【9-3】
目が覚めると、そこは薄暗く狭い部屋だった。
決して雪国でも美しい景色でもない。現実は、小説の世界ほど甘くはないものである。
鼻の穴の中は、気持ち悪いほどのねっとり感を持った粘液で満たされていた。高濃度のクロロホルムにやられたせいだろう。しかしそれよりキツかったのは、後頭部の酷いズキズキした痛みだった。
「いたたたた……」
後頭部を擦ろうと手を伸ばそうとするも、動かない。
それもそのはず、だった。
大きめの肘掛け椅子に座らされた僕の手足が、その椅子に固定されていたのだから。
「ちくしょう、僕をどうする気だ! ここから出せ!!」
力の限り叫んでみたが誰からも返答はなく、ただ、後頭部がズキズキとしただけ。エネルギーを無駄に消費しただけだと思ったら、なんだか情けなくなった。
が、そのときだった。
自分以外には誰もいないと思っていた暗い部屋の中で、聞き憶えはあるが決して聞きたくはない感じの、゛うなされ声゛がしたのである。
「ううん……ここは……どこだ……」
声のした場所は、意外にも自分のすぐ横だった。
そして、この声の感じ――間違いない、
「おい、雛地鶏君……大丈夫か?」
「ん? 聞き憶えはあるが聞きたくもない感じの、その声……もしかして君は、榊原祐樹君なのか!? これは一体、どういうことなんだ。教えてくれ」
「あのねえ、それは僕が訊きたいくらいだよ。まったく、わからない」
「わ、手足が動かない。榊原君、この紐か鎖かよくわからんが、すぐに解いてくれ! それに、この部屋は暗すぎる。すぐに電気をつけてくれ!」
「ぎゃあぎゃあとうるさい奴だなあ……。残念だが、僕も君と全く同じ状態なんだ。何にもできない」
「そんなあ……」
雛地鶏君の悲嘆にくれた声が、狭い部屋に充満した、そのとき。
大地を揺るがす地響きのような大きな音がしたかと思うと、天井が真ん中から真っ二つに割れ、左右に開き出したのである。どうやら、僕たち二人は、地下室に閉じ込められていたようだ。
刹那、男二人が閉じ込められた暗い部屋に降り注いだのは、まるで森の中で池に斧を落とした後に女神が降臨したかのような、まばゆいばかりに輝く黄金色の陽射しだった。
「ま、まぶしい……」
日光は、一瞬だけ僕の視界を再びの暗闇に戻したが、すぐに視界良好な状態へと導いていく。
それと同時に僕の耳に飛びこんで来たのは、大歓声だった。少なくとも、数万人はいる感じの。僕ら二人を縛りつけたまま、じりじりとせり上がってゆく、椅子。
数秒後、椅子がぴたりと止まった。完全に、僕らの体は宙に浮いた状態だった。
すると今度は、足元に鉄板のようなものが2枚、モーター音とともに左右から移動してくる。それは先程まで天井だったものであり、ついにはそれが僕らを支える床となった。
「うわっ。これはいったい、どうしたことだ!」
状況が飲み込めていないのか、やたらに慌てふためく雛地鶏君。
僕も完全に飲み込めている訳ではないが、今ではうっすらとわかる。僕とその横にいる彼とを、誰かが何かで戦わせようとしている、ということが――。
ならば対戦者の顔でももう一度よく見てやろうと、ふと横を見る。すると彼の後頭部に、やや膨らんだ、たんこぶのようなものが見えた。
――うわ、カッコ
一瞬、吹き出しそうになったが、よく考えてみれば、自分の後頭部にもきっとそれがあるのだ。そう思うと、急に笑いが引いた。
何も、たんこぶができるまで叩かなくてもいいのに……。ひどいことをするものだ。
まあ……とにかく今は、自分の後頭部がどのようになっているのか、想像することをやめることにする。
すると、鼓膜をつんざくほどの音量のアナウンスがあたりに響いた。
「レディース&ジェントルマン! 黄川田
3階建てのビルほどもある巨大なスピーカーから放出される、中年男性の声。
明らかに、プロの司会者の声だった。
(後編に続く)
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