第10話 隣国からの使者
隣国からの使者は、新国王の即位を宣言した。国王陛下は、隣国の新たな国王就任を祝福した。
隣国の新国王は、救国軍を率いていた若い将軍だ。聞き慣れない名前に、私は、若い将軍が誰であるかを、考えることを止めた。
親友には、生きていて欲しい。もう一度会って、元気かどうか確認したい。だが、公爵家の御令嬢として生きて死んだこの国に、親友が帰ってくることはないだろう。過去は葬られたのだ。
隣国の国王執務室には、紋章を刺繍で刺した見事な旗が飾られているらしい。遠い日に、臥せっておられた先代公爵夫人の傍らで仕上げた私の大作だと、私は思うことにした。私が預けたあの作品を、先代と当代の公爵様達が、親友の元へ届けてくれたと、信じることにした。
隣国は、度重なる内戦で荒廃している。新国王には是非とも、政に真剣に取り組んでいただかねばならなかった。隣国が、さらに荒廃したら、大変なことになってしまう。新国王が、彼が首を討ち取った先王と同じように、愚王と罵られ、誰かに首を討ち取られてしまうかもしれない。それはあまりに悲しすぎる。
隣国のことは、隣国のことだ。御令嬢方の刺繍の教師として、日々忙しく、あちこちのお屋敷にお邪魔している私の生活が、変わるわけではない。
逆に、私の周りは、日々変化していった。
一番の変化は、両親の死と、先代公爵様の御逝去だ。
両親は、領地の水害に苦しめられた。後半生を領地の水害対策に捧げた両親のお陰で、領地は豊かな実りを得るようになった。治水工事の資金を融資して下さったのは、先代公爵様だった。
無利子無担保返済期限無しの融資を、返済した両親を、私は誇りに思う。二人が亡くなってから、兄は私に教えてくれた。両親らしい気遣いに、兄と一緒に泣いて笑った。
既に老境であった先代公爵様には、私の両親の死をお伝えすることは避けた。ただ、兄夫婦と一緒に、御礼を申し上げた。
既に、先代公爵様は、先代公爵夫人と同じように、多くのことを忘れておられた。それでも、感謝の気持ちはお伝えしたかった。
先代公爵様も、ありがたいことに、実子ではない私のことを最期まで覚えていて下さった。なんとも困ったことに、先代公爵様のご記憶の中で、私は、親友と結婚し、公爵家に嫁入りしたことになっていた。
「あの子のところに、嫁いできてくれてありがとう」
愛娘に先立たれ、奥方様に先立たれ、愛娘の忘れ形見を戦地に送り出した先代公爵様の胸の内を思うと、私は、お言葉を否定する事ができなかった。
「あの子のことを、よろしく頼む」
辣腕で知られた老人は、やせ衰えた手で、私の手を握り、奇しくも先立たれた先代公爵夫人と同じ言葉を口になさった。
「はい。わかりました」
私は、かつてと同じ言葉を返した。
私はまた、同じ喪服に袖を通した。祈りを捧げるお墓が一つ増えた。寂しかった。
先代公爵御夫妻を見送り、両親も世を去り、私は、いつの間にか、行き遅れとなっていた。爵位を継いだ兄夫婦は、私に特に何もいわなかった。自分の食い扶持を稼ぎ、実家の家計も助ける私に、少しは自分のために金を使えと言う程度だ。身を飾ったところで行き遅れの私だ。何が変わるわけでもない。変わりたくもなかった。
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