【5-2】

 それから数日ののち

 巷では「ハロウィーン」と呼ばれる、その日の夜のことである。


 マイクを握ったいわゆるDJポリスも出動中の、街中大規模交差点。

 騒然とした雰囲気の中、何故か真っ黒な蝙蝠こうもりみたいな格好をした私が、巨大な張りぼて――カボチャの馬車――の御者として、ひとりぽつんと席に座っている。


 ――カボチャの馬車って、シンデレラと間違ってない?


 それは、私の心から湧き出た素朴な疑問だった。

 先日の打ち合わせでも眞子さんにそう主張してみたものの、全く聞き入れてはくれなかったのだ。

 まあ、百歩譲って、そのことはいいことにしようか。

 それより、私にとって一番の疑問は、現代日本でこういったお祭りをやるという、その意味についてだった。私には、どうしてもわからないのだ。

 要するに、社会を巻きこんだ壮大な仮装パーティということなのか? いや、他人のことなどそっちのけ、自分がいかに目立つかだけを考えて街中に集まり、ごみをまき散らしながら大騒ぎするという自己中心的イベント、と云った方がいいのかもしれない。農耕民族たる日本人なら、農作物の収穫とか、この時期にはもっと他にやるべきことがあるのではなかろうか……。

 まあ、そんなことを云ってみても、何も始まらないことは分かっている。

 とにかく今は余計なことを考えるのは止め、眞子さんが考えたこの『告白企画』の成功に向かって集中しなければならないのだ。


 さて――と。

 ため息とともに我に返り、現実の世界を見渡してみる。

 その中心に存在するのは、交差点のど真ん中にでんと居座る馬車が一台。

 眞子さんのお宅も、かなりのお金持ちなのであろう。そうでなければ、こんな人が乗れるような巨大な張りぼてをたった数日で用意できるわけがない。

 しかし奇妙なことに……やたらと目立つ巨大な張りぼての傍を、街の人々は何事もないかのように、ただ通り過ぎていく。

 もしかして、この人達の正体は――なんて考えているところに、薄茶色の高級ブランドスーツを身にまとった真奈美お嬢様が、ビルの谷間をかき分けるようにして颯爽と横断歩道の向こう側から登場した。

 交差点周りで思い思いの仮装を施す一般の人々も、その破壊力満点な威厳に平伏ひれふすがごとき態度で、彼女に視線を集中する。決して、彼女がとんでもなく珍しい仮装をしているとか、とてつもなく奇抜な恰好をしているとか、そんなことはないのに、だ。

 要するに、彼女の全身から発せられるオーラ――その圧力がすごいのである。

 ――改めて思う。

 榊原先輩は、とんでもないひとに恋してしまったものだ、と。

 そのとき、私の視界の大部分を占めるカボチャの馬車の内側から、聞き慣れた声がした。


「近藤君、そろそろ約束の時間だよね。真奈美さんは、まだかな?」

「ああ、すみません、先輩。あまりの存在感の大きさに見惚れてしまい、それを言うの忘れてました……。真奈美お嬢様が、つい先ほど、お見えになりましたよ」

「そうか……。よし、わかった」


 都会のLEDライト群に照らされた、お嬢様。

 舞台でスポットライトを浴びる主演女優のような威厳をまとった彼女が、不機嫌極まりない顔つきで、馬車の前に仁王立ちする。それを待ち侘びていたかのように、カボチャのお化け「ジャック・オー・ランタン」に扮した榊原先輩が、馬車のドアを開けて彼女の前に躍り出た。

 それを見た真奈美お嬢さまの顔が、豆鉄砲を食らった鳩のようになる。


「な、何よこれ!? もしかして……この穴の開いたカボチャみたいのを被ってるのが榊原祐樹なの?」

「…………」


 たじろぎつつも瞬殺でジャック・オー・ランタンの正体を見抜いた彼女に、先輩は何も答えなかった。

 ここは、眞子さんの云う「女の子の好きな少しの恐怖」を与える場面なのである。

 生身の彼女に、お化けの先輩が負けるわけにはいかないのだ。

 だから、先輩――いや、カボチャのお化けジャック・オー・ランタン――は、彼女の質問に答える代わりに、黒マントの上着に隠れて見えない右手でパチン、と指を鳴らした。

 すると、今まで赤の他人のように見えた道行くすべての人々が立ちどまり、真奈美さんのいる方向に体を向けて右手を差し出しながら、一斉に叫んだ。


「トリック、オア、トリート。……セイ!」

「へ?」


 何百という仮装した人々の、揃いも揃った声が街中に響く。

 これには、百戦錬磨のお嬢様もさすがに呆然となった。警察関係者も、あまりの出来事に息を飲んだまま押し黙った。先ほどまで威勢の良かったマイクからの声が、全く聞こえないのだ。

 と、間髪を入れずに、ジャック・オー・ランタンの先輩が再び指を鳴らした。

 それを合図に、人々が再び声を揃える。


「トリック、オア、トリート。ユー、セイ!」


 まるで、ミュージカルを見ているかのよう。

 どこからどう手を回したのかは知らないが、一般道の巨大交差点が眞子さんの息のかかった人々の貸し切り状態になっている……。まさかここまでとは、想像だにしていなかった。

 しかし不思議なのは、未だ警察関係は黙り込んだまま不気味な沈黙を守っていることだった。警備車両の上に乗った、珍しく年配ベテランなDJポリスらしき人物までもが、にやついた表情を浮かべてこちらの様子を注視している。


 ――眞子さん、恐るべし。


 私が彼女及び彼女の実家の実力におののいたその瞬間、群衆に急かされた真奈美お嬢様が、ついにその唇をもそもそと動かした。


「……ト、トリック、オア、トリート?」

「イエーイ!」


 隣県にまで届くほどの盛大なる歓喜が、真奈美さんを包みこむ。

 と同時に、リュックに手提げ袋にエコバッグ――様々なところから、これでもかというくらいの大量なお菓子を取り出した群衆――もとい、眞子さん支配下の出演者たちが、真奈美さんに向かってそれらを一斉に投げつけたのである。


「ぎゃっ! イテテッ!!」


 聞くに堪えられない、真奈美さんの悲痛な叫び。

 しかし、そんな叫びもこの群衆には特には効き目はないようだった。小袋に入ったクッキー、キャンディ、チョコにせんべい――まさに雨あられのようにお菓子の雨をお嬢さまに向かって降らせ続けている。

 やがて――お嬢さまの美しいフォルムが、うず高く積まれていくお菓子の山によって完全に隠れ去ってしまったときだった。


「ハッピー、ハローウィーン!!!」


 群衆の歓喜が大きな渦となって、最高潮に達した。

 さすが、真奈美さんである。こんな状態になっても、微動だにしないその精神力は真のお嬢様のあかしといえよう。

 歓喜の渦の中心部分――人間の形をしたお菓子の山――に向かって、ジャック・オー・ランタン姿の榊原先輩が恭しく一礼をする。

 すると場の雰囲気が一転、大都会の街角全体が静寂に包まれた。

 でも、それはごく短時間のことだった。被り物の切れ目から漏れ出る榊原先輩の声が、街中に響き渡ったからだ。

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