酩酊
春雷
酩酊
僕の通っていた高校は何故かダンスに力を入れていた。地元にある普通の進学校だ。70年近い伝統がある。そんな伝統ある学校であるのにもかかわらず、最近校舎を新しく建て直したからなのか、元々そういう校風なのか、とにかく新しいことに挑戦しようとする傾向があった。あるいはそれは、Yという体育教師が新しいことに皆で一緒に挑戦しようというタイプの熱血教師で、彼が学校内でそれなりの地位を得ていたためかもしれなかった。
僕は運動が得意なタイプではない。太鼓の達人もリズム天国もやっていたのに、リズム感もない。その二つが掛け合わさった時、出る結論はただ一つだ。つまり、僕はダンスが苦手だ。だから、この学校の雰囲気やレベルは僕にぴったりだったのだが、この妙なダンスへの傾倒が、少しずつ僕の学校に対する愛情を冷めさせていった。
「あーあ」
今日も放課後から学校の近くにある公園で練習だ。近々文化祭があって、僕らのクラスは舞台でダンスを披露するのだ。体育祭ならまだしも、どうして文化祭でも踊らなければいけないのだと思ったが、思ったところでどうにもならない。僕はダンスの学校に入ったのだと思うことにした。
ほとんどの人は部活をやっているから、大体7時ごろから練習が始まる。僕は帰宅部だったから、友人と一緒に暇を持て余していた。推理小説も読んでしまったし、カラオケも行ったし、ジャンプも読んだし、もう何もすることがない。家に帰って「スポンジ・ボブ」を観たい気分だった。頭の中でゴジラvs一休さんを放映するくらい暇だった。
僕と友人はその秋の日暮れの中、都会の慌ただしい喧騒から切り離されたように存在しているその公園のブランコに揺られながら、中身のない話を繰り返していた。心地よい風が、排気ガスの匂いを運んだ。
「俺、実は『ドラゴンボール』読んだことないんだよな」
友人がそう言った。
「へえ」
「お前はある?」
「あるよ。アニメも観てたし」
「やっぱり面白いの?」
「面白いよ。悟空とピッコロが運転免許取りに行く回なんて笑えるし。お前ら空飛べるんだから免許要らねえだろって。悟空は瞬間移動も使えるわけだし。あとピッコロの格好が恐ろしいほど似合っていない。ベジータ以上に酷かったよ」
「それは結構特殊な面白がり方じゃないか?」
「前回のあらすじも長いしな。毎回前の話を振り返るんだけど、それが長くて長くて。こっちは毎週観てるんだからちゃんと覚えてるってのに。酷い時には半分くらいが前回のあらすじだった気もする」
「へえ」
「まあ、連載に追いつかないようにするのに必死だったんだろう。そもそも14ページを30分のアニメにするということ自体に無理があったんだ」
「なるほど」
「その点、最近のアニメはきちんと原作のストックが溜まってからアニメ化するから、そういった心配はないんだけどね」
「へえ」
ブランコを漕いでいると、少年に戻ったような気持ちになる。もちろん、高校生なんてまだまだ子どもなのだろうけれど、それでも、小さい頃のような気楽さはない。
「大学はどうするの?」
友人がそう尋ねる。当時高校二年生。どこの大学に行くのか、漠然と考え始める時期だった。
「さあ。地元の国立大かなあ」
「俺は大阪の私大に行こうと思ってる」
「へえ。大阪。毎日たこ焼き食べ放題だな」
「別に毎日は食べないよ」
「主食的な食べ物じゃないのか」
「大阪でも主食は米だと思うよ」
「USJに通天閣。俺、大阪行ったことないからなあ。行ったことある?」
「ない」
「じゃあどうして大阪の私大?」
「気分次第」
「笑えねえな」
実際は、苦笑いくらいはしていた。まあ、とにかく下らない会話ばかりしていたのだ。でも、僕にとってはその無駄話がとても楽しくて、心地がよいのだった。
すっかり日が暮れたころ、部活を終えた少年少女が公園に集まってきた。青春だなあ。彼らは仲のいいメンバー同士で集まって、談笑していた。
剣道部の友人が話しかけてきた。
「最近、寝る間も惜しんでオンラインゲームをしてたんだけどさ。まだ発表されて間もないのにもう100時間くらいプレイしてしまったのよ。まあそれはいいんだけどさ、いつの間にか強くなって、まだプレイしている人がそんなにいないからなんだろうけど、世界一になっちゃたのよ。どう思う」
「すごいな」
彼は理系のクラスに在籍していて、テストで本当は百点取れるのにあえて間違って、低い点数ばかり取っている男だった。
「それでさ、世界一になったから、皆俺と一緒にプレイしたがるのよ。仲間になってくれないかって依頼が殺到して。それで俺は思ったね。これを機会に可愛い子と付き合えるんじゃねえかって。そしたら案の定、女子高生らしきプレイヤーが話しかけてきた。俺はガッツポーズしたよ。何度か一緒にプレイして、その後、一度現実で会ってみませんかって誘った」
「おお」
「テストの前日に」
「日を改めろ」
「それで、喫茶店で待ち合わせたんだよ」
「どきどきするね。とうとうお前にも彼女ができるのか」
「そう思うだろ? でもさ、店内をどう眺めてもその可愛い女子高生はいないのよ」
「来なかったのか?」
「違う」
「まさか」
「奥の席ですっと手を挙げた人が」
「うわー」
「おっさんだった」
「やっぱり」
「可愛い口調のおっさんだった。まあ、それはそれでいいんだけどね。でも髪を整えたあの一時間は何だったんだとは思ったね」
「一時間も?」
「うん。最終的にはオールバック」
「気合い入ってるなあ」
「ココアシガレット咥えて、サングラス掛けてな」
「お前の路線はハードボイルドじゃねえだろ」
「夜景の見えるレストラン予約したのに」
「まじで?」
「ドリンクバーのあるレストラン」
「ファミレスじゃねえか」
「若者が何時間も居られる」
「絶対ファミレスだよ。嫌だよ、ハードボイルドな高校生がファミレスにいたら」
「ああ。カルピスがギムレットに見えてくるからな」
「そこじゃねえよ」
野球部の友人も話しかけてきた。
「昨日寝る前に麻婆豆腐食べて、4時間くらい寝て、朝3時くらいに起きてまた麻婆豆腐食べて」
「そんな寝酒迎え酒みたいな」
「寝麻婆、迎え麻婆な」
「そんな言葉ねえよ」
「昼も麻婆茄子食べちゃってさ」
「麻婆三昧だ」
「あらゆる麻婆食い尽くそうと思ってる」
「そんなに種類あるかな?」
「わかんねえ」
そんな無駄話をしていると、ダンス部のリーダーが、そろそろ練習しようと言い出した。
軽快な洋楽が流れ始める。ブルーノ・マーズの「ラナウェイベイビー」。僕らは何度も練習した振りを再確認しながら踊り始める。僕は横で踊っている人をちらりとカンニングしながら、ぎこちなく踊った。
練習が始まって30分経った頃だろうか、初老の男性が公園に入ってきた。白髪で、薄汚れた黒いウィンドブレーカーを着ていた。手には一升瓶。明らかに酔っぱらっていた。千鳥足で、顔も赤かった。
その男は僕らの周りを、観察するかのように一周し、何故か僕の隣に座った。
「おい、お前」
男は僕を指差す。どうしてだろうか、僕はおじさんに絡まれやすい。高校生になって特にその傾向が顕著だ。毎週、見ず知らずのおじさんに怒られている。先週は毎日のように怒られていた。おじさんウィークである。きっと今回も怒られるのだろう。
「全くだめだな」
男は頭を振る。おいおい、さっきちょっと見ただけで何がわかるのだ。そう思ったけれど、口に出しはしなかった。元ダンサーという可能性もなくはない。
「ちょっと来い。教えてやる」
男は立ち上がり、公園の奥の方へと歩き出した。嘘だろう。周囲に視線で助けを求めたが、皆無視した。一心不乱に踊り続けていた。僕は渋々その男についていった。
「いいか。こうだ」
男は最も基本的なボックスステップをやり始めた。ちょっと待ってくれ。それくらい僕にもできる。でも反論すると面倒なことになりそうだったので、僕もボックスを踏んだ。
「おい。ちゃんと見ろ。こうだ」
何が違うんだ。
「気持ちが全然違うだろう」
気持ちの問題かよ。
「もっと気持ちを込めろ」
「いや、あの、もう大丈夫なんで。踊れるんで」
「ボックスはジャグラーみたいなものだぞ」
「パチンコで例えないでください」
「俺はジャグラーを打ってる時が一番幸せなんだ」
いつの間にか反論してしまっていた。この人と関わっているとまずい。皆のところに戻ろう。
「俺、ボックスしか踊れねえんだ」
ますます関わる意味がない。
「パチンコってのはよ、不思議なものだよ。負けた時はもうこんなのやってられるかと思うんだけどよお、結局次の日には朝一で並んでるんだ」
「あの、もう戻っていいですか」
「パチンコでアニメ覚えてよお、キャバクラで」
無視して僕は皆のところへ戻った。男はまだ喋り続けていた。
ゲームに熱中するやつ、麻婆中毒のやつ、ギャンブル好きなやつ、ダンスを踊り続けるやつ、暇を持て余し続けるやつ……。
結局、誰もが酩酊状態なのかもしれない。青春というカクテルに僕も酔わされているのだろうか。僕は……。
ちょっと待て。高校生が主人公なのにパチンコとかカクテルとか、まずいんじゃないか。
「ま、いいか」
皆のところに戻り、僕は踊り始めた。途中で振り付けがわからなくなったので、とりあえずボックスで胡麻化した。
酩酊 春雷 @syunrai3333
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