9 クイズ大会でアイラブユー(10億年前) 前編

【9-1】

 5億年――。

 それを言葉にしたら、たった0.5秒で終わる長さである。


「ゴオクネン」


 ほらね。言葉に出したら、やっぱりそうだった。

 そんな、瞬きしている間に通り過ぎてしまうほどの短い時間で言い表せる言葉は、実際にはこの世に生きる誰も経験したことのない、とてつもなく長い年月なのである。


 ――5億年あったら、僕はいったい何ができるだろう。


 ぼんやりと一人佇む、社員食堂。

 今日の日替わりランチプレートを前にしばし手を休めた僕は、少し前に真奈美さんに云い渡された5億年の重みについて、ああでもないこうでもない、と想像を膨らませている。


 5億年――。

 人生なら500万回は経験できて、ハレーすい星なら657万8947回見られて、プロ野球なら大体40億回くらい試合ができて、カップラーメンなら、うーん……かつて通ったそろばん塾の経験を生かしても計算できないけど、恐らくは一生かかっても食べきれないだけの数を、お湯で戻せるだろう。

 そんな、堂々巡りのような妄想の世界を打ち破ったのは、とある女子社員から投げかけられた声だった。


「あの……榊原先輩。よかったら、これどうぞ。この前のお礼です!」


 振り向けばそこに立っていたのは、いつだったかクレーム客からの電話で困っていた、あの女子だった。あのとき僕は、彼女に代わってクレーム対応をしてあげたのだ。

 160センチに満たないほどの、かわいらしい身長サイズの彼女。

 髪をポニーテールでまとめ、会社の制服に身を包んだ彼女のはくりくりと大きく、まるで森に棲むモモンガのようにしおらしかった。確か、僕より4年後輩の、三原みはら 麻子あさこさんという名前の女性ひとである。

 そんな彼女が、おもむろにその白く華奢な両手を僕に突き出した。その両掌に包まれていたのは、きれいな包装紙に包まれたリボン付きの平べったい箱だった。


「え、これを僕に?」

「はい……大したものではありませんから。ぜひ、受け取ってください」

「ありがとう。でも……どうして?」

「で、では、失礼しますッ!」


 僕の胸に押し付けるようにしてそれを手渡してきた、彼女モモンガちゃん

 他の社員たちの視線を猛烈に浴びつつもそれには屈することなく、食堂に続々と詰めかける社員たちを゛か細い゛肩でなぎ倒すようにして出口へ突き進みながら、食堂の外へと出て行った。やがて、そのたくさんの視線は、彼女から僕の方へと移り、僕の鼻の真ん中あたりに集中する。


 ――ん? どういうこと?


 何が起こったのか、すぐには理解できなかった僕。

 食堂に集まった人々の興味津々な視線を全身に浴びながら、三原さんから受け取った品に巻かれたリボンを解き、包装紙を丁寧に剥がして箱を開けてみた。皆の視線が、その箱に移る。

 中に入っていたのは、煌びやかに光る金銀の包み紙に巻かれた細長い数本のチョコレートと、涙の滴のような形をした銀のペンダントだった。特筆すべきは、箱の上蓋。その内側に付いたクッションみたいにふかふかな部分に挟まるようにして、ピンク色の小さな封筒がひとつ、添えられている。


「……」


 上蓋から封筒を外すと、その開け口はハート型の赤いシールで封印されていた。

 ハートなのだから、中身を見ずとも、それが呪いの手紙のたぐいでははないことだけは確かである。近年、そういうものをもらったことがなかったのでその存在を忘れかけていたが、所謂、『恋文ラブレター』という代物であろう。

 とそのとき、あることに僕は気付いた。


 ――あ、もしかして今日って、バレンタインデー?


 スマホで日付を確かめてみれば、確かに今日は、2月14日である。

 前回、あのトンネルでの『告白』の際に受けたショックをいまだに引き摺っているために、今日の日付すら良くわからなくなっている自分に愕然とする。


 ――よく考えてみれば、゛あの子゛も小柄でキュートな女の子だよね。


 彼女に対する印象が、急激に変化した瞬間だった。

 何も女性は、真奈美さんだけじゃない――。

 今まで猛吹雪により完全に閉ざされていた視界が、忽然と晴れわたったかのような、そんな不思議な感覚を覚えた。

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