文化発表会
教室でクラスメイトと会話していた深彗は、彩夏に気づくと爽やかな笑顔で迎えてくれた。
「おはよう、彩夏」
彩夏は一昨日の出来事を思い出し、深彗を見るなり意識してしまいパッと頬を赤く染めた。
「おはよう、深彗君……」
彩夏は、はにかみながら伏し目になって返答した。席に着いた彩夏は、クラスメイトと楽しそうに会話する深彗を遠くから見つめた。それに気づいた深彗はふわりとした柔らかな眼差しで彩夏を見つめ返した。
その刹那、彩夏の心臓がドキンと音をたてた。深彗はいつ何時だって彩夏に応えてくれる。
「え~今から課題の発表をしてもらう。提出日ぎりぎりの者もいたが、皆期限を守ってくれたから今回はよしとしよう。では早速、始めたいと思う。準備の方はいいか」
今日は、課題の発表の日。テーマは『自分の住む地域にまつわる話』だ。
皆の前での発表は緊張する。各々いろいろな発表を考えているようだ。模造紙を用意した者もいれば、写真を用意してきた者、パソコンを使用する者もいた。
彩夏はシンプルにレポート用紙にまとめた資料を読み上げることにした。今回、銀杏地蔵について調べてみて思ったことは、銀杏地蔵は思っていた以上に歴史が古く、地域に親しまれていることを改めて知った。
教室では、皆の発表を聞きながら自分の順番を待つことになる。彩夏は緊張して人の発表を聞くどころではなかった。
ふと、隣の深彗に目を向けた。
深彗は彩夏と違って落ち着いた様子で、皆の発表を楽しそうに聞いていた。
――そういえば深彗君、課題どうしたんだろう
『深彗君、結局課題どうなったの』
『もう提出したよ』
『えっ。何について書いたの』
『内緒。当日のお楽しみ』
深彗は彩夏にも内容を教えてはくれなかった。
――一体何について書いたのだろう
彩夏には想像もつかなかった。
「じゃあ……次は、葉月……」
とうとう自分の発表する順番がやってきてしまった。彩夏は心臓が口から飛び出しそうな程緊張していた。始まる前から「早く終わって欲しい」と願う彩夏に、深彗はガッツポーズをして見せた。彩夏はうんと頷き、原稿に目を落すと発表を始めた。
「私は、銀杏地蔵について調べてみました」
――銀杏地蔵
樹齢六百年以上と言われる大銀杏は、秋になると黄金色に輝き銀杏をたわわに実らせることから鈴なりの木とも言われ、県の天然記念物にも指定されている。
その名の通り、銀杏の大木の傍に小さな地蔵の祠がまつられていることから、銀杏地蔵と呼ばれている。
私の住む地域は、愛鷹連峰山から始まる源流、赤渕川の下流に位置する。
赤渕川は水量が少ない河川と言われているが、
私の住む地域は、大昔から豪雨に見舞われると川が氾濫し水害に悩まされてきた。
過去の歴史の記録によると、今から六百年以上前の七月二十三日。
豪雨により赤渕川の堤防は決壊し大洪水が起こると、下流に位置するこの地域の村は濁流にのみ込まれ、その多くの人々は村とともに凄まじい濁流に押し流され、村は跡形もなく消滅した。
その後、水害で命を落した人々の鎮魂のために地蔵菩薩が建立された。銀杏の木はその当時植えられたものと思われるが、地蔵と銀杏の木の因果関係は明らかでは無い。
現在、地蔵菩薩は銀杏地蔵として地元地域住民に親しまれ、年に一度のお祭りを盛大に行い大切にまつられている。
私の祖母の話によると、私の父が幼い頃も集中豪雨で赤渕川の堤防が決壊し大洪水が発生すると自宅は床上浸水したということだった。
その後大規模な川の工事が行われると、現在に至るまで水害に見舞われることはなくなった。
現在、銀杏の大木と地蔵の祠の周辺をぐるりと一周歩いてまわれる広場となっている。広場にはブランコ・滑り台・鉄棒・ベンチなど子供たちの遊び遊具が設置され、日中は子連れの親子やお年寄り達の憩いの場となっている。
また、銀杏の大木は四季折々の風情を楽しむことができる。
春は、生命の息吹を感じさせ小鳥がさえずり、夏は目も覚めるような深緑に覆われると銀杏の大木は夏の強い日差しを遮り涼しい木陰をつくる。
秋は鈴なりの大木から黄金色の銀杏の葉が舞い落ち、あたり一面金色のジュータンで覆いつくされる。
冬木となった銀杏大木は、根から幹、枝までその大木の雄大さを感じとることができる。また、銀杏の木の垂れた枝の先端に、無数の待ち針が刺されているのをよく見かける。一見誰かの悪戯かと思われるが、実はこれには云われがあった。
子を持つ母親がこの銀杏の木の垂れた枝の先端に待ち針を刺し祈ると、母乳の出がよくなり子供が元気にすくすくと育つという言い伝えだ。
その伝承はいつ始まったものかは定かではないが、この地域の人々に語り継がれ今でも信じるものがこうしてやってくる。
私も幼き頃、女性が待ち針を刺し銀杏の木の下で祈っている姿を何度か見かけたことがある。それ程この銀杏地蔵はこの地域で大切にされている。
そしてもう一つ、祖母より地蔵にまつわる話を聞いた。
地蔵は死者の魂をあの世に導く役割があるという。地蔵はこの世に未練がある魂を救うために存在するのだと。この地域では、亡くなった魂は皆銀杏地蔵を目指すという。銀杏地蔵は私達を見守り、いつかその時を迎えた者たちの魂を安寧の地に導いてくれる存在だということを知ることができました。発表は以上です。
彩夏は達成感と安堵に包まれ、脱力した。
「彩夏、お疲れ様」
席に戻った彩夏に深彗が
その後も発表は続き、深彗の番がやってきた。
突然、担任の後藤先生がぼやいた。
「水星、これ大変だったぞ。感謝しろよ。自由とは言ったものの英文で提出とはな……」
「英文?」
クラスの皆から一斉に感嘆の声が上がり教室中がどよめいた。
「さすが帰国子女!」
ざわつきが止まない。
「まだ、日本語の長文が上手く書けなくて、すみません……」
深彗はその場に立ち申し訳なさそうに皆に頭を下げた。
「これ水星の課題だ。皆の勉強のためになるからコピーした」
プリントが前から順番に配られる。英文で書かれた文章だった。
「水星、悪いが英文読んだ後、日本語で訳したものを読み上げてもらえないか」
「はい、分かりました」
深彗は皆の前に立つと流暢な英語で話し始めた。
ところどころ単語が耳に残るだけで内容はほぼ理解できなかった。
彩夏は自分の英語力の無さを痛感させられた。
澄んだ彼の声は聴いている物の心の中までも響いてくるようで心地よかった。
「えっと、これは、銀杏地蔵の資料を呼んで創作した話です」
「うわー創作だって~!凄い!」
深彗の言葉に皆の反応が凄く、再び教室内が賑わいだ。深彗はなんと物語を創作していたのだ。
彩夏は大いに驚き、そして深彗の創作した物語がどんな話か楽しみで胸がわくわくしていた。
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