第7話 親友の願い

「お願いがあるの。これを刺して欲しいわ」

私は、親友が差し出す一枚の絵を受け取った。隣国の王家の紋章だ。今の国王が国王となる前の紋章だ。今の国王は、王権簒奪とともに、全てを塗り替えた。


 私は、親友からのお願いを引き受けた。何も言えなかった。絵からいきなり刺繍を刺すことは難しい。一度図案にし、適切な布を選び、糸の色を吟味した。


 私は、かつて兄に贈ったのと同じ、騎士服の胸ポケットに入るサイズのハンカチに、意匠を施した。本来は大きな布地に刺繍されるべき図案を、小さな布に刺すのは容易ではない。全てを再現することはできず、一部は簡略化したが、私はやり遂げた。目が良いという加護を授けて下さった神に、私は感謝した。


 紋章が何を意味しているか、私も、親友も口にはしなかった。

「ありがとう」

仕上げた作品をお渡しした時、親友の作り物ではない、低い声を、私は初めて聞いた。


 決意と迷いで揺れる瞳に、私が映っていた。私は、無力な自分が悲しかった。茨の道を歩まれる方の、隣に立つ勇気がない自分の存在が虚しかった。


「お元気でお過ごしくだされば、それで十分です。私達は親友ではありませんか。どうかご無事で。お元気で」

ご武運をとは言いたくなかった。お帰りをお待ちしていますとは言えなかった。親友は、泣きそうな顔で頷いてくれた。


 数日後、公爵家から連絡があった。親友が亡くなったという連絡だ。私が予想していた未来が来た。公爵様は計画の実行を決めたのだ。私は私の役割を果たす決意をした。


 学園を休んでいた親友の死の知らせに、喪服をあつらえる間もなく駆けつけた私を、公爵御夫妻は温かく出迎えて下さった。一緒に涙を流して下さった。


 葬儀には、公爵夫人が、御自身がお若いころに誂えたという喪服を貸してくださった。上質だが古めかしい喪服に身を包んだ身分違いの親友の私は、親友の若すぎる死を嘆き、涙を流した。


 多くの人が、若くして亡くなられた公爵家の御令嬢の悲劇に、涙した。棺の蓋は固く閉ざされ、誰も見ることが許されなかった。参列者には、病気で窶れてしまったからだと説明された。若く美しい方を襲った病魔の残酷さは、人々の涙を誘った。


 葬儀のあと、私は公爵夫人にお声がけをいただいた。形見分けに頂いたのは、親友の長い髪の毛だった。親友は、隣国の国王、祖父と父を殺した男から身を守るため、髪を伸ばし、ドレスに身を包み、作りものの甲高い声で話をしていた。


 私の親友は、髪を切り、偽りの人生を終わらせた。

「あなたに、持っていて欲しいの。あの子もきっと、そう望んでいます」


 公爵夫人が、打ちひしがれたご様子で、涙を流しておられたのは葬儀の時だけだ。私の前にいるのは、全てを知り、覚悟を決めた一人の女性だった。きっと、親友の決意を支えたのだろう。公爵夫人の毅然としたご様子に、私は、高位貴族女性の覚悟を見た。


「ありがとうございます。あの方と過ごした日々を、私は決して忘れません」

「ありがとう。ぜひ、これからも来てくださいな。夫が隠居を決めたの。これからきっと寂しくなるわ。あなたと一緒に刺繍をして過ごす時間は楽しかったわ。これからも一緒に刺繍を刺しましょうね。娘の思い出話を一緒にできたら、私も夫も喜びますわ」


 公爵夫人のお言葉に、私は頷いた。公爵夫人が、同じ秘密を胸に抱えた者同士、語り合える場を用意してくださることが嬉しかった。


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