【8-2】



 抑えられないわくわく感の中、バックミラーを確認する。

 が、どうしたことか、何も動きがない。

 胸にこみ上げてきたのは、もどかしさだった。

 クラクションを鳴らし、彼に奮起をうながしたい気持ちは山々だが、そこはぐっとこらえ、静観することとする。

 と、そのとき私の脳裏を掠めたのは、スポーツカーの中の彼に関する記憶だった。


 ――そうか! 雛地鶏君は、暗所&閉所恐怖症だったっけ。


 闇夜を前にして、車から出たくても出られない、駆けつけたくても駆けつけられない――そんな彼の気持ちを考えると、私は切なかった。

 フェアな戦いにするために、私は世界中のサーチライトというサーチライトをここに配置し、昼間のように照らしてあげたくもなった。しかし、今は一介の運転手と化している私には、それは叶えられるべくもない。


 しかし、私はここで気付く。

 いつもなら雛地鶏君の後ろを影のように付いて来る゛忍者゛の気配が、何故か今日は感じられないのだ。それは恐らく、雛地鶏家の現総帥から受けた正規任務実行のため、ここに来ることができなかったのであろう。

 だとすれば、雛地鶏君にとっては万事休す、の展開なのだ。

 彼――榊原祐樹君の独壇場となるのが、容易に想像できた。


 ――では、それをこの目で見届けるとするか。


 そうなったらそうなったで、面白いかもしれない。

 ひんやりとした夜気が入り込んで多少寒くはなるが、彼等の会話が聞こえるよう、運転席側の窓を全開にする。そうやって彼らの行動を見守っていると、トンネルの入り口付近で立ち止まった祐樹君が、トンネルの奥の方を覗き込んで、横にいる霊媒師に話しかけた。


「おたねさん、どうです? いそうですか?」

「うん……いるね。ごっちゃりと」

「やっぱりいるんだ! じゃあ、あんまり中に入るのもいやだから、この辺でやりますか」

「うむ。あたしゃ、どこでもかまわぬぞよ」

「…………」


 祐樹君の横で、少し震えながら立つ娘。

 おいてけぼり感満載の彼女が表情を強張らせたことになど気付きもしない祐樹君は、ワクワク感満載の顔をほころばせて、遂に「告白」の口火を切った。


「おたねさん。それでは、お願いします!」

「よっしゃ、あいやぁー」

「!?」


 張りのある掛け声一閃、おたねさんと呼ばれるベテラン霊媒師が、お経というか呪文というか、そういった感じの妙な言葉をブツブツと唱え始めたのである。


 あーまらむーにょぉかんぱらぴぃのぺろろちかぁー

 あーまらむーにょぉかんぱらぴぃのぺろろちかぁー

 あーまらむーにょぉかんぱらぴぃのぺろろちかぁー


 ――ぺろろちか?


 タクシーのハンドルを握りながら右に大きく傾けた私の頭の中で゛インチキ゛という4文字が、まるで昭和の繁華街に煌めくネオンのように浮かびあがった。他人の目など全く気にしないおばちゃんの声が、徐々に強く、そして大きくなっていく。ますます盛んになる彼女の勢いに反比例するかのように、若い娘の頬が、みるみると蒼ざめていった。

 そして、おたねさんの声で今にも闇夜がを張り裂けそうになった、まさにそのとき。夢に出てきそうな無限ループ的呪文が、突然、止んだのだ。全身から力が抜けたようになったおたねさんが、立ったまま、がっくりとうなだれている。


 ――いったい、なにが起こるんだ?


