【3-3】

「あら、雛地鶏ひなじどり けん、じゃないの……お久しぶりね。元公家の名家出身で二十八歳と私とは年齢的つり合いもよいとはいえ、あなたとの縁談の件は正式にお断りしたはずよ。それを無視して、私に付きまとうおつもり?」

「何だと? お前、真奈美さんに付きまとってるのか!」


 敵対心を露わにした榊原祐樹が、眉をひそめる。

 こうしている間にも、流れ落ち続ける、噴水の水。

 当然ながらそれは榊原の開いた口の中へと大量に注ぎ込まれるが、彼はそれを気にする素振りもない。

 怒り心頭の榊原を、(まあ、あんたもだけどね)という表情で、真奈美が見遣った。


「酷いなあ、真奈美さん……。私をストーカーみたいに云って……。こんな二十九歳のダメダメ男のどこが良いんです? なんだかんだ文句を云いながら、彼のデートに付き合っているというのが、私にはどうしても解せないのですよ。こんな冴えないオッサンと付き合うくらいなら、私とお付き合い――」

「誰がオッサンだ! アンタと俺、歳がひとつしか変わらないだろうが!?」


 そんな榊原祐樹をあざ笑うかのように、雛地鶏が鼻から息を吐き出す。


「真奈美さん……。いい加減、目を覚ますべきです。どんな男と結婚することが、あなたにとっての本当の幸せか、ということをね」

「……。余計なお世話よ、雛地鶏さん」

「えーと、もしよろしければなのですが……私を下の名前の『けん』で読んでいただけると嬉しいです。親しみの意味もを込めて……」

「それは余計なお世話ね、『ひ・な・じ・ど・り』さん」


 真奈美と雛地鶏が妙な軽い睨み合いをする。

 そんな中、噴水から飛び出した榊原が、雛地鶏の魔の手から真奈美を救うように、二人の間に割って入った。

 彼の一連の動きにより水が飛び散ったせいで、日傘の下の真奈美の服がびしょぬれになる。


「ちょっとぉ……服がぬれちゃったんだけど」


 お嬢さまが、真っ赤に日焼けした榊原の背中を、有難迷惑のような、複雑な表情で睨みつけた。

 そんなこととは露知らず、騎士ナイト気どりの榊原祐樹が叫ぶ。


「真奈美さんがこんなに嫌がってるんだ。とにかく、今日の所は帰ってもらおうか、雛地鶏クン!」

「だから私は『謙』と呼んでくれと――って、まあ、それはいいか。でも、なんでそんな風にキミに云われなければならない? 嫌がられているのは君じゃないのか?

 ……だが、確かにこれ以上、ここに長居するのは無用なようだ。既に、今日の目的は達成されたことだし……。とりあえず、今日はここで引き下がるとしよう。では、また。アディオス!」


 雛地鶏は、テーブルや土鍋、子供用プールを置き去りにしたまま、南米風の明るい調子で別れの言葉を告げた。

 そしてすぐさま、呆気にとられた二人を残し、何処かへと消えて行った。

 と、気を取り直した真奈美が、眉を吊り上げ、怒りを祐樹にぶつける。


「ちょっと……榊原祐樹。なんで、あんな奴に負けるのよ!」

「えっ、僕――彼に負けてました? ……っていうか真奈美さん、僕のこと応援してくれてたのですね?」

「応援なんかしてないわよ! ただ……あいつが嫌いなだけ。アンタもあいつとはそんな変わりはないけど」

「そ、そんなあ……」

「とにかくね、あんな奴に負けてるようじゃ、お話にもならないわ。私に告白こくるなんて3億8千万年は早いわ。顔でも洗って出直して来なさいッ!」


 真奈美はそう云い渡すと、派手に日傘をくるくると回しながら、その場から立ち去った。

 がらくたのような機材とともに噴水公園に、榊原祐樹が、ひとり寂しく取り残される。彼の口から出てきたのは、力ない、敗戦の将の言葉だった。


「起死回生の作戦のはずだったのに、彼女に告れるまでの『年数』が減るどころか、最初の時よりも増えてしまうとは……。くっそぉ、くっそぉ!」


 子どもプールの水にほとんど顔が付いてしまうぐらいがっくりと膝を落とした榊原が、頻りに首を左右に振った。

 途端、彼の瞳からこぼれ落ちたのは、二粒の涙。

 それらがプールのお湯の量を少しだけ増やし、少しだけ温度を下げた。



 ――そんな、折れたゴボウのような榊原祐樹の姿を、数十メートル離れた樹木の陰から見つめる女がいた。

 どう見ても、若い。大学生に成りたてか、そのくらいの歳に見える。

 そして何よりの特徴は、その清楚な美貌だった。純白のウエディングドレスのようなワンピースと、風にはためく赤いリボンがついた白い帽子が、彼女の清楚さを際立たせていた。


「私というものがありながら、あの人・・・ったら……。くうーっ」


 白いレースハンカチを口で咥えながら、悔しそうにそう呟いた彼女。

 とそこへやって来たのは、公園の清掃員らしき青い作業服を身に着けた初老の男だった。灰色の帽子からはみ出したその白髪が、彼の人生の年輪の深さを示している。


「そこの、お嬢ちゃん! アンタ、こんなところで何してんだ?」

「あら、私としたことが……。とんでもない姿を、知らない人に見られてしまったわ。とにかく、見ず知らずのおじさまには関係のないことです。それでは、失礼しますね!」


 陽炎の如き淡い存在感を放つその女は、灼熱の公園から逃げるように、姿を消した。

 その姿を見届けた初老の作業員が、今度は噴水の方を見て、深い溜息をいた。


「あーあ。何だか今日は、大変だな。ただでさえ暑くて仕事する気が起きないのに、ハンカチ咥えて泣いてる女子はいるし、噴水の前では男ががっくりうな垂れてるし、おもちゃのプールとおでんの入った土鍋が地面に散乱してるし……困ったもんだよ」


 もう一度、大きな溜息をゆっくり吐き出したおじさん、

 ようやく重い腰を上げるようにして、公園の清掃に取り掛かるべく、噴水前にひとり佇む榊原祐樹のいる方に向かって、ゆっくりと近づいていった。




 キミに届けたい、永久とわの愛を。笑いの伝統芸能でつづったラブレター 

(そして、敬愛する上島竜平さん――安らかにお眠りください)


 ―続く―

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