【2-3】
「………………」
さすがの真奈美さんも、声が出ないほどの出来栄え。
きっと、感動の嵐が今、彼女の中で吹き荒れているのだろう。
「よっしゃー! ブラボォー!」
大成功だった。感動の嵐は、僕の心の中にも起きていた。
僕は、一人の人間ができるかぎりの拍手喝采と、背中のリュックの中に詰め込んであったたくさんの果物――高級サクランボに大粒イチゴ、そして皮ごと食べられるシャイン・マスカット――の雨あられを、相棒とその仲間たちに浴びせかけてやった。
すると、ただ一匹、猿山の頂上に残っていたまさおが満足げに口をニンマリとさせ、ドンナモンダとばかりに、僕に向かって右手をサム・アップしたのである。
「いやあ……見てくれましたか、真奈美さん! これを仕込むのに、三週間もかかりましたよ。エサ代もすっごくかかってですね……」
「……」
余程の感動だったのか、真奈美さんは黙り込んだままだ。
と、そのとき、どこからかベテラン飼育員らしき白髪交じりの中年オヤジが僕らの前に姿を現した。
「ちょっと、お客さん、勝手にエサを投げ込むなんて困るよ! ……あ、そうかわかったぞ。アンタだったんだな、サルに変な芸を仕込んだのは……。最近、サルたちが妙な動きをすると不思議に思ってたんだよ!! そういう事されるとね――」
飼育員の悲痛な叫びは、結局、最後まで聞くことができなかった。
なぜならその途中で、今まで沈黙を守っていた巨大山脈のような雄々しさを持つ彼女の口元が、遂に動いたからである。
「こら、
バラのように美しい残り香とビリビリに引き裂かれた入場券だけを残し、彼女は僕の視界から陽炎のように消えていった。
(今日もダメだったか……)
がっくりと項垂れた僕の肩を、叩いた者がある。それは、さきほど僕に苦情を申し立てた飼育員だった。その手には、一本のバナナが握られていた。
「まあ元気出しなよ、若者」
彼から手渡された、バナナ。
そのバナナの皮は、おじさんの手から伝わった温もりで、ほんのり温かかった。
「それ、猿用のモノだけどやるよ。結構、甘いんだぜ」
「ありがとう……。ありがとう、飼育員さん」
バナナの皮を剥いて、カプリとやる。
(うん、甘い)
晴天の昼下がりのはずなのに、僕の視界にだけ雨がそぼ降る。
バナナに残ったおじさんの温もりは、彼の手からのものではなかった。おじさんの心から伝わったものだったのだ。その証拠に、僕の心までが温まった。
と、そのとき感じた、背後から近づく凄まじいほどの気迫のこもった気配。
――俺の
そんなハードボイルドっぽい常套句的セリフも云えないくらい、元気のなくなった自分に情けなさを感じてしまう。振り向くとそこにいたのは、動物園だというのに、一目で高級とわかるような黒光りする生地でできたスーツをフォーマルに着こなす、痩躯長身な若い男だった。
「キミ、榊原祐樹クンだよね? ふふっ……全部見ていたよ、残念だったな。私の名は――まあいい。どうせ、それを云ったところでキミには皆目わからないだろうし……。また会うこともあるかもしれないが、そのときはよろしく」
僕の返答も聞かぬまま勝手に云い放つだけ云い放ったその男は、くるっと
「誰だよ、あの変なヤツは……。胸ポケットにバラの花が刺さってたし、妙に気取ってたし。いまどき、まだああいうヤツがいるだなんて、びっくりだぜ」
いつの間にやら、僕の気持ちに寄り添っている飼育員のおじさん。
真奈美さんとのやり取りを間近に見てしまったせいだろう。
「さあ……どうなんでしょうね。僕にはよくわかりません」
「じゃあ、気にしなくてもいいな」
「ええ、僕はちっとも気にしてません。あんな男のことなど、ね」
はっはっは……。
僕と飼育員さんの渇いた笑いが、辺りにこだまする。
「こんなこと云っちゃなんなんだけど……さっきの彼女のことも、いつかまた、チャンスがあるんじゃないのかな」
「ええ、当然です。僕は、彼女のことを諦めてませんから」
「おお、そうかそうか。それはよかった! ……じゃあな」
ベテラン飼育員は風になびく白髪を手櫛で整え直すと、自分の持ち場へと戻って行った。
その背中を見送りながら、大きなため息をひとつ吐き出した僕。
予約していた今晩のワインバーでのディナーをキャンセルするため、スマホを手に取った。悔しい気持ちもあるが、今の僕には、後ろなど振り返っている暇はない。
(少し打たれ強くなった……かも)
動物園からの帰り道、次の作戦を考えている自分のことを少し頼もしく思った、僕なのであった。
キミに届けたい、
―続く―
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