 うって変わって、深夜の市町村界付近を支配したのは沈黙の世界だった。

 まるでブラックホールの中に吸い込まれたかのよう。おたねさんの様子をじっと見守る祐樹君の喉が、ごくりと鳴ったのがわかったほどだ。

 そしてついに、無限に続くかと思われた沈黙が終わる。


「われは、そなたのごせんぞさまなるぞ……。しかと、われのいうことをきけ……」


 それは、水辺から引き剥がされ、からからに喉が渇いた蛙がひっくり返ったまま喉の奥から絞り出したかのような、世にも恐ろしいしゃがれ声だった。

 しゃべりだしたおたねさんに、娘が驚きの目を向ける。

 どうやら、この辺りに彷徨さまよう幽霊なのか魂なのか、そういうものにおたねさんが憑依ひょういされた――ということらしいのだ。


「もしかして……『そなた』って私のこと?」

「もちろん、そうですよ。真奈美さん」


 大いに戸惑う娘の横で、大きくうなずいた祐樹君。

 その顔はまるで悪戯いたずら少年のそれだった。これ以上ないというくらい、楽しげな顔をしている。憑依されたおたねさんの頭も、なぜか縦に小刻みに揺れた。


「私のご先祖さまの魂がこんな山の中のトンネルに彷徨さまよっているなんて、初耳だわ」

「え、そうですか? でもまあ、そういうこともあり得るでしょうね。ここが古戦場で、真奈美さんの御先祖様がここで討死うちじにしたとか……」

「ふうん、そんなものかしら」


 もちろん、そんな話は私も聞いた覚えがない。

 だが、そんな彼らの会話など置き去りにして、喉に力を込めに込めたおたねさんが、新たな言葉を喉の奥から吐き出したのである。干からびに干からびた、蛙の声で。


「ま、まなみどの……そなたは、そこにいるりりしいわかもの……さかきばらゆうきどのとけっこんするがいいぞよ……。それがむりなら、まずはおためしトライアルきかんとして、いっかげつくらいつきあってみるのもいいかもしれんぞよ……。さすれば、まなみどのは、しあわせをつかむことになろう、ぞよ……」


 妙にお仕着せ感のある、そして、ぞよぞようるさいおたねさんの言葉を聞いた真奈美さんの眉間に、きりきりと深い縦皺が稲妻のように走った。

 それを見た祐樹君が、わたわたと慌て出す。


「ほ、ほら。真奈美さんの御先祖様もこう云ってることですし、どうです? この際、僕とつきあっちゃうってのは?」

「このおばさんの云うこと、めっちゃ嘘くさいんだけど……」


 憑依人物も彼女の言葉を聞いてしまったらしい。おたねさんの額から、玉のような汗がいくつも吹き出した。

 おたねさんを取り巻く胡散臭さの雰囲気が頂点に達した、そのときだった。

 遠くのほうから、雛地鶏君の叫び声がした。


「そうだ、そうだ! 真奈美さん、その人はインチキだぞよ! 絶対、そうだぞよ!!」


 数十メートルの距離をものともせず、彼には、やり取りがちゃんと聞こえていたのだ。

 ゛だぞよ゛の口癖が移ってしまった雛地鶏君の懸命な叫びは、なぜか誰からも驚かれることもなく、この場にいる総ての人々に無視されてしまう。トンネルの壁に空しく反響したその声は、遠い夜空の彼方へ過ぎ去っていった。


「そ、そなた……。もしや、わしがごせんぞさまであることをうたがっているのか?」

「ええ、もちろんですとも」

「な、なんだとお? しつれいな! わしはそなたからかぞえてじゅうごだいまえの――」

「あああああ! こうなったら、おたねさん。作戦Bに変更です!」

「さようか。おーらいっ!」

「作戦B……? おーらい……?」


 そう呟いた娘の顔色が、青を飛び越えて緑色に変化している。

 そんな彼女の変化を予測、もしくは察知した祐樹君が、作戦の変更を急遽宣言した格好だ。


「うーっ、あいやあ!」


 掛け声一発、憑依をほどいたおたねさん。

 一度深呼吸して呼吸を整えると、今度は首から下げた数珠の輪っかのような首飾りを両手で持ち、再びの呪文?を唱え始めたのである。


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