに振り返るとドアノブに手を掛けようと腕を伸ばしている真っ最中だった。

「坂道さん!」

 震えるぼくと違い、坂道さんは険しい表情でその扉を開けようとしていた。

 そして、扉を開いたと同時に、先ほど外で嗅いだ臭いが全身を覆いつくすように一瞬で意識がもっていかれてしまった。

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