僕の知らない君 ③

「彩夏、こんなのどう?」

 彼女からの返事がない。深彗は振り返ると彩夏はある方向を見つめ立ち尽くす。

「彩夏?」

 彩夏の視線の先に目を走らせると女性と女の子の姿があった。彩夏はその二人をじっと見つめていた。

 声をかけても彩夏の耳には深彗の声は届かないようだった。 

「一日目の服はこれ、二日目の服はこれ、靴も靴ずれしてしまったときように予備の履きなれた靴を持っていくといいわね」

 そんな親子会話から、その女の子は旅行を控えているらしく、母親と洋服選びにきていたようだった。深彗は何度声をかけても気づかない彩夏の顔を覗き込んだ。

 彩夏は、視界に突如深彗の顔が飛び込んできたためハッと我に返った。

「彩夏、さっきからどうしたの?何回呼んでも全く聞こえていない様だったけど……」

「……なんか顔色も悪い気がする。大丈夫?」

 先程と感じが違う彩夏の異変に気づいた深彗は酷く心配した。

「ううん……大丈夫、ちょっとね……」

 深彗は彩夏の目に悲しみの色を感じた。

 

 


『は?この前買ったのがあるでしょ。あるものを着ていきなさい』

 修学旅行に合わせて服を買って欲しいと懇願した彩夏だったが、とうとう買ってはもらえなかった。

 彩夏の持っていた服はいつも学校に着ていた普段着に、汚れたスニーカーしかなかった。それも何着もあるわけではない。少しでも綺麗に見えるようにと、手が痛くなるくらい自分でスニーカーを洗った。

 修学旅行には、いつも学校に着用していた着古した普段着に一生懸命洗ったスニーカーを履いて行くしかなかった。

 修学旅行当日、女子たちはこの日のためにお洒落し、はしゃいではあちらこちらで服を見せ合い盛り上がっていた。

 その日の彩夏は、いつものように皆の輪に入る勇気がなかった。彩夏を見た者達は驚きの表情を浮かべていた。さぞ珍しい物を見たかのような、憐憫の眼差しを彩夏に向けた。彩夏は、この時から人の視線が気になり怖いと思うようになった。

 友人たちまでも、目が合うと見てはいけないものを見たかのように皆目を背けた。これまでそのような目にあったことのない彩夏は、皆の反応に戸惑い心傷ついた。

きっと、哀れで気の毒な自分にかける言葉が見つからなかったのだろう。衣服のことを誰一人彩夏に指摘しなかったのは、皆の優しさだったのかも知れない。

 けれど、その頃の自分には皆の気持ちなど理解できなかった。そんな余裕すらなかった。

 そんな自分にもプライドはあった。ただ哀れだと思われたくなかった。惨めな自分を認めたくなかった。だから思った。それでよかったんだと。注目されるより、遥かにいいと、自分にそう言い聞かせた。

 修学旅行中、彩夏はあえて笑顔を絶やさなかった。誰にも心の内を悟られないように、これ以上自分が傷つかないように楽しい振りをして、自分も他人も欺いた。

 この時から彩夏は、目に見えない防護服を身に纏い、防衛線を張るようになった。

 写真には写りたくなかった。同行したカメラマンや友達にカメラを向けられると、さり気なくその場から逃げた。そこには自分も他人も欺き、楽しい振りをした哀れで惨めで悲しい偽り者がそこにいたから。

 

 パジャマも低学年の頃の物で、当時は長く着られるようにと袖や裾を折り返し着ていたものだ。今や七分袖、ハーフパンツといった感じに見てとれた。

 だから、誰よりも逸早く布団にもぐり込み掛布団を頭までかぶった。そうすると止めどなく溢れてくる涙を誰にも見られることなく、気に留められることもなかった。

 偽り、惨め、哀れ、傷心、羞恥、この言葉の意味を身をもって知ることとなった。

何より、傷つくことが怖かった。憐れだと思われることが耐えられなかった。

 だから、自分の心を守る術を身につけるしかなかった。

 これが彩夏の苦い修学旅行の思い出――。

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