坂道さんとの出会い

 ぼくの知人に古美術店を営む人がいる。店が坂道の途中にあることと店の名前が『坂道さん』。

 怪しげな道具で店を埋め尽くし、商売する気があるのかどうか甚(はなは)だ疑問だが、本人は呑気に暮らしている。

 飄々(ひょうひょう)としていてどこまでが本気なのか分からない。

 そのくせ基本的に無表情で無愛想、人をおちょくときだけは心から楽しそうに笑う。そんな人。

 坂道さんと知り合ったのは中学一年のときだった。

 当時のぼくは病気がちな上によく怪我をする子供で病院が第二の家のようなものだった。

 祖父の葬式のために山奥にある祖父の家に行くのだって渋る医者をなんとか説得し、ようやく行かせてもらったものだ。

 祖父の家は、山を背に建てられていた。

 山の持ち主は祖父だったのだが、昔から危険だからとぼくだけは山に入れてもらえなかった。

「なんでぼくだけはだめなの?」と聞く度に祖父は心底すまなそうに「ごめんな」と謝っていた。


 家につくなり、ぼくは祖母に離れ(本家とは別にある小さな家)に呼ばれていた。

「じいさんを送らなあかん」

 祖母は静かに言った。

「今から山登って、そこにおる人と一緒にじいさんを送ってこい」

 それだけ言うと祖母はぼくを追い出した。

 意味が解らなかった。なぜ追い出したのか、その事実を知るのは少し先の話だ。あのとき見せた祖母は哀しそうな顔をしていたのはいまでも鮮明に覚えている。

 初めて山の中に入れたことが嬉しかったのか、ぼくは山道を駆け上った。

 道しるべがあるように細い道に石が置いており、迷うことはなかった。

 運動不足の病弱児の息が切れたころ、道は突然終わった。道の終わりには小さな祠がたっていた。

 手入れをされたあとのない、今にも朽ち果てそうな祠。ぼくは不思議な気分でそれを眺めていた。

 なぜか、ずっと前からその祠を知っているような気がしたのだ。初めて山に入ったのに。まるで誰かに招かれたみたいな。

 それにしても、なんてボロボロなんだろうか。触れようとしたとき、

「触ったらあかんよ」

不意に声を掛けられ、ぼくは自分が無意識のうちに祠に触れようとしていたことに気が付いた。

 声がした方を向くと、知らない男が立っていた。無表情で白い顔がぼくを見つめていた。


「勇真(ゆうま)くん、初めまして」

 男はぼくの名前を知っていた。驚くぼくに男は笑みを浮かべ手招きをした。

「こっちへおいでよ。一緒におじいちゃんを送ったろ」

 そこでようやく、男が祖母の言っていた人物なのだと分かった。

 男の足元には数枚の紙が落ちていた。ぼくはそれを踏まないように注意して男の隣に立った。

 その場所からは、祖父の家が良く見えた。遠くから見る家はまるで知らない生き物が群がっているように見えた。

 あの中には、祖父が横たわっているのだろうか。

 ぼくは急に怖くなり、思わず後ずさった。しかし男に肩を掴まれ、その場から離れることはできなかった。

 男は屈(かが)んでぼくの顔を覗き込み、真剣な口調で言った。

「逃げたらあかん。逃げたら勇真くんはずっとその体のままだよ」

「……どういうことですか?」

「勇真くんがなぜ山に連れてこなかったのか、それは山に封印されている者が勇真くんだからだよ」

 この男は何を言っているのだろうか。疑いの眼差しを向けながらぼくは男の手を振り払おうとしたが、不思議なことに男の手はまるで石のようにびくともしなかった。

 男はぼくの頭に手を置き、小さな声で日本語化も分からない言葉を呟く――いや、むしろ唱えてると言ったほうがいいのかもしれない。

 虫たちや鳥たちの声がなくなり、周囲が静寂に包まれた。全身から力が抜けていく。立っていられないほどだ。

 けどそれは、決して不快なものではなかった。


 家から棺(ひつぎ)が出てきた。これから火葬場に行く。

「おじいちゃんはね、君の体質を治そうとしたんだよ。だけど気休め程度にしかできなかったんだ」

 山を下りながら男は淡々と語った。

「ある約束を、ある人たちと交わした。

 君を守るようにと、君のおじいちゃんに頼まれた」


 葬儀の列の最後尾に加わり、棺の後を追った。

「この体質は直るんですか?」

「直すことはできん。ただ、変えることはできる」

 列はゆっくりと火葬場へ向かう。

「君はただ、ボクについてくるといい。ボクは君を守る」

「なんかよくわかりませんけど、要するにぼくの運命を変えに来たということですか?」

 ぼくの言葉に男は声をあげて笑った。何人かがこちらを振り向き、眉をひそめた。

 ぼくは小さく頭を下げ、男を睨んだ。男は特に気にする様子もなく薄ら笑みを浮かべていた。

「坂道って呼ばれている」

「はい?」

「ボクのことや。古美術商をやっているんだけど、店が坂道にあるからか、いつの間にかそう呼ばれるようになったや。だから、看板も『坂道さん』にしたんや。後で場所を教えたるから、今度遊びに来てや。君とは長い付き合いになるから」


 そして今に至る。

 あの日以来、ぼくは特に病気も怪我もしなくなった。

 代わりに奇妙な能力がついた。第六感に近いそれは、坂道さん曰く「悪意を感じ取る」能力だそうだ。これもあの体質からの変化なのだろうか。


 一度だけ、山の祠を見に行った時がある。祠は以前よりもまして無残に壊れていた。扉ごとなくなり中身はもぬけの空になっていて、野犬かなにかに引っかかれた跡がいくつもついていた。

 そして山のさらに奥に向かって伸びる道は不思議と石はすべて消えており、大きな足跡が印をつけるかのようにひとつだけ残されていた。

 今にして思えば、あの祠にささげられていたモノが、祖父がぼくを山に入れなかった理由なのだろうか。


 ぼくに「逃げたらあかん」といったときの目は、微塵(みじん)の悪意も感じられない本気の目だった。本気で坂道さんはぼくの運命を変えようとしている。

 そんな相手を信頼できないほど、ぼくは捻(ひね)くれていない。


 坂道さんの店に遊びに行くたびにひどい目に合っている気もするが、それも坂道さんは守ろうとしているのだろうとそう思うことにしている日々である。

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