3 伝統芸能でアイラブユー(3億8千万年前)

【3-1】

 この辺りでは大きな部類の、噴水公園。

 夏の炎天下には日焼け止めをがっちりと塗り、日傘に守られたお母さんに連れられた小さな子どもたちが歓喜してはしゃぎ倒す、そんな夏の風物詩の典型のような場所に、二人してやって来た。

 厳密には、いつもより一人多い、女一人と男二人だったのだが――。


 けれど、何かをするにはさすがに今日は暑すぎる。

 朝のニュースで、三十五度以上の猛暑日を予想した美人気象予報士には逆らえないよ――そんな風に空気を読む地球のおかげで、気温は朝からうなぎ登りなのである。沖に揚がったばかりのタコを浜茹でするときの湯気にも似た、もわっとした陽炎が街中に立ち込めていた。

 本来なら、緑がそこかしこにあふれる公園なのである。

 けれど今日ばかりは、やや生気を失くして茶色がかった芝生の中に設置されたスプリンクラーが、ギラギラと照りつける太陽には降参とばかりに、盛大に加熱された地球を冷やすのに大した効果も無いような少量の水を空しく吐き続けているだけだった。


「さあ、真奈美さん。着きましたよ、公園に!」


 だが、地球の暑さにも負けない熱さで恋する男「榊原祐樹」だけは、街中に漂う疲労感や絶望感にもめげず、元気いっぱいだった。

 公園の中心でもあり、メイン施設ともいえる噴水池。

 その前で、禍々しい邪気や暑気も振り払う澄み切った笑顔とともに、彼は池の横に据え付けられた木製のベンチシートを指差したのだった。


「えーと……。これは、どういうこと?」


 榊原祐樹の屈託のない笑顔に反比例するかのような、黄川田真奈美の訝し気な表情。

 虹色をした、かなり派手目な日傘をさした真奈美が、陽の光りの翳った空間の奥底から、ただ一点を睨みつめている。

 彼女の視線のその先にあるのは、アウトドア用の小テーブルがひとつ。

 そして、そのすぐ横には、全身黒尽くめの長身男性の姿があった。男の両目は、更に黒を上塗りするかのように、漆黒のサングラスで覆われている。


「私、こういう陽射しの強い日は苦手なのよね。できれば、早く済ませてもらえないかしら?」


 透き通るほどの白い肌から繰り出された彼女の言葉は、榊原祐樹にとって、厳しい真夏の陽射しよりも一段と厳しいものだった。まさに出鼻をくじく――とはこのことだ。

 しかし、これは今までの経験から、ある程度予測済みだった。

 この程度で、恋する二十九歳の独身男がめげる筈もないのだ。


「じゃあ、ちゃっちゃと済ませちゃいますね……近藤こんどう君、よろしく!」


 榊原から近藤と呼ばれた細長いカラスのようなその男は、これから起こるべき事態の準備に、何やら忙しく体を動かしている。


「近藤君って?」

「僕の会社の後輩です。今回はアルバイトとして、お手伝いに来てもらったんです」

「ふうん……そうなの」


 全身黒尽くめというのは、どうやら裏方としての「黒子」という意味らしい。

 近藤という人物は真奈美に向かって一度お辞儀をすると、白いシルクの手袋をつけ、恐ろしいほどの量の湯気を天に向かって盛大に吹き上げる土鍋を、どこからか運んできた。


「な、鍋をどうするのよ?」

「よくぞ訊いてくれました、真奈美さん。僕は今まで、『告白』というものを勘違いしてましたんです。告白とは、ただ単純に文字にしたり、ただ単純に叫べばいいというものではない、ということに気付いたんですよ」

「そんなものかしらね……。で、その鍋をどうするの?」


 にやり、榊原は不気味な笑みを浮かべた。


「フッフッフ。目は口程に物を云う――作戦です」

「ごめん……。全然わからないわ。それに……そういうことは、本人の前で云うことでもないと思うし」


 とそのとき。

 黒衣の近藤が、「準備完了ですッ」と声高らかに宣言した。

 テーブルに置かれたカセットコンロに、悪魔の吐息を吹き出しながら煮えたぎった土鍋がセットされている。その蓋を、絹の白手袋に包まれた両手を使って、いかにも恭しく開ける、近藤。当然のことながら、その中にはがんもどきにちくわにこんにゃくにたまご――所謂いわゆる『おでん』の具が、人気露天風呂にぎっちりと肩を寄せ合って入浴する休日のお父さんたちのように、並んでいる。


「真奈美さん。わかりますよね、この作戦の価値が! 真夏の炎天下、灼熱の陽射しの中で熱々おでんに平然とした顔で耐えるのですよ!! これほどの漢気おとこぎが、ありましょうか?」

「まあ、そうかもね……いわば、お笑いの伝統芸能ってとこかしら」

「さすが真奈美さん、わかってらっしゃる! で、何の具にします?」

「……がんもどき」

「おおお、さっすがあ! がんもどきを選ぶなんて真奈美さん、めっちゃ『おでん通』じゃないですかぁ」

「……。そうでもないわ。ただ、一番熱そうだなって思っただけ」


 近藤がテーブルに置かれた長い菜箸さいばしをとり、おでん鍋の中のがんもどきをひとつ、気品ある流暢な動きとともに、優雅ゴージャス感満載でそれをつまみ上げた。この世にもし『おでん舞踊術』なる競技でもあれば、間違いなく彼は有段者であろう。


「では、いかせていただきますッ」

 箸に挟んだがんもどきを、雲ひとつない蒼空に向かって突きあげた、近藤。

「よっしゃ、こーい!」

 まるで稽古場で弟子を迎え撃つ相撲部屋親方のように腹を右手で叩く、榊原。

「……」

 そんな二人の男子を前に、肩をすくめながら呆れ顔の表情を見せる真奈美。


 がつんッ


 それは、かつて関ヶ原で激突した世にも有名な戦いにも似た、歯と箸のぶつかる壮絶な戦いの音だった。

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