【9-2】

 そんなときだった。

 社員食堂に突然沸き起こった、同僚たちのどよめき。

 怯えた表情の女性社員と顔を引きつらせた男性社員の間を掻き分けるようにして、黒服サングラスのいかにもBGボディガードといった感じの屈強な黒人男性三人が、僕のいる席の隅へと進んで来たのだ。

 彼らの視線は、完全に僕を捉えていた。

 どうやら、また僕のお客さんらしい。


「あーゆー、ゆーき・さかきばら?」


 ――なぜ、英語?


 呆気にとられた僕の目の前に山脈のように立ち並んだ外人らしき男たち。その中の真ん中にいた男性が、口を開いたのだ。

 どう考えても、普通じゃない。何をしでかすか、わからない。

 そう考えた僕は、慌ててペンダントを首にかけ、三原さんからもらった箱をスーツの胸ポケットへとしまった。


「い、いえす! ばっと……」


 しかし、僕が声に出して話せたのは、そこまでだった。

 英語がわからないからではない。彼らが、僕の台詞を途中で遮ったからだ。

 三人のリーダー格らしき真ん中の男が残りの両脇二人に顎を使って指令を出し、台詞がまだ途中だった僕の両肩をがっちりと掴ませると、こう云った。


榊原さかきばら 祐樹ゆうき殿、これより黄川田きかわだ会長の命により、貴殿を『黄川田ドーム』へとお連れする」


 ――何だよ、ちゃんと日本語しゃべれるじゃん……。


 しかも、きちんとした日本語アクセントだったから、なんか腹が立った。

 まあ、それはともかく、黄川田会長って誰? 黄川田ドームって何? っていうか、あんたたち誰? なんて疑問を彼らにぶつける暇もなく、まるでお祭りの神輿みこしのように彼らに担ぎ上げられた僕は、食べかけのハンバーグとポテト、それに大好きなブロッコリが載ったランチプレートを置き去りにして、食堂から連れ去られようとしている。

 と、そんなとき、そんな僕の様子を遠くから眺めていたらしい上司、上杉うえすぎ課長が僕に向かって叫んだ。


「おい、榊原主任! どこに行く? 午後の仕事はどうする気だ」

「すみませーん。僕もよくわからないんですぅ……。でも、こういうことになっちゃったんで、あとは課長の方で処理をしてくださーい」

「な、なに云ってんだ! あの取引先は大事な顧客なんだぞ。メイン担当の榊原君がいないと――」

「ここは課長の腕の見せ所ですね。とにかく、よろしくお願いしまーす!」

「うわわわ、待ってくれよ!」

「あ、そうだ。大事なこと忘れてましたよ」

「なんだ?」

「僕のパソコンの電源、つきっぱなしなんですよ。SDGs貢献のため、電源を落としておいてくださーい」

「うん、わかったぁ……じゃない! 今、その話、要るのか!?」


 その後、上杉課長の言葉にならない喚き声のようなものが食堂に響き渡った気がしたのは、夢か幻か。

 けれど、大男たちに担ぎ上げられた状態の僕には、もういかんともしがたい状態なのである。あとは課長の活躍を期待するしか、僕にはできなかった。


 男たちは、僕を担いだまま、廊下に出た。

 もうこうなったら、まな板の上の鯉――じゃなかった、神輿の上の男である。覚悟を決めて、行くところに行くしかないのだろう。

 エレベーターでは、怯える社員たちを蹴散らし、男たちが堂々と占拠。

 こんなにエレベータの天井を間近に見たのは初めてだ――なんて考えているうちに、会社の正面玄関前まで辿り着く。こうやって、とにもかくにも僕は会社を強制的に退去させられた僕は、ようやく神輿から降りることができたのである。


「うわ、すっげえ。これ何?」

「見てわかんないですか? 車ですよ」

「いや、それはわかるって。この車の豪華さが半端ないってことを云いたいの!」

「ああ、そういうことでしたか。ニホンゴ、ムズカシイ……。まあ、豪華なのは当たり前ですよ。なにせ、黄川田会長のお車ですから」

黄川田・・・会長ね。へえ……」


 彼らに両肩を掴まれた僕は、会社ビル前に大きな顔して停まっている黒塗りのとてつもなく長いリムジンカーの後部座席に突っ込まれた。

 どう見ても僕のアパートより広い車内。足元にはとてつもなくふわふわな絨毯が敷き詰められている。運転手までの距離が遠くて、本当にそこに居るのかすらもよくわからないほどだ。小学生男子なら、間違いなくそこで飛び跳ね、はしゃぎ始めるだろう。永遠の小学生と自負する僕は、舞い上がりたくなる気持ちをなんとか抑えつけ、座っていた。

 そのとき、キンと冷えた野太い声が僕の左側頭部で響く。


「失礼……。黄川田ドームの場所は、一般人には秘密なのです」


 それは、僕の左脇に座っていた、先程のリーダー格の男の口から発せられた言葉だった。

 それと、同時。

 僕の後頭部に鈍器で殴られたような衝撃が走り、口もとに当てられた小汚いハンカチから酷く気分の悪くなる薬品臭――恐らくはクロロホルム――が発せられたのが分かった。


 ――何も頭と口、両方やらなくてもいいのに。どっちかで充分、気を失えるって!


 それが、この一連のエピソードでの僕の最期の記憶だった。

 次第に僕から離れていく、意識。それは、足元に敷かれたふかふか絨毯の長い毛並みの奥底へと、沈んで行ったのである。

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