【11-2】

 ――今、思い出しても背筋が寒くなる。

 それほど、この前の結納は大変だったのだ。本当に……。

 お父様の着せ替え人形と化した私は、暖系色で派手な色遣いの着物を身に纏い、重い足取りで貸切の料亭へとたどり着いた。しかし、料亭の係の人に案内された部屋にいたのは、なぜか雛地鶏家のご両親と私のお母様だけだった。


「失礼します……」


 席に着いたものの、なぜかお父様と、相手の男はいつまでたっても現れない。まるで流れる時間に抗うかのように、かっこんかっこん、鹿威ししおどしが鳴り響くだけだった。

 正座を続ける私の両足がジンジンと痺れかけた、そんな頃。

 漆塗りのテーブルを挟んで続いた重苦しい沈黙を破ったのは、私の隣に座るお母様の口だった。


「いや、どうしちゃったんでしょうね、ウチの人……。すみません、もうそろそろ始めてしまいましょうか」

「いえ、こちらこそすみません。ウチなんか、当の本人が来ていないんですもの……誠に申し訳ないです」

「あ、そうですね。本人がいないのでは、結納なんてできませんよね」

「まったく、そのとおりですわ」

「おほほほほ」「あはははは」


 二人の母親が、豪快に笑い合う。

 私には好都合だが、なんだか、にっちもさっちもいかない状況になった。そんな状況ならばと、私もどさくさに紛れて声を上げてみる。


「あら、それでは今日の結納は中止……いえ、延期といたしますか?」

「いやいや。もう少し待ってみましょう、真奈美さん」


 何代目かはわからないけれど、雛地鶏家当主のお父様がこれ以上ない苦笑を浮かべた、そのとき――。

 思い出すのも忌まわしい、一連の出来事が始まったのである。


「ふっふっふっふ……」


 何処からともなく――いや、絶対にあの部屋の中ではあったけど――湧きあがってきたのは、不気味に笑う、男の低い声だった。いつかどこかで聞いた気もするが、あまり聞きたくない感じの声でもある。

 と同時に、部屋の片隅で花が生けられている花瓶とその台座だと今の今まで思っていたものが私の眼前でムクムクと動き出し、暗褐色の花瓶側面に、人間の『白目』と『口』が忽然と現れた。

 しかし、変化はそれにとどまらなかったのである。

 花瓶の置かれた台座の左右から白タイツに覆われた合計4本の手足がにょきっと飛び出したかと思うと、そのまま花瓶と台座がすっくと立ち上がったのだ。

 いや、花瓶と台座というよりは、そういう格好をした人間のようなもの、と云った方が正確か。とにかく、こうやって私の目前に現れた゛謎の物体゛が、その口を動かす。


「お集りの皆様……先ほどから、なにをおっしゃってるんです? 私なら、もうずっと前からこの部屋に居りましたよ」

「そ、その声は雛地鶏ひなじどりけん!」


 思わず彼の名前を『さん付け』せずに叫んでしまったほどの衝撃が、私を貫いた。

 と、同時に、私の叫び声が真昼間の高級料亭の広い敷地の中で轟き渡った。私ともあろうものが、それ・・に気付かなかったとは……。誠に不覚であったとしか云いようがない。そんな私と同じ思いなのか、顔を青くした雛地鶏家のご両親が口をあんぐりと開けたまま、呆然としている。

 でも、それも束の間だった。

 まるで信号が切り替わるかのように、今度はあちらのお母様が顔を真っ赤にして、怒り出したのだ。


「ちょっと、謙ちゃん! あんた何やってるのよ!」


 しかし、全身タイツで頭が花瓶、腹が四角い木箱でできたその男は、まるでそれが予定調和だと云わんばかりに冷静にその言葉をあしらったのである。


「まあまあ、母上ははうえ……。自分の息子が奇抜な変装をして息を潜め、結納の席に忽然と現れただけですよ。落ち着いてください」

だけ・・って……あんたね! 今日は大事な結納の――」


 そんな、母の言葉ですら、彼を動揺させるには至らない。

 雛地鶏家の次期当主は、右のてのひらをかざして自分の母親の言葉を途中で遮ると、私の母親・・に向かって、こう云ったのである。


黄川田きかわだ家のお母さん――いや、お父さん。最初から、私は分かってました。お母さんだと見せかけて、本当はお父さんなんですよね、あなたは……。素晴らしい変装術、そして変声術です。この不肖、雛地鶏 謙、感動いたしました」

「ほほう……よくぞ見破ったな、謙君。さすがは、私が見込んだ婿殿むこどのだ」


 その声は、確かに私の横にいる゛お母様゛の口から放たれていた。

 混乱する私の横で、つらの皮がベリベリと剥がされていき、一瞬にして、女装和服姿のお父様になった。正座を崩し、大胆に胡坐あぐらをかく。花瓶男は、そのお父様に向かって、恭しく頭を下げる。

 私も向こうのご両親も腰が抜け、口がきけない放心状態で、この怪しげな二人の男どもを交互に見遣ていた。


「成りきりの術だね。君も腕を上げたようだな、謙君」

「お父さんの超一流の変装わざには、とてもかないませんよ」

「いやいや、それほどでも……。しかし、君とは上手くやっていけそうだ。これからもよろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 満面の笑みで歩み寄った二人が、固い握手を交わす。

 それから、私と雛地鶏家のご両親を置き去りにして、声高らかに笑い合った。


 ――何だ、これ。


 結納の席で、妙な『術』を戦わせる、二人の男。

 変なところで気が合っちゃってる――などと呆れているうちに、いつの間にか結納は滞りなく終わってしまう。

 変装が取り持った縁、とでもいうのだろうか。

 今回は、私も気付かなかったくらいだし、二人とも腕をあげていることは認めざるを得ないところだが、何とも云えないもやもやと気持ちが沸き上がっていた、そんなとき。

 とんでもないことに、私は気付いてしまったのである。


 ――っていうか、お母様はどこにいるのよ? お母様抜きでこの結納は成立するの?


 もしかしたら、その辺の家具とか備品に変装しているのかもしれないと、部屋中を探ってはみた。けれど結局、お母様の姿はどこにもなかった。


「どうしたんだい、真奈美。もしかして、お母さんを探してるのかい? 馬鹿だなあ、お母さんが家具とか、そんな変なものに変装しているわけないじゃないか……。今日は、どうしても買いたいハンドバッグの特売があるとかで、デパート入口に開店前から並んでたんでここには来れなかったというだけさ。心配するな」

「……へえ、そうなんだ。でも、ウチの財力があれば、別にデパートに並ばなくても――」

「母さんは、昔からバーゲンに並んでお買い得なものを争って買うことが生きがいなんだよ。その辺、理解してあげないとだめだよ」

「……はあ」


 娘の結納より大事なバーゲンセールがあるのだろうか……。

 いろんな意味で、暗澹あんたんたる未来を感じざるを得ない、私なのだった。


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