田畑守りし詩は調べ
フロクロ
田畑守りし詩は調べ - 問題編
◆
「ふむ、ヘンだなぁ、このあたりのはずなんだがね……後藤くん、わかるかい?」
画面上の地図とにらめっこしている部長の横で、僕・後藤結城は遠くにぽつんと佇む一軒家を指差す。
「あの建物じゃないですか?」
埼玉の高校を出て都内の大学に入った最初の夏。僕が入部した文芸部の面々は田園風景がふんだんに残る千葉県の貸別荘での夏合宿にやってきていた。文明が隔絶された環境に身をおいて、2泊3日泊まり込みながら缶詰状態で執筆を行う。今回借りた別荘は最寄り駅までも車で30分かかるという、正真正銘のど田舎だ。木造りの建物の前に着いた6人の部員は鍵を開けるなりわらわらと入っていく。辺鄙な場所の割に部屋自体は整備が行き届いていて、入るとひのきのいい匂いがした。
「やだーこの家!虫多すぎ!もう既に耐えらんないかも~」
シュ。入って早々に虫よけを連発している女子は文芸部2年の木崎先輩だ。この別荘の裏手はすぐ牧場になっていて、虫どころか放し飼いされたウシもたくさんいる。もとより潔癖症のふしがある木崎さんだったが、生まれも育ちも東京の彼女にとって千葉の田舎は未開の地に見えているようだ。よく見ると今度は壁に殺虫剤を放っている。やめてくれ。
「こらこら、無益な殺生はヤハウエもお赦しにはなりませんよ」
そう言って木崎さんをなだめているのは3年の福留先輩。福留さんは毎週教会に通って聖書もほぼ暗唱できると噂の敬虔極まりし基督教徒で、部内でも随一の穏やかな人物だ。いつも目を細めてにこにこしていて、なんとなく底が知れない。変わり者だが、整った顔立ちで女子からは人気らしい。
「そんなことよりはやくBBQにしようぜー」
既に長椅子に腰を下ろしてTVをつけていた2年の大石先輩が恰幅のいい体をねじってこちらを振り返った。いわゆるおたくであるところの大石さんは「彼女ほし~」が口癖で、そして見たままの大食漢だ。一度連れてってもらった"二郎"とかいう麺屋で「にんにくカラメなんちゃら……」みたいな奇妙な呪文を早口で詠唱していて怖かった記憶がふと蘇った。
「BBQは明日ですから、もう少し待ってくださいね」
そう言って台所から大石さんに微笑むのは僕と同期である1年の藤岡さん。地方の進学校から出てきた彼女は落ち着いた見た目に控えめな性格を併せ持った、文学少女を体現したような文学部生だった。今は買いだした食材を冷蔵庫に丁寧に収納していて、部室では見えない家庭的な一面をのぞかせている。
「さて!」
宝塚のような風格を纏った3年の鳴海部長が仁王立ちで手を二回叩き、部員の視線を集める。鳴海部長は昨年ある有名な文学賞を受賞し、既に出版も決定しているという才女であり、我ら文芸部の星だ。
「途中寄り道などしていたら思ったより遅くなってしまったね。腹ぺこの人もいるようだし、とりあえず今宵の宴を始めようか!」
時計は17:00を指していた。そして、部長は変な人だった。
結局夕飯は藤岡さんと木崎さんと福留さんが中心に作ってくれて(肉じゃがだった)、僕と大石さんが洗い物をした(大石さんは最初ごねたが、肉じゃがの半分を腹に収めた罪を償えと脅したら渋々従ってくれた)。それらの行いに対して鳴海部長は「センキュウ!」という良いんだか悪いんだかわからない発音で感謝だけしてくれた。
もうその日はやることもなかったため、夕飯を食べた我々は、自然と各々の寝室に潜っていった。
別荘の寝室は二階にふたつあり、それぞれ3つの寝床が敷かれている。今回ふたつの寝室をそれぞれ男子部屋、女子部屋とした。僕は当然男子部屋だ。
部屋に入って布団に顔をうずめると、長い車移動のためかどっと疲れが押し寄せてきた。もとより活発な気質ではないのだから無理もない。隣室からは女子たちの話し声が聞こえてくる。
急激に意識を蝕む眠気に抗うこともなく、僕は眠りに落ちた……。
翌朝。
清々しい空気と夏の朝の日差しの中、鳥のさえずりで目が覚める……予定だったのだが、実際は木崎さんの裂くような悲鳴で目が覚めた。気づくと布団で寝ているのはもう僕だけだ。時計は8時45分を指している。
大慌てで階段を駆け下りると、玄関のあたりが騒がしい。慌てて向かうと、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
「藤岡さん……?」
