【11-3】

 その後、あれよあれよという間に日々が過ぎていった。

 そして、とうとうやって来てしまった、今日という日。私は、鏡に映った純白のウエディングドレスを身に着け、夢でも見ているように呆然と立ち尽くす自分の姿を愕然とした気持ちで見つめている。

 お父様の本気マジのご命令には、さすがの私も逆らえないのだ。


 ――このまま結婚しちゃうの? この、泣く子も黙る黄川田きかわだ真奈美まなみともあろうものが?


 お父様がいない今なら、ここから逃げ出せるかもしれない――。

 そのとき、ふと脳裏に浮かんだのは、とある男の名。ぼんやりと考えごとをしている私の耳に突然飛び込んできたのは、争いを繰り広げるかのような騒然とした男たちの声だった。

 廊下から聴こえて来る怒号にも似た男たちの云い合いに、胸騒ぎを憶えた私。

 ドレスの裾を思い切り引き摺って控室のドアを開け、勢いよく式場の廊下へと飛び出した。


「あれは……近藤こんどうさんじゃない!?」


 ここは、私の知る限り、日本でもその広さと格式において有数な結婚式場である。

 そんな、とにかく広大な式場の果てしなく長く続く廊下を、はるか彼方から突き進んで来るひとりの男がいた。私の視力2.0の目が捉えたその姿は、見紛うことなき近藤さんのそれだった。

 雛地鶏家お抱えの伊賀者にんじゃたち――香取かとりとかいう名前の忍者の手下ども――が、彼の行く手を阻もうとする。

 が、さすがは優秀なサラリーマンでデキル後輩の近藤さんだ。数名の下ったちの攻撃を、私が見ても惚れ惚れするほどの卓越した身のこなしで颯爽とかわしたかと思うと、次の瞬間、いくつかの武芸の技がミックスされた不思議な技で、下っ端どもを一瞬にして倒してしまった。

 いつぞやの潜水艇の一件で彼の優秀さはわかってはいたものの、その理解をはるかに上回る、武道の達人らしい。空手をある程度たしなむ私から見ても、足蹴りのスピードや手刀の切れ味、ともに抜群である。


 ……確かに近藤さんの動きは素晴らしい。

 けれど今の私にとって、そんなことよりももっと気掛かりなことが、ひとつあった。


 ――アイツは、いないの?


 近藤さんがここにいるということは、さっき私の頭の中を過ぎっていった彼――榊原さかきばら祐樹ゆうき――が、ここにやって来ていても不思議ではない。私は目を皿のようにして、祈りにも似た気持ちで廊下で奮闘する人々の顔を見定めていった。


 ――いた!


 近藤さんに比べたら、ちょっとカッコ悪い感じは否めなかった。

 まるで大人にかばわれている子供のように、長身の近藤さんの背中に隠れながら、榊原祐樹がこちらに向かって進んで来る。

 そんな榊原祐樹アイツが、私の立つ位置から20メートルくらいの場所に、ようやく近づいてきたときだった。

 雛地鶏家お抱え忍者のおかしら香取かとり大五郎だいごろうが、細長くて白っぽい結婚式場の廊下という世界では一際目立つ茶色の忍者服に身を包み、二人の前に立ち塞がったのだ。


「さすがは、我が好敵手ライバルの近藤殿……。だが、悪足掻わるあがきもここまでのようだな。何しろ多勢に無勢、しかも人数の多い方が、我々、訓練を存分に受けた忍者なのだ。そちらに勝ち目など――万に一つもない」


 その言葉を待っていたかのように、どこからともなく、わらわらと現れた黒服の男たち。

 あっという間に、近藤さんと榊原祐樹は、黒服の目だけを露わにした多くの下っ端忍者どもに囲まれてしまったのだった。

 しかし、そんな忍者たちに怖気づくことのない近藤さんが、ニタリと笑う。


「いや……そうでもないと思いますよ。何せこの私、空手は師範代の腕前で、柔道は三段、合気道二段、それに将棋も三段なのですからね……。そう簡単には倒されませんよ」

「そうだ、そうだ」


 近藤さんの「将棋三段」という言葉に、集まった忍者たちが一斉にズッコケた。「これだから素人は……」という雰囲気が、辺りに充満した。

 しかし――それにしても、だ。

 デキル近藤さんを盾代わりにして「そうだそうだ」とわけの分からない合いの手を挟む榊原アイツが、どうにも歯痒はがゆく、憎たらしい。思わず足元の純白ハイヒールを脱ぎ取って、そのままそれを榊原アイツの顔のド真ん中に叩き込んでやりたくなる。


「あははは……。いやあ、面白いことを云うなあ、近藤殿は。冗談としてはなかなかのものだよ。だが、この私も伊賀流忍者のかしらのひとり。我が主人である雛地鶏様のご命令は、命にかけても遂行する。よって――」


 香取が腰を落とし、身構える。


「そなたたちを、これ以上先に、一歩たりとも進めさせることはできぬ」



 ―後編に続く―


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