【2-2】

 更にそれから園の奥に進むこと、数分。

 真奈美さんのハイヒールの靴音が園内に響く中、歩き疲れて彼女の息があがりかけたそのときだった。僕ら二人のの目前に、巨大なコンクリート造りの建造物――ニホンザルの猿山が現れたのである。


「サル? ……なんで、サル?」


 真奈美さんの端正なつくりの顔がみるみる崩れていき、盛大に眉間に皺が寄る。

 体全体に溜まった不満をかき集めて口の中に充満させた彼女が、まるで冬眠前のリスのように頬を膨れさせる。


(まずい、もう一刻の猶予もない!)


 そう判断した僕は、まるで大海を真っ二つに割るモーゼのように、天高く右手を突き上げた。と、それを待っていたかのように、猿山の頂上で悠々と佇んでいた一匹の猿が、甲高い音で鳴き声をあげた。

 ――そう、彼こそがこの猿山のボス、「まさお」なのだ。

 僕の、頼れる相棒でもある。


 キキーッ


 それと同時に、相棒まさおは何を思ったのか、その右手に握りしめていた赤い玉のようなものをこちらに向かって投げてきた。


 びゅん!


 とても猿とは思えないほどの、肩の強さ。

 まるで戦国武将が放つ矢の如く一直線で僕のところに飛んで来たそれを、僕は右のてのひらでがっちりと受け止めた。

 その衝撃でジンジンする掌をゆっくりと広げてみると、そこには、恐らくは猿の手のワックスで磨いたのであろう、ピカピカと神々しく光る一個の林檎があった。


 キキッ、キキッキ、キーッ!

(ふふっ。ありがとうよ、相棒)


 長年、友情を温め続けている僕とアイツである。

 当然のことながら、僕にはまさおの云うことが手に取るようにわかるのだ。僕は、彼からの言葉を、真奈美さんに翻訳して伝えることにした。


「これは、この猿山のボス『まさお』からのあなたへの贈り物――お近づきの印――だそうです。今日の餌の中からとびきり良いモノを選び、あなたのためにピカピカに磨いておいた……そんな風に彼は云ってます」

「……」

「彼の気持ちです。どうぞ、お受け取り下さい」

「…………」


 僕は、真奈美さんのほっそりとしてかわいらしい手に、艶々に輝く林檎を手渡した。

 両手で作った掌のお皿に林檎を載せた彼女は、口をぽっかりと大きく開けたまま、瞬きもせずに佇んでいる。


(おお、彼女が感動している。やるなら、今だ!)


 作戦決行、である。

 僕は、かつて小学校の体育の授業で先生が持っていたような、黄色いホイッスルを口に当て、ピピーッと勢いよくそれを吹き鳴らした。

 それを聞いた猿山の構成員たちが、一斉にこちらを向いた。言い換えれば――僕の恋を成就するための我が精鋭の戦士たちが、一斉にこちらを向いた。

 それに合力するように、猿山の頂点に君臨するまさおがもう一声、キーと鳴く。

 すると、待ってましたとばかりに、猿山に棲むすべての猿たち――老いも若きもオスもメスも――が猿山から姿を現し、僕らの目前に広がるコンクリートの床の上に整列したのである。

 誠に、見事なものだった。

 背の高い順に並んだその姿は、まるでかつての日本経済のような、美しい右肩下がりの曲線を描いている。


 ピーッ! 


 再び、小気味良い音で僕が笛を吹いた。

 その刹那。

 猿たちが、体操授業の小学生のようにきびきびと動き出す。そして、すぐさま各自の位置を定めた猿たちは背中をこちらに向けて、ぴたり、静止した。

 その間、約3秒である。

 よくぞここまで、と感嘆する僕の目前で展開されたその背中の並びは――とある文字列を形作っていた。


『ア イ シ テ ル』


 人文字ならぬ、猿文字である。

 猿の背中でできたラブレター、なのだ。

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