1 焼肉屋でアイラブユー(3億年前)
【1-1】
「どうです、うまいでしょ? この店、僕のお気に入りなんですよ」
僕――
そう――今宵は
会社勤務の終了時刻きっかりに上司の目を盗むようにして会社を抜け出した僕は、予め指定してあった駅で彼女と落ち合った後に、この焼肉屋へとやって来た。
「ザ・
いかにも美味しそうな響きの名前ではないか!
だが、実は……この店が僕の『お気に入り』というのは嘘だった。本当は、今日が初めての来店なのだ。SNSやグルメ情報サイトでみっちりと調べあげ、『高級
(ならばきっと――)
僕は彼女が
今度こそ、舌の肥えているであろうお嬢様でも、気に入ってもらえるはず!
……なんてことを考えながら彼女をエスコートしつつ、駅前通を歩く。
薄暗い路地を右に折れ、この店の正面にたどり着いたのは今から三十分前ほどのこと。
僕らを待ち構えていたのは、『焼肉屋』という言葉の響きからは想像できないほど幻想的な光景だった。
木目調の、和風な横開き自動扉。
そんな面構えの玄関横にある穴から、これでもかというほど勢いよく白い煙が噴き出している。街を吹く風は弱く、拡散されずに空気中にふわふわと漂ったままだ。
――もしかして、これから大物演歌歌手のステージでも始まるのか?
そんな気さえしてくるほどの、雰囲気だ。
肌にまとわりつく粘性を伴った白い気体は、雲のようにもこもことした形で広がりつつ、店舗前の路上空間に充満していた。
(うわ、なんて気の利いた演出なんだ……。やるな、この焼肉屋!)
きっと、僕の切羽詰まった状況を察した店主による演出に違いない(どうやって察したかは知らないが)。まるで雲の上に存在するメルヘン世界に、二人が迷い込んだような格好だ。
視覚ばかりではなく、嗅覚的にも店主のサービスはてんこ盛りだった。
醤油ベースのつけダレと肉の脂身がミックスされた、なんともかぐわしい香りに全身が包まれた僕は、気分がダダ上がる。わざと渋めの低音で「真奈美さん、この店ですよ」と囁きながら、彼女を店の中へと
「え……。ここなの?」
「もちろんです。さあ、入りましょう!」
「高級焼き肉店と聞いたけど、結構カジュアルなのね……」
「七輪というカジュアルさを持ちつつも味は高級――というのがこの店の売りなんです」
「ふうん……」
僕のドキドキな思いとは裏腹に、なぜか真奈美さんはぶすっとして不機嫌そうな表情なのだった。
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