田畑守りし詩は調べ - 解答編

「先輩、わかりました。この小説の真相が」

 黒瀬さんの大きな瞳がさらに大きく開かれる。

「ほんとに?」

 僕にはこの無垢なる先輩の大いなる期待に答える義務がある。

 小さく深呼吸し、僕は解説を始めた。

「まず、読んでいる時にその言葉遣いでいくつか引っかかる点がありました」

「言葉遣い?」

「例えば、作中で福留先輩が”ヤハウエ”と言っていますがここは普通”神”や”主”という言い方で良いはずです。キリスト教では”ヤハウエ”という名はみだりに発音してはならないことになっていて、大和祐二が知らずにわざわざこの奇妙な言い回しを選んでいるとは思えません。また、序盤では”ウシ”とカタカナで書かれていたものが後半では”牛”と漢字で書かれているのも気になりました」

「表記ゆれは確かに気になるよね……でもそれと推理にどういう関係が?」

 僕は画面を一番下までスクロールする。

「手がかりは、この名前の表記です」

 そして、画面上の「だいわ右二」と書かれた部分を指差した。

「なぜひらがなや誤字を含めて名前を書いたのか。それは、大和祐二が自らの名前に二重の意味を込めるためです」

「二重の意味?」

 黒瀬さんは怪訝な顔で首を傾げる。

「はい。まず”右二”の部分ですが、これは決して誤変換ではありませんでした。この二文字は、文字通り”2”という操作を意味しています」

 すると、湧いてくるであろう当然の疑問を黒瀬さんは口にした。

「……何を?」

 しかし、その答えは直前に既に書かれている。

 だいわ。

「”だいわ”がひらがなで書かれていたのは、””とのダブルミーニングで読ませるためだったんです」

 つまり、”だいわ右二”は、”題は右2”。ミステリ作家・大和祐二は、自らの名前を用いて、読者が次に起こすべきアクションを説明していたのだ。

「そして、ここであの奇妙なタイトルが登場します」

 田畑守りし詩は調べ。

 たはたまもりししはしらべ。

「右に2ってことは……もしかして……」

「そう、50音表です」

 僕はパソコンで50音表を画像検索する。

 50音表での移動は、謎解きでは定番の手法だ。

 出てきた画像を見ながらタイトルを1文字ずつ、右に2マス分ずらしていく。すると……


 かたかなのみいいたいまで


「カタカナのみ言いたいまで……」

「つまり、大和祐二がこの小説で伝えたかったのは””なんです」

 再び目を大きく見開いた黒瀬さんは、急いで小説をスクロールしながらパソコンのメモ帳にカタカナを打ち込んでいく。


 ヘン/シュ/ウシ/ヤハウエ/カラメ/センキュウ/ヨハネ/コ/ババ/モウ/ガタイ


「なんか微妙に文章になってないような……」

「よく見てください。ここもです」

 僕は画面を指差す。


【9時 立口13E衣 一タ匕口大 エ凡心小布】


「あっ、ホントだ。ってことは……」


 ヘン/シュ/ウシ/ヤハウエ/カラメ/センキュウ/ヨハネ/コ/ババ/モウ/タ/エ/ガタイ


 編集者は上から目線。給与はネコババ。もう耐え難い。


「つまり、これは小説という形式を取った編集者への告発状、この事件の犯人、は、彼の担当編集だったんです」


 ◆


 僕と黒瀬さんはこのことを(長らく更新が止まっていた)ミステリ研のブログで公表。このエキセントリックな告発小説はたちまちインターネットで"バズ"り、大和祐二を担当していたベテラン編集者は世論からの苛烈な糾弾を受け、たちまち辞職に追い込まれた。他の作家からも同編集者の悪評がたちまち浮かび上がり、中には給与の減額を認めないと他所の出版社への悪い噂を広めると脅されたものもいたらしい。信用が重要な作家という職種にとって、この仕打ちはまさに殺人的であった。


「でも、どうも気にかかることがあるんですよね……」

 推理をブログで投稿した翌週、いつものように僕は黒瀬さんと二人きりの部室で顔を合わせ、事件を振り返っていた。

「こんな短編を書く余裕があるのに、自殺なんて図りますかね? 普通……」

 首を捻る自分に、黒瀬さんは静かに答える。

「きっと、こうするしかなかったんでしょうね」

 黒瀬さんは続けた。

「高圧的な上司も、古くなってガタが来てる業界の体質も、そんな環境で追い込まれての自殺も、この世界ではあまりにもありふれている。きっと普通にメールやブログで告発しただけでは誰も見てくれないし、関心だって引かない。」

 そう言って悲しそうに目を伏せる。

「大和祐二は、きっとそのこともわかってて、それでも後に生きる作家のために現状を変える方法として、これを選んだんじゃないかな」

 大和祐二の担当編集は部署の中でも年長者、いわゆるみんなのまとめ役のような人だった。それ故に、おそらく普通に告発しても社内でなあなあにもみ消される。大和祐二のこの行動は、そこまで読んでの選択だったのかもしれない、と黒瀬さんは付け加えた。


「なるほど……」


 そういうことならそうなのかもしれない。


 僕は納得した。


 僕は黒瀬さんの言葉に納得しながらも、胸の奥に引っかかる、このささくれのような違和感を拭えずにいた。


 この違和感は、一体……────────────


 ◆


「ただいまー」

 とマンションの自室を開けた黒瀬芳佳は挨拶するが、一人暮らしなので当然返事は帰ってこない。

「うーん、やっぱ田中くん、すっごく面白い……!」

 帰宅するなり暗い部屋の奥に鎮座するゲーミングチェアに身体を投げ出すように腰掛ける。

「あれで自分は凡人です、みたいな顔してるんだからすごいや」

 そうひとりごちて、電気のついてない部屋のなか、芳佳はデスクトップの電源を入れた。

 3つのモニターが同時に明るく光り、ブルーライトが室内を妖しく照らす。部屋の壁には大和祐二の部屋の合鍵、机の上には大和祐二がに使用したものと同じ毒薬、そしてデスクトップの画面には新春社の社用メールのやり取りの全データが表示されている。


「焦っちゃだめ。じっくり育ててあげないと。いつか彼が、私を見破ってくれるその日まで……」


 そう言って芳佳は、合鍵と錠剤をゴミ箱に捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

田畑守りし詩は調べ フロクロ @frog96

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