【1-2】

 通路を通って店の奥へと進み、予約席に着く。

 テーブルの向こう側の真奈美さんは、お手並み拝見とばかりに、腕を組んで僕の目を見た。と、すぐにやって来たのは、白髪交じりの中年男性店員だった。


「あ、もしかして、店の煙を浴びちゃいました? 申し訳ありません……。排煙設備が調子悪くって、正面玄関の通気口から煙が噴き出しちゃったんですよ」

「……あ、そう」


 とりあえず、気を取り直して彼女に笑顔を見せる。

 それに、ここからが僕の腕の見せ所なのだ。メニュー表をほとんど見ることなしに、既に頭に折込済みの品々を淀みなく注文していく。店員は、注文を繰り返した後、厨房へと戻って行った。


 やがて――テーブルに運び込まれた七輪と、血の滴る我が精鋭の戦士たち。

 僕は、すかさずトングを取ると、煌々と燃える木炭の詰まった七輪に載った網の上に、幾何学模様を思わせるほどの美しさで、かの精鋭たちを配置した。

 顔全面を襲う熱になど、負けない。


(僕の颯爽とした姿を見てくれてるかな)


 ちらりと、彼女の様子を伺ってみる。

 すると真奈美さんは、ピシッと決まったピンクのビジネススーツを汚しては大変とばかりにお店からもらった半透明の青いビニールポンチョのような前掛けを首から下げ、ちょこなんと佇んでいるではないか。


(こんな格好の彼女も、めっちゃ可愛いな)


 幸運な目の保養で、僕の胸がきゅんと高鳴る。

 そんな彼女の姿に暫し見とれていた僕に向かって、真奈美さんが不意に口をへの字に曲げ、憮然とした表情で口を開いた。


「まあ……普通よねぇ。この程度の肉なら、結構、食べたことあるし」


 七輪から立ち昇る煙の向こうから発せられた、細く尖った氷のような言葉。ついさっきまできゅんきゅんトキメイテいた僕の胸に、ぐさりと突き刺さる。


 しかし、戦いはまだ始まったばかり。

 こんな序盤の段階で、倒れるわけにはいかないのである。

 なにせ今日の僕は、前回の僕とは違う。前回のデートで僕の経験値は格段にアップしているはず、なのだ。彼女のツンケンとした言動にもだいぶ慣れたはず、なのだ。いや、もしかしたらその感覚は『慣れ』というより『快感』に近いのかもしれない。……イケナイ方向に進みつつある自分を感じるが、そこは今は深く考えないことにする。


 とにかく今は、今日ここに来た目的を達成することが第一である。決して、美味い肉に舌鼓を打ったり、ビニールポンチョを纏った彼女の処凛さを堪能することが目的ではない。もちろん、真の目的は、真奈美さんと親密な関係になることである。ほら……よく云うでしょ、焼肉屋に来る男女は、深い仲になっているあかしだとか!

 もちろん、給料の額からして目が飛び出るほど高いこの店の飲食代金は、僕の支払いとなる。

 けれど……これで二人の仲がぐっと近づくというのなら、全然安いものさ!


 今日のプランを、もう一度頭の中で復習してみる。

 なるほどなるほど……まずは男らしさを見せつけることからだな。僕は、かねてから練習していた動き――まるで戦国時代の剣豪のような動き――で、ひらひらとトングを操った。

 高級肉を七輪の上に載せてはひっくり返し、ひっくり返しては焼けた肉を皿の上に載せいく。そして、網の開いた部分に新しい肉を間髪入れずに載せていく。


(決まった……。きっと今頃――僕の雄姿に、ホレボレしているな)


 僕の管理下にある網一面に広がった肉からほんの一瞬だけ目を外し、彼女の表情をチラ見する。

 しかしそこで見たものは、僕の期待とはかけ離れたものだった。

 何と彼女は、僕が丹精込めて焼いた肉には目もくれず、いつの間にか注文されていたビールの大ジョッキを、くきっと豪快にあおったのである。


「……でさあ、今日の肝心な話って何? さっきから待ってるけど全然、肝心な話なんかないじゃない。あ、一応言っとくけど、この程度の肉なら、私はキュンともしないからね!」


 細い眉をピクピク震わせ、僕の目を射抜くようにこちらを睨んだ真奈美さん。


(僕の雄姿が、彼女の心には届いていなかったか……)


 僕の瞳から、自然とこぼれ落ちた涙。

 それが煙のせいだとばかりに、僕は一度、大きく咳き込んだ。

 しかし、この程度でめげるわけにはいかない。黙々と、皿の上に焼き上がった肉を積み上げていく。残念なことに、その間、二人の間には楽しい会話は積み上がらなかった。そればかりか、彼女の感情という皿にイライラがみるみる積み上がっていくのが、手に取るように分かる。


(真奈美さん、さあ、席を立って!)


 この状況を打破できるのは、そう――あれを決行するしかない!

 僕が、密かにそう決心したときだった。

 なんと、脂ぎったトングの先から、僕が掴み損ねた「特上やみつき塩ホルモンpremium」の白い肉片が、ぷるぷると躍るように網の上で跳ねあがってしまったのだ。

 地球の重力を味方につけたひと切れの肉片は、勢い余って彼女の方へと転がっていった。そしてそのまま彼女の目前で金属の網からテーブルの上へと落下し、テーブルの摩擦力によって停止したのである。


 コマ送りで映画を見ているかのような印象的なシーンが繰り広げられ、冷や汗が僕の額を伝って流れていく。

 すると、ついに。

 山が――いや、真奈美さんが動いた。


「んもう、ここけむすぎてダメだわ。……ちょっと、お手洗いに行ってくる」

「あ、どうぞどうぞ。いってらっしゃいませっ」


(チャンス!)


 そう、遂にやって来たのだ。

 この雰囲気を打破する行動を実行に移す、その好機ときが!

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