君への想い ②

 日が暮れて宵闇迫る黄昏時。

 メールの着信音が響いた。彩夏は携帯端末に目を落とす。

 ――今どのあたりにいる?

 深彗からのメールだった。

 ――人が多いから川の土手に移動するね

 彩夏は返信する。再び着信メールが届く。

 ――分かった、そこで会おう


 今日は、銀杏地蔵の祭りの日。

 彩夏はきょろきょろと人混みに目を走らせ深彗を探した。

「彩夏!」

 声のする方に振り返ると、彩夏の心臓が高鳴った。

 私服姿の深彗は、いつもと違って大人っぽく見えた。白のパーカーに首元と裾からのグレーのTシャツを覗かせ、ネイビーのジャケットに、黒の細身のパンツ、黒のハイカットスニーカー、そして黒のボディーバック。

 モデルのような細身で長身、彫りの深い端正な顔立ちの深彗は別人のようにも見えた。思わず見惚れてしまう程素敵だった。

「彩夏、どうしたの?」

「う、うん……なんだか、いつもの深彗君じゃないみたい。見違えちゃった」 

「そうかな?普段通りだけど」

「なんか……大人っぽいな~と思っただけ……」

 彩夏は深彗をじっ~と見つめて微笑んだ。

 今日の彩夏こそ別人のようだった。

 小花柄がプリントされたマスタードのロングフレアースカート、ややヒールの高いチョコブラウンのショートブーツ、裾がフリルで装飾された可愛らしいデザインのマウンテンパーカー、小振りなチョコ色のショルダーバッグ。

 白で清潔感溢れるブラウスは彩夏の色白で滑らかな肌を鎖骨から首筋まですっきりと見せ艶っぽく、形のいい桜色の唇には、淡い色のリップが艶めき深彗は釘付けとなった。さらりと下ろされた琥珀色の艶やかな美しい髪は、清楚で可憐な装いによく合い、容姿端麗の彩夏をより引き立てていた。

 深彗はまじまじと彩夏を見つめた。深彗に注がれる視線に羞恥心が増し耐えられなくなった彩夏は、その視線から逃れるように目を泳がせると「深彗君、ちょっと歩こう」と言って歩き始めた。

 深彗は、彩夏の隣を歩きながら横目で彼女を盗み見た。ふと彩夏の長い髪がふわりと風に舞いあがり深彗の頬をそっと撫で、ドキリと胸の高鳴りを覚えた。

 その刹那、彩夏の髪から甘い香りが漂い深彗の鼻腔をくすぐった。

 

 いつもは夕暮れ時にもなると、人気のない銀杏地蔵。今日は年に一度のお祭りで銀杏の大木と地蔵の祠をぐるりと一周するように露店が隙間なく軒並みを連ね、人々で賑わいを見せている。

 今日の銀杏の大木は特別にライトアップされ、黄金色に輝く銀杏の大木はいつもに増して幻想的だった。

 黄金色に輝く鈴なりの大木を見上げる彩夏は、少し前の出来事を思い返す。


 深彗は彩夏の腕を引き寄せ互いに向かい合った。

『彩夏……僕も君の笑顔が見てみたい……』

 彩夏の瞳から止めどなく涙が溢れ出る。

『彩夏……苦しい時、我慢をしなくていいんだよ……困った時、助けを求めていいんだよ……君は一人じゃない……』

 深彗の声が震えていた。

 深彗は背を向ける彩夏の手をとり胸に引き寄せ、華奢な肩を両腕で抱きしめた。

 金色に輝く落ち葉の絨毯の上に寄り添うように佇む二人の少年と少女。

 黄金色の銀杏の葉がまるで雪のように絶え間なくひらひらと舞い落ちる。

 静寂な中、川のせせらぎだけが聞こえてくる。

『だから、お願いだ、彩夏……僕から離れようとしないで……僕が君を守るから……』

『深彗君……』

 彩夏は深彗の胸の中で彼を見上げた。

 深彗は彩夏の額に己の額をそっと重ねると、瞳を閉じた。


 思い返しただけでも頬に熱を帯びていく。銀杏の大木を見上げる彩夏の横顔を、じっと見つめる深彗。

「……綺麗だね……」深彗は彩夏を見つめながらそう言った。

「本当に綺麗……」

 彩夏は瞳をきらきらさせ、銀杏の大木を見上げたまま答える。

 深彗は笑って続けた。

「君のことだよ」

 その刹那、彩夏の心臓がキュンと跳ね上がり視線を銀杏の大木から深彗に移した。

「深彗君……」

 いつもと違う深彗の熱っぽい視線に気恥ずかしくなってしまい言葉が出てこない。

 彩夏は頬が火照っていくのを感じ、暫くは顔を上げることさえできなかった。


 地域住民が地蔵の祠に手を合わせていた。彩夏はあることを思い出した。

「深彗君、こっちに来て」

 そこでは皆足を止め何かを眺めているようだった。それを眺めている人たちは眉間に皺を寄せる人や、口をぽっかり開けたまま見入る人、怖いと泣き出す子供まで様々だった。彩夏は二人のスペースを確保すると、深彗を呼んだ。

 目の前には人の背丈ほど大きな三枚の掛け軸が展示されていて、細かな絵が描かれていた。

「古い昔から伝わるこの絵は、地獄絵図っていって年に一度だけこの日に開帳されるの。生きている時に悪いことしたら地獄に落とされるという戒めの絵なの。結構グロイけど」   

 深彗はまじまじとその絵を見つめた。三枚の絵は繋がっていて下の方には地獄の様子が、上には天界が描かれていた。

 地獄に落ちた者たちは怖い鬼に追いかけられる者、血の池に鎮められる者、針の山を歩かせられる者、閻魔様の前で審判を受ける者。この絵は確かに一度見たら忘れられない程の怖さを感じる絵だった。

「きっと、昔の人はこの絵を見て人のあり方や倫理を学んだのだろう」

 深彗が関心を寄せているようだった。

「銀杏地蔵はね、人がこの世を去る時に魂が迷わないよう導く役割があるんだって」

「きっと私は、地獄に落ちるだろうな……」

 彩夏がぼやく。

「どうして、そんなこと言うの?」

 彩夏の発言に深彗が強く反応した。

「心を偽って生きているから……」

 彩夏は寂しそうにそう呟いた。

「そんなことない。僕は知っているよ。本当の君を。だから安心して」

 さり気なく話したようだけど、その言葉には深彗の思いが込められているように感じられた。

「深彗君、お店見てまわろう」

 そう言って振り返る彩夏の瞳には、いくつもの露店の明かり映り込み夜空の星を写したような瞳はきらきらと輝きとても綺麗だった。

「私、お祭りで絶対買うものがあるの。なんだかわかる?」

 そういって子供のようにはしゃぐ彩夏は実に愛らしく、深彗はいつまでも見つめていたいと思った。

 深彗は、りんご飴屋の前で立ち止まると「ここでしょ」と笑って言った。

「どうして分かったの?」と彩夏は驚きを隠せないようだった。

 色とりどりの飴にコーティングされたりんご飴がずらりと並べられていた。パステルカラーのピンクや紫、宝石のようなブルー、グリーン、イエロー、レッド、色とりどりの飴は甘い香りを漂わせ、まるで花畑に咲き誇る花のようで見ているだけで彩夏の心を躍らせた。

 深彗は迷うことなくりんご飴を一つ手にして「これください」と言った。

 彩夏はそれをただ黙って見ていた。

「はい、君はいつもこれだったね」

 深彗は彩夏に差し出した。

 それは、今日の彩夏の唇のように艶やかで、恥ずかしさに頬を染める彼女の頬のように真っ赤なりんご飴だった。

「え?どうしてわかったの」

 彩夏は目を丸くしながら質問した。

「どうしてかな」

 深彗はおどけた表情で答えた。彩夏はそんな見たことのない深彗の表情を見て、声を出して笑った。

 心から楽しそうな彩夏の笑顔は眩しくて。それは深彗がずっと見たいと願った彩夏の笑顔。

 ――楽しそうに笑う君を、ずっと見ていたい……

 深彗は心の底からそう思った。


 少し歩き出すと、彩夏の目の前に小さな子供が飛び出し、衝突を避けようとした瞬間、足元がふらつきよろめいた。気づけば深彗の腕の中に包まれていた。

「彩夏、大丈夫?」

 その言葉に彩夏はサッと深彗から離れた。

「助けてくれてありがとう」と俯きながら返答した。


「あれ?彩夏じゃない?久しぶりー!」

 彩夏が怖れていた事態が起きた。小学校の同級生に会ってしまったからだ。同級生の女子二人は、懐かしむように声を上げ笑顔で彩夏のもとに向かってきた。

 だが、彩夏は久しぶりの同級生に会うことに怖れを感じた。小学生時代のあの出来事がトラウマとなり、あの頃に戻ってしまったような気がして、何故だか足がすくんでしまった。同級生はこちらに向かってくる。

 ――どうしよう……

 心臓の鼓動は早くなり言いようのない不安に襲われた。

「彩夏、行くぞ!」 

 深彗は突然彩夏の手を取り駆けだした。彩夏も深彗に引かれるように駆けだした。

 どれくらい走っただろうか。銀杏の大木が見えなくなっていた。

 

 二人は走るのを止め立ち止まると、呼吸を整えた。

「彩夏、ちょっと寄り道」

 深彗はそういうとコンビニエンスストアに入っていった。彩夏もその後に続いた。

「どれにする?」

 いきなり深彗にそう聞かれ彩夏は何のことかと戸惑っていると

「ソフトクリーム、食べたいんだ」

 深彗はあどけない表情でそう言った。

「じゃ……私は、バニラ」

「そしたら、僕は……チョコ」

 何やら嬉しそうな深彗だった。

 二人はソフトクリームを食べながら歩き始めた。

 彩夏は、白猫ミィのことを思い出し微笑んだ。

 ――そう言えば、よくここで買ったソフトクリームをミィと分け合って食べたなあ

「彩夏、早く食べないと溶けちゃうよ」

 深彗の言った通り溶け始めていた。

 彩夏は口に含むと、口いっぱいに広がる甘みが白猫ミィとの思い出をより鮮明に思い出させてくれるように感じた。

「彩夏、バニラ味美味しい?」

「うん」と嬉しそうに頷いた。

「そうか……バニラ味も食べてみたいな……」

 深彗は彩夏を覗き込むようにして呟いた。

「いいよ」

 彩夏は、深彗のチョコ味と交換してあげた。深彗はバニラ味のソフトクリームを美味しそうにパクパクと食べ始めた。

「う~ん、やっぱり美味しい。彩夏、チョコ味も美味しいよ」

 深彗に進められ一口含むと、濃厚なチョコレートの風味が口いっぱいに広がった。

 そういえば、ミィが居なくなってからというもの、ソフトクリームを食べる機会はなくなった。

 ――ミィ、今頃どうしているかな……ミィに会いたいな……

「彩夏、何か気づかない?」

 深彗が彩夏の顔を見てにやりと笑った。

「ん?何のこと?」

 彩夏は小首を傾げる。

 深彗が彩夏の顔とチョコとバニラのソフトクリームを交互に見つめた。

「彩夏……これって、間接キスだよね……」

 深彗の言葉に彩夏は目を丸くした。その意味をようやく理解した彩夏は、一瞬で沸騰し頬を分かりやすいくらい紅潮させた。

 深彗にまたもやはめられたとばかりに、何も言えなくなってしまった彩夏だった。


 ややあって、思い出したように彩夏は話始めた。

「あの、深彗君……さっきは助けてくれてありがとう」

「ん?何のこと」

「あの場から私を連れ出してくれて、本当にありがとう……でも、どうして分かったの?」

「ん?僕はただ君と……ソフトクリームが食べたかったんだ。ただそれだけだよ」

 深彗の言動はいつだって唐突で、彩夏の心は揺れ動かされてしまう。

 日はとっくに沈んだのに、とても明るく感じる夜だった。

「彩夏、見て!満月だ!」

 深彗が指さす夜空を見上げると、そこには煌々と満月が煌めいていた。

「うわー!なんて綺麗……月のウサギはお餅をついているのかな」

「彩夏はそういうの信じるタイプ?」

「うん、私って単純だから」

「実は僕……満月を見ると狼男に変身してしまうんだ!う~!彩夏~!早く逃げないと君の身が危険だよ~」

 深彗は唸り声をあげて狼男になりきっていた。

「キャッ!狼男になんか、そう簡単には捕まらないわよ!」

 彩夏は近くの公園に入り、深彗につかまらないように駆けた。

「まて~彩夏~!」

「キャハハハハ!捕まるものですか!」 

 深彗は追いかける。彩夏は右へ左へと駆け回り、二人はまるで幼い子供のように夜の公園ではしゃいだ。

「捕まえたぞ!彩夏~覚悟しろ~」

 彩夏は狼男に腕を掴まれた。

「ギブアップ!」

 二人は、呼吸を整えながら微笑あった。

「ねぇ彩夏……僕と付き合わないか?」

 深彗の唐突な告白に、いつもの悪質な冗談と捉えた彩夏は聞き流した。

「また、そうやって揶揄うのやめてくれる?」

「彩夏……初めて会った時から、君のことが好きだ……」

 思わず顔をあげると、深彗は射抜くような眼差しで彩夏を真っすぐ見つめていた。

 深彗は、彩夏の手を引き寄せ腕の中に閉じ込めると、その華奢な背中に腕を回し抱きしめた。

 突如、深彗の温かな胸の中にスポっと包み込まれた彩夏の心臓は、早鐘を打つ。

「ずっと君の傍で、君だけを見つめていたい……」

「深彗君……」

 深彗のその言葉は魔法のようで、胸の奥が熱くなり涙が止めどなく溢れ出てきた。


 深彗君は――

 いつだって優しい眼差しで見守ってくれる人。

 深彗君は――

 困った時、手を差し伸べて助けてくれる騎士みたいな人。

 深彗君は――

 いつも傍にいて決して彩夏を独りぼっちにしない人。

 深彗君は――

 まるで陽だまりのようにあたたかい人。

 深彗君は――

 ちょっぴり悪戯で憎めない天使みたいな人。

 深彗君は――

 惜しむことなく無償の愛で包み込んでくれる人。

 深彗君は――

 唯一無二のかけがえのない人。


 彩夏は深彗の胸の中に顔を埋め、まるで幼子のように泣きじゃくる。

 深彗の腕に力が籠る。

「彩夏……」

 彩夏の傷ついた心は深彗の無償の愛に包まれていく。

「深彗君、ありがとう……」




 僕は 君に恋をした


 たとえ実らない恋だとしても


 永遠に叶うことのない 儚い夢だとしても


 僕は 君が好きだ


 君だけを ずっと見つめてきた


 だから 抱えきれない程の愛を君にあげる


 もしも一つだけ願いが叶うのなら


 もう一度 君のその笑顔を見てみたい

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