【10-3】

「では、ここで……最終問題に入る前に、一応・・、得点の確認をしておきましょうか」


 先ほどのまでの盛り上がりはどこに行ってしまったか、司会者は冷めた目をして、そう云った。

 巨大なスクリーンに映された数字スコアが、その態度の理由を示している。


 【 榊原 0 - 雛地鶏700 】


 当然――と云ってもよいと思うのだが――僕は1問も正解できなかった。

 事態は圧倒的に雛地鶏に有利――というか、勝敗は既に決している。そんな僕たちを、真奈美さんは能面のように表情を動かさずに、見下ろしていた。


 ――もういい。さっさとお開きにしてくれ。


 そんな風に思って肩を落としていると、司会のアナウンサーが云った。


「ということで、最終問題です。……おーっと、ここで黄川田会長より素晴らしい提案がありました。急遽ルールを変更し、最後の問題の正解者には『5000点』を差し上げるということであります! なんとびっくり、これなら榊原氏にもチャンスはありますね。さあ、盛り上がってまいりました。お二方とも、頑張ってください!」


 ……出たよ。クイズ番組の王道、一発逆転クイズ。

 これはとんだ茶番だ、と猛抗議する雛地鶏を尻目に会場は大いに盛り上がる。

 でも、何だか逆に僕もやる気が失せ、黄川田会長に抗議の視線を送った。しかし会長は、まるで『これは君のためにやったんだよ』といわんばかりの柔和な笑顔で、僕を見返したのである。


 ――いや、違うから。そんなの、優しさじゃないから。


 会長への再びのツッコミを心の中で入れる。

 その間にも、また例の始まりの合図の音が鳴ったのだった。


 じゃじゃん!


「では……10問目。黄川田会長のご提案によりまして、この問題は『一発逆転スペシャルクイズ』となります! さて、こんなに『モテモテ告白されまくり人生』の真奈美お嬢様ですが、実はたったひとつだけ、体のある部分に『ほくろ』があるのだそうです。さて、それはいったいどこにあるでしょう、か?」


 ちっちっちっちっち……。


「うわ、さすがにそこまでは大五郎にも調べがついてない!」


 どうやら、この一発逆転スペシャル問題は、雛地鶏も慌てふためくほどの難問であるらしかった。スタンドの方から、「なによ、この問題は!」とかいう、真奈美さんらしき女性の悲鳴が聞こえたような気もするが、きっと気のせいだろう。

 どっちにしても、こんな問題わかる訳ないじゃん――と、半分諦めの境地に達した僕だったが、クイズ回答の制限時間は、もうすぐそこに迫っていた。


 ちっちっちっちっち……。


 ――ええい。もう、どうにでもなれ!


 ヤケクソで、目の前の赤ボタンをガツンと押す。

 ちょっと力を入れすぎたようだ。突き指したときと同じ衝撃が中指に走り、ジンジンとした痛みが止まらなかった。と同時に、シルクハット型の帽子が派手に揺れ、ピンポン、という機械音がスタジアム中に鳴り響いた。

 数万×2の瞳から発せられる熱視線が、僕の頬あたりに集中する。

 そんな視線に負けじと、僕は自分のインスピレーションを信じて口を開いた。


「右のお尻の、真ん中よりやや上!」


 刹那、妙に重たい空気が、スタジアム全体を包み込んだ。

 真奈美さんが答えを発表する手はずになっている訳でもないのに、何故かスタジアム全体の視線が真奈美さんへと注がれている。


 ――何だよ、この雰囲気は。もしかして、やらかしちまったのか?


 もしかしたら聴衆は、真奈美さん自身からの正解発表を期待しているのかもしれない。だが、真奈美さんに動く気配はなかった。そればかりか、スクリーンに映る真奈美さんの表情が、妙に強張っているのがわかった。

