8 闇夜のトンネルでアイラブユー(5億年前)

【8-1】

 もう、とっくに陽も暮れた。

 というか、そろそろ日付も変わろうかという深夜の時間帯だ。そんな、とてつもなく暗く寂しい山道を、私の運転する、闇夜と同じ黒色のタクシーが進んでいく。

 行けども行けども、曲がりくねった細い道。

 行く手を照らす明かりなど、ヘッドライト以外は何もない。まるで闇夜に吸い込まれていくかのような、そんな感覚まで覚えてしまう。もしかすると、異世界への入り口へと、私は車を走らせているのかもしれない。


「お客さん、本当にこの先に行く気で?」


 車が白線からはみ出ない様に、小刻みにハンドルを左右に揺らしながら、数十分前に後部座席に載せた二人の若者に向かって確認をしてみる。

 何せもう、晩秋なのだ。

 夜の訪れは早いし、行く先の標高もそこそこあるので気温もかなり低い。道路が凍っている可能性もある。

 だが、それよりなにより――。

 あそこは゛あれ゛がよく出るという、この地域では評判の場所なのだ。

 そんな時期の、こんな時間にあんな場所に行くというのには、さすがに首を捻りたくなってしまう。


「この先に本当に行くのか、ですって? ええ、もちろんですよ。ロマンスグレーのダンディな運転手さん、このままじゃんじゃん行っちゃってください!」

「じゃんじゃんですか……。承知しました」

「……」


 私の質問に無言という表現方法で答えたのは、私の真後ろに座る若い女性だった。

 暗がりではっきりとは見えないが、助手席の後ろに座る男はまさに満面の笑みで答えたのに対し、私の後ろに座る女性は、この車に乗って以来、かなり不服っぽい雰囲気をずっと出し続けている。


 ――いったい全体、そんな場所に出かけて、何をする気なのだろう。


 今は運転手の身ながら、俄然、心配になってしまう。

 だが本当は、現在最も気になることは別にあった。それは――私の左横、つまりは助手席にどっかと腰を据える『おばさん』の存在である。


 ――このおばさんは、何者だ?


 修行僧のような、白いサラシ生地でできた和服を身にまとった女性。

 首から下げた、色とりどりの玉石のようなものが目立つ大袈裟な首飾りは、弥生時代のシャーマンを思わせる。

 心も体も余裕たっぷりな感じで助手席に佇むその女性は、黒さの度合いをいよいよ増していく暗闇へタクシーが突入しようとも、全く動じる気配は無かった。

 落ち着き払ったその表情と動きは、何とも不気味なほどだ。


 そんなとき、激しく点滅する光がルームミラーに反射し、私の目を襲った。

 山道の凹凸で不規則に揺れる、後続車のヘッドライトの明かりだった。ハイビームの設定なのであろう。やけに明るい。

 私の視界を真っ白に染め、一瞬視界を奪った光にイラッとした私。

 が、深呼吸して、すぐに心を落ち着ける。何せ今――大事な大事なお客様の命を預かっているのだから。


 冷静に、状況を考えてみる。

 恐らくあれは――雛地鶏ひなじどりさんちの跡取り、雛地鶏ひなじどり けん君の愛車だろう。あの派手なスポーツカーのフォルムには、見覚えがある。

 後部座席に座る若い男性も、この車の後をつけてくる車の存在に気付いたようだ。ちらりと、後ろを見遣った。しかし、それ以上は気に留める様子はなかった。彼にとってこの状況は想定内なのだろう。

 慌てることもなく、自然体の口調で彼の隣に座る美しい゛娘゛に向かって彼はこう云ったのである。


「真奈美さん、今回は期待していただいても結構ですよ。有名な霊媒師で、巫女いたことしてもご活躍中の、゛おたねさん゛こと種中たねなか 良子りょうこ先生にわざわざお越しいただきましたので」

「霊媒師……種中さん……」


 彼女にとって予想外の展開だったのか、娘は|呆気(あっけ)にとられている。

 一方、助手席に座るおばさんは、にこやかな表情とともに後部座席へ振り返ると、予想外に明るい口調で挨拶した。


「どうもー。゛おたねさん゛こと、種中でぇーす。今日はよろしくぅ」

「あ、はい。……どうも」


 むっつり度を増した顔の娘が、仕方ないといった感じで小さく会釈する。

 そんな彼女の態度などは気にも留めず、50才前後であろうその霊媒師は、口元を横に゛ニーッ゛と引き延ばし、満面の笑みで返した。


 だがそんなやりとりをしている間にも、私の運転するタクシーは一台の派手なスポーツカーを引き連れたまま、山道を進んで行く。

 しばらくの沈黙。

 その後、ひとつの峠を越え、ふたつ目の峠に差し掛かったときにようやく見えてきたのは古くて幅の狭い、そして妙に薄暗いトンネルの入り口だった。これを過ぎればもう隣町というロケーションにふさわしい、その佇まい。噂では、戦前に掘られてかなりの年数が経っているものの、管轄する役所の『諸事情』により、未だ現役のトンネルとして使われている、ということである。

 車内によどむ、恐ろしいほど沈滞したムードを破って発言したのは、誰あろう、この私だった。


「お客様、そろそろご希望の場所に到着ですけど……」

「了解!」

「本当に、こんな所でお降りになるんで?」

「当り前ですよ、運転手さん。そのために、ここまで来たんですから!」


 こんな夜更けの時間に、トンネルを見て増々ボルテージを上げていく彼。

 私の言葉に元気よく返事した彼と、その隣に座る若い娘のテンションのあまりの差に、今後の成り行きが少し心配になった。


 その、数十秒後のことだった。

 私たちの他にはほとんど車両の通行など無いトンネルの入り口前に、到着。ブレーキを踏み、トンネル前のやや道が広くなったスペースに車を寄せ、停止させる。

 それと時をほぼ同じくして、先ほどのスポーツカーが、私たちの数十メートル後ろの道路脇に停車した。

 ……微妙な距離に停車するものだ。

 もしかして彼は、私たちに自分の尾行がばれていないとでも思っているのだろうか? もうとっくにばれているのだから、さっさと車から出て来てもよいとは思うのだが。

 すると、後部座席の若い男は云った。


「それじゃあ運転手さん、イベントが終わるまで、ここで待っててくださいね! ちゃっちゃと成功させちゃいますから」

「しょ、承知しました……お待ちしてます」


 後部座席の自動ドアを開け、彼を闇色の屋外へと送り出しにかかる。

 これから何が起こるのかは、正直、私には想像できない。彼がこれから引き起こすであろう『イベント』をエンジン音やヘッドライトで妨害するわけにもいかないと思った私は、タクシーのエンジンを止め、大人しくその場で待つことにした。


「さあ、真奈美さん、外に出てください。おたねさんもよろしくです!!」


 そう云って威勢よく外に飛び出していった彼の後を、渋々、付いて行く娘。

 数秒して、表情も体格も余裕たっぷりの霊媒師が、どっこいしょと重たい腰を上げるように外へ出る。


 ――さあ、榊原君は動いた。背後で様子を伺う『あいつ』はどう動く? 


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