第9話 風の噂
かつて学園で一緒に学んだ隣国からの留学生達は、次々と故国に帰っていった。この国に住む親族を頼って亡命してきていた隣国の貴族達も、故国へと旅立った。
高位貴族女性の刺繍の会に、私は講師として招かれた。参加者の大半が、かつて私が、彼女たちの代わりに刺繍の作品を仕上げた令嬢達だった。学生時代のお小遣い稼ぎが、仕事につながった。嬉しいはずが、悲しかった。
「私達に出来ることなどごく僅かです。せめて出来ることをと思いました時、あなたのことを、思い出しましたの」
刺繍を刺すために集まったのは、隣国と縁のある方々だった。彼女たちの家族や婚約者が、隣国にいた。不安を覆い隠す微笑みは、儚く悲しく美しかった。
私は、隣国に帰った家族や婚約者のために、刺繍を刺す事ができる彼女たちが羨ましかった。不安を慰め合いながら、お互いを励ますように、家族や恋人の無事を願う言葉を交わす、彼女たちの会話に、私は加わることが出来ない。
私の親友は、病死したと公表されている。私は、他人の白骨が横たわる親友の墓に、安らかな眠りをと、祈るふりをしながら、無事を願うことしか出来ない。
刺繍の会では、断片的な戦況しかわからない。もどかしく思い始めた頃、隣国での様子が、少しずつ伝わってくるようになった。
反乱軍はいつしか、救国軍と呼ばれるようになり、軍を率いる若い将軍のことが、この国にも伝わってきた。亡くなられた王太子によく似た相貌だという話も、耳にするようになった。
救国軍は、王権を取り戻すべく王都に迫っていった。王都や王宮を守るはずの騎士たちも、次々と救国軍へ加わり、隣国は根幹から揺らぎ始めているようだった。王権奪還も間近だという噂に、私の胸は高鳴った。
先代公爵夫人が、その噂を耳にされたらどのように思われたのだろう。私は、親友だけでなく、親友の隣に葬られた先代公爵夫人のためにもお祈りを捧げるようになっていた。
私は、亡くなられた娘の親友として、先代公爵夫人をお見送りした。
晩年、先代公爵夫人は、たくさんのことを忘れてしまわれた。それでも私のことは、覚えていて下さった。それが嬉しくて、悲しくて、私は何度もお見舞いにいった。
「あの子のことをお願いね」
起き上がることもできなくなり、食事を摂ることもできなくなり、夫や息子のこともわからなくなった老女は、やせ衰えた手で、私の手を握り、何度も同じ事をおっしゃった。
「はい。わかりました」
その度に、私も同じ言葉を返した。それ以外に、何を言えたのだろう。
先代公爵夫人の葬儀で、私はかつて、親友の葬儀に参列したときと同じ、先代公爵夫人から頂いた喪服を着ることを選んだ。先代公爵様は、私にこれからもお屋敷に来て欲しいというお言葉を下さった。私は、先代公爵様のお言葉に甘えた。
隣国からの噂は、やがて噂でなく、使者として、この国を訪れた。
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