 雰囲気からすれば、どうやら答えは間違いのようだ。そりゃあ、そうだよ。思いつくまま、適当に答えたんだから不正解なのは当たり前である。

 ……それにしても、真奈美さんの表情が強烈に渋い。

 口から出まかせの回答内容、そのものがまずかったのかもしれない。もう少し気の利いた場所の回答ができなかったものかと、自分で自分を責めた。


 ――ああ、もうだめだ。


 前回の『5億年』の悪夢、再び。

 僕の足がガタガタと震え出した、そのときだった。満を持したように勿体ぶった司会者が、声高らかに叫んだのである。


「なんと大正解! 右のお尻というだけでなく、真ん中よりやや上という、至極正確なご回答、誠にお見事でした。榊原氏には、5000点が加算されます!!」


 ワー、という大歓声の中、スタジアムが総立ち状態となる。

 出演者そっちのけで盛り上がるスタジアムの人々が『榊原コール』を初め、ウエーブが巻き起こった。

 何が起こったのかまだ理解できていない僕を横目に、雛地鶏の奴が喚く。


「そ、そんな馬鹿な! 榊原君、どうして君は真奈美さんのそんな秘密まで知っている? もしかして、君は……」

「ち、違う違う。僕は変態でもないし、ストーカーでもない! 実は偶々たまたま――」

「なにぃ!? 君は『偶々』、真奈美さんのお尻のほくろを見たというのか!! ということは、やっぱり君はストーカーということなんだな」

「だから、ちがーう!」


 その瞬間、僕の抗議の言葉は無視され、会場が沈黙に包まれた。

 ストーカーという言葉が、どうやら彼らの態度を変えるキーワードとなったらしい。先程までの歓喜が、壮絶なブーイングへと変わる。


 「この変態!」「どスケベ!」「ストーカー!」「いや、ノゾキよノゾキ!!」


 なんという薄情さ。

 というか、なんという移り身の速さ――。

 ころり、180度の転換を見せる群衆心理の恐ろしさを、まざまざと見せつけられた気がした。


 するとそのとき、スタジアムのバックスクリーン下にいた真奈美さんが、すっくと立ちあがった。真奈美さんの華奢な体が、すべての喧騒を吸い込んだ。再び、スタジアムに森閑とした雰囲気が戻った。

 そんな静けさまで味方にし、それを身にまとった真奈美さんがゆっくりと歩き出す。

 鮮やかなワインレッドのドレスが、優雅に揺れる。

 その一挙手一投足に、スタジアムの注目が集まる。

 いつもながらの美しい姿フォルムにしばし見惚れてしまっていた僕と雛地鶏の目の前に、彼女はやって来た。


「真奈美お嬢様も、現場に到着いたしました……。それでは、勝者の榊原様による告白タイム、始めていきましょう!」


 間違いなくここは、僕にとってアウェイな場所だった。ブーイングの嵐が湧き起こる。

 が、司会者はそんなオーディエンスによる暴力にも似た歓声にもめげず、クイズ大会の進行を粛々と進めようとする。

 と、今までどこにいたのか不思議なくらいの数の『黒子くろこ』たちが現れ、手にした部材で特設ステージを組み始めた。その圧倒的な物量で、光の速さの如くステージが出き上がる。

 その完成を確認した真奈美さんは、司会から何も説明がないまま、当然のような顔をして静々とステージを上ってゆく。純白のシルク生地の布に覆われたステージに、深紅の薔薇が添えられた格好となった。


「さあ、真奈美お嬢様がお待ちですよ。榊原様、どうぞ特設ステージへお上がり下さい」


 気が付けば、椅子に僕の足を固定する縛りは解けていた。

 壇上に上ろうと、階段に足を掛けた途端――。

 それを阻止しようと、雛地鶏ヤツが猛然と僕に向かってダッシュしてきたのである。だが、どこから湧いて来たのか、忍者のような動きの黒子服を着た警備員たちがあっという間に彼を取り押さえ、そのまま何処かへ連行してしまう。


 ――さらば、戦友ともよ。


 夢遊病者のようにふらふらと壇上に移動した僕は、真奈美さんの前に直立した。

 しかし、いきなり告白せよといわれても、ここで発表できるような、粋な告白ワードなど考えていたはずもない。ノープランな僕は、ただただ、狼狽うろたえるしかなかった。

 そんなとき――。


 バチン!


 僕の左頬に、突然、火花が散った。

 どうやら、お嬢様の激しい平手打ちが飛んだらしい。

 全世界へと中継された僕の頬への打撃音によって、恐ろしいほどのブーイングは止み、5億年の時の流れに匹敵する長い沈黙が、スタジアムを支配したのだった。


「サイテーだわ、あなた。どうしてそんなことを知ってる? ……想像すると、身の毛もよだつわ。ああ、背中がゾクゾクする。

 私に告白するのなんて、10億年早い――っていうか、もう諦めた方がいいわね。2度と私の前には現れないで頂戴。それでは、さようなら!」


 台詞を一言も発するチャンスなど、僕にはなかった。

 非情な宣言を一方的にした真奈美さんが、聴衆が異様な盛り上がりを見せる中、ふんわりと優雅な香りだけを残してスタジアムから足早に去っていく。

 一体、この人たちは何に感動し、何に怒るのだろうか。彼ら、彼女らにとって、面白い出来事とは一体どういうものなのだろう。

 全くもって、不可解である。


 抜け殻となった僕を見て、蒼い顔をして戸惑うばかりの司会者。

 そこへ、真奈美さんのお父様――黄川田会長がやって来た。その表情はまるで般若のように恐ろしく、そして海よりも深い悲しみを湛えていた。


「残念だが、榊原君、君とはこれでお別れのようだ。折角、チャンスを与えたというのに……。本当に残念だよ」


 ――これってチャンスだったの? っていうか最後の問題、合ってても間違ってても、結局、告白できなかった気がするんだけど!


 心の底からそう叫びたい気持ちを必死に抑えつつ、背中を丸めながらスタジアムを去る会長の背中を茫然と見送る、僕なのであった。




 キミに届けたい、永久とわの愛を。赤いボタンにしたためた、ハテナマークのラブレター。


  ―続く―

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