頭から血を流した藤岡さんがうつむけに倒れていた。呼びかけても、肩を揺さぶってもぴくりとも動かない。死んでいた。
部員全員は唖然とし、その場に立ちすくんだ。鳴海部長は口を結び沈鬱な表情をし、大石さんはがっくし肩を落とし藤岡さんを眺めている。
「よ、ヨハネによる福音書にもこんな一節が……」
混乱した福留さんに至ってはあるかもわからない聖書の引用を始めていた。
場の空気が混沌に落ちていくなかで、僕はつとめて冷静さを保ち、現場を客観的に眺めた。
藤岡さんの隣には割れてコの字になっている穴あき煉瓦が落ちている。血が付着しているのを見るにおそらく凶器だろうが、この手の煉瓦は田舎のそこら中に落ちていて入手は容易だ。血がすっかり乾いているのを見ると、少なくとも夜明け前のうちの凶行だろう。
「女子部屋で何は変な様子はなかったですか」
僕の質問に部長が答える。
「昨晩は3人でUNOとかババ抜きをやってたんだが、10時くらいに私と木崎くんが急に眠くなってきて、それでそのまま消灯したんだ。だから申し訳ないが、その後の藤岡くんの行動はわからなくてね……」
「要はこの中に殺人鬼がいるってことでしょ!!!警察はまだなの!!!」
木崎さんは既に発狂寸前だ。彼女の甲高い声に反応したのか遠くで牛がモウと鳴いた。
殺人という切迫感と田舎ののどかさが混じり合い気が狂いそうになる。
警察は鳴海部長が既に呼んだらしいが、ここに着くまで最短で30分はかかるだろう。
「まだ、僕らの中に犯人がいるとは限りません」
とはいえ、貸別荘には鍵がかかっているし、深夜に藤岡さんが不用心に外に出るかは怪しい。そうなると室内の誰かが彼女を外に誘い出したと考えるほうがよほど自然だろう。
思考がまとまらず再び地面に目を落とすと、先ほどの煉瓦の下に一枚の紙が挟まっているのに気がついた。慎重に引っ張り出すと、そこには奇妙な文字列が並んでいた。
【9時 立口13E衣 一タ匕口大 エ凡心小布】
隣にいた大石さんも紙を覗き込むと、ガタイの良い身体を震わせながら言った。
「これって、犯人の正体につながる暗号ってことかな……それとも……」
「次の標的」
僕がつぶやく。9時ということは、おそらく警察が来る前に第二の犯行が行われるということだろう。しかし、この状況でどうやってもう一人を殺すと言うのだろう?時間差で効く毒でも盛ってあるのだろうか?それとも白昼堂々殴りかかる?そもそも本当に我々の中に犯人がいるのか?そもそもこれは殺人事件なのか?
……さて、犯人を当てていただきたい。
だいわ右二
◆
「え……全然わかんないんですけど……」
部室のPCを眺めていた僕は頭を抱えた。
「というか、これが本当にあの大和祐二の作品なんですか?」
そう言って僕は後ろに立つ先輩―――黒瀬芳佳の顔を見る。
「おととい大和祐二のブログに投稿された、間違いなく本人の作品よ。それに文体だっていかにも彼のものでしょう」
艶のあるロングの黒髪をなびかせ、黒瀬先輩は大きな瞳できっぱりと告げる。
「文体はそうですけど……」
僕は再び頭を抱えた。
大学1年生の秋。空きコマや放課後をこのミステリ研の部室で過ごすことが僕の日課になっていた。ミステリ研、と言ってもアクティブな部員は1年の僕と3年の部長・黒瀬さんの二人だけで、部誌を描いたりするわけでもなく毎日部室でただ雑談をしているという、サークルの体をほとんどなしていない活動実態だ。名簿上は7人ほどの部員がいるのでなんとか廃部にならずに済んでいるが、春には来ていた部員たちは何故か徐々に来なくなり、結果この部室棟の一角は僕と黒瀬さんの秘密の花園となっていた(いやはや幽霊部員共には感謝してもしきれない)。重度のミステリオタクである僕と黒瀬さんは意気投合し、こうして毎日部室でミステリ談義を交わしているわけである。
そんなミステリオタクの間に衝撃が走った事件が、おととい起きた。それがミステリ作家・大和祐二の自殺である。
大和祐二はベストセラー作家とまではいかないが、数々の賞を受賞し本格ミステリから叙述トリックまで幅広いテクニックでミステリファンを唸らせていたまさに若手ミステリ界の旗手とでも呼ぶべき存在だ。それだけに30半ばにおける彼の自殺はミステリファンの間では波紋を呼んだ。しかし、今回騒ぎになっているのはそれだけが原因ではない。というのも、大和祐二は死と同時に一編の「遺稿」を残したのだ。それが先ほどまでPCで読んでいