君と僕との物語②
「そうだ、君が八歳の時のことを覚えているかい?」
「八歳?小学二年生……の頃のこと……?」
「そうだね……八才の君は、近所の幼馴染と遊んでいるとき友達の家の敷地に猫の骸を見つけた……」
すっかり忘れていた八歳の記憶が色鮮やかに蘇る――。
友達は気持ち悪がりその場を去っていった。
だが、君だけは違った。
その猫を気の毒に思った君は、その骸を抱えると銀杏地蔵の川べりに埋葬してあげた。
『猫さん成仏してください』
そう呟く君は、家からこっそり持ち出した線香をたて猫のために祈った……
「ああ、そんな事があったな……なんだか、懐かしい……」
「君の優しい気持ちが嬉しかったその猫はね『次生まれ変わるならば、また君に会いたい……』そう願ったんだ」
――そう……君はいつだって優しいんだ……
「では、中学一年生の時のことを覚えているかい」
「中学生の頃のこと……?」
「そう。あれは新年を迎えた夜のこと……」
新年を迎えた夜、君は家族で地域の氏神様に初詣に出かけたね。
君の白猫は、家族が留守の間こたつの中で電気コードをおもちゃにして遊んでいた。その時、猫は誤って電気コードを噛んでしまい感電してしまった。
帰宅した君は、その異変に気づき救い出された猫はなんとか一命をとりとめた。
だが、猫は感電したショックで瀕死の状態だった。猫の口腔内は焼きただれ、自力で食事をとることも排泄することすらできないほど重症だった。
それはすなわち死を意味していた。
獣医から、時間の問題だと死の宣告を受けた時、君は声を上げて泣いた。
その悲痛な叫びを聞いて猫も死を覚悟した。
だが君は諦めなかった。
死んだのも同然だった猫を、君は何とか助けようと獣医にアドバイスをもらい必死に看病した。君は、来る日も来る日も寝る間も惜しまず猫の看病をした。時間ごとに砂糖水や塩水、ミルクなどスポイトを使って懸命に飲ませ排泄の世話もしてあげた。
学校に行かなければならない君は、自ら学校に事情を話し昼休みは帰宅すると猫の世話をし再び登校した。
長期にわたる看護は決して楽なものではなかっただろう。それでも君は、雨の日も雪の日も嵐の日だって愚痴一つ零さず、猫のために献身的に看護した。
だから猫もそんな君に応えようと生きたいと願ったんだ。
君の献身的な看護の努力は実を結び、ついには奇跡が起きた。
猫はとうとう自力で立ち上がることができた。
君はその綺麗な瞳を潤ませながら『頑張ったね』と猫の頭を優しく撫で、その胸に抱きしめた。
猫は応えたかった。君のその笑顔が見たかったから。
君の献身的な看護のおかげで、猫は少しずつ時間をかけて回復していった。
猫は願った。
今度は君を守ってあげたい。
君を幸せにしてあげたい。
ずっと君の傍でその笑顔を見ていたい。
何度生まれ変わっても君に巡り合いたいと。
強く、強く、願ったんだ。
それは、猫の儚い夢でもあった――
「……あの時、ミィが生きていてくれて本当に嬉しかった。でも……今回はどうすることも……どうしてやることもできなかった……。ねぇ、深彗君、どうしてその話を知っているの?誰にも話したことのないその話を、どうしてあなたが……ねぇ、どうして……」
「君が高校一年生の三月のあの日……」
「三月……」
彩夏の瞳からポロリと大粒の涙が零れ落ちた。
草木は芽吹き、野原は色とりどりの花が咲き乱れ春の訪れを歓迎しているようだった。
白猫ミィは、自宅に隣接する広い空き地で日中を過ごすことが多かった。ミィは花の香りを嗅いだり、ひらひらと舞う蝶々を追いかけたり、小鳥を狩る遊びをしながら君が帰宅するまでの時間を過ごしていた。
ミィが動くたびに、首に巻かれた鈴の優しい音色が辺りに響き渡った。
ミィは、うららかな春の陽だまりの中で、誰にも邪魔されることなく
太陽がてっぺんから傾きあたたかな日差しが弱まった頃、眠っていたミィは突如体が宙に浮き何者かに連れ去られたことに気づいた。
次の瞬間、ミィの目の前で重厚な鉄の扉が大きな音をたて閉まり、空間に閉じ込められ慌てふためいた。そこには君の母親もいて、こちらを見ていた。
大きな音とともに振動し、やがて空間は動き出した。見たこともない景色が流れるように目まぐるしく変わっていった。
恐怖を覚えたミィは、外に出ようと必死に空間の中を右へ左へと駆けては辺りを見回したが脱出することはできなかった。
君の母親はそんなミィを見て大声で怒鳴りつけた。
『ちょっと!危ないじゃない!馬鹿猫!』
ミィはその声に煽られパニック状態に陥った。
どのくらい経ったのだろうか。
再び重厚な鉄の扉が開かれたその瞬間、ミィは脱出することに成功した。
ミィは君のもとに帰りたい一心で駆け出した。遠くから大きな鉄の塊が、騒音をたてこちらに近づいてきたことすら気づくことなく。
次の瞬間、衝撃音とともにこれまで感じたことのない激痛を覚えた。
トラックに跳ね飛ばされたミィは、道路わきの茂みの中に転がり落ちた。
息をするのも苦しく、その場にうずくまった。
日も沈み辺りがすっかり暗くなった頃、自分の名を呼ぶ君の声がどこからともなく聞こえてきた。
ミィは君のもとに帰りたかった。動物の本能で自宅を目指した。
起き上がろうとしても全身の激痛でどうにもならなかったが、それでもミィは立ち上がり、渾身の力を振り絞り歩き始めた。よろよろと数歩進んでは倒れ、また起き上がると歩き出す。
君と離れ離れになったのはこれが初めてだった。
君が待っている……
いつものように君を迎えてあげなければ……
君を守ってあげなければ……
ミィは己を奮い立たせた。
君に会いたい……
君のもとに帰りたい……
君の温もりに触れたい……
君の笑顔が見たい……
だがその思いも虚しく、力尽きたミィはとうとうその場から動くことができなくなった。
そこを自転車で通りかかったとある少年が、瀕死の状態のミィを発見し保護した。
その少年は背中のリュックの中身を空にしてミィを入れると動物病院へ急いだ。
『すみません!道で猫がうずくまっていました!診てください!』
『ああ、これは酷い……交通事故に遭ったに違いない。もう助からないかもしれない』
『苦しんでいます!何とかしてあげてください。首輪もしています。きっとどこかで飼い主がこの子の帰りを待っているはずです。お願いします!』
少年は頭を下げながら、獣医に必死に訴えかけた。
『そこまで言うのならば、わかった……できるだけのことはしてみよう』
『ありがとうございます』
少年は深々と頭を下げた。
処置する間少年は待合室で待機していると、看護師に声をかけられた。
『まだ時間がかかりそうだから帰っても構いませんよ』
『連絡先だけこちらに記入してください』
「ミィは、病院を受診したのね……それで、あの子は今どうしているの?」
「あの日、君のもとに帰りたいとひたすら願ったミィは息絶えた」
「……そう……そう、だったの……可哀想なミィ……傍に居てあげられなくてごめんね……私が悪いの。私がミィを不幸にした……私と出会ったりしなければ……深彗君、私の知らないミィの最期を教えてくれてありがとう……」
彩夏は、絶望的な思いを胸に声をあげて泣いた。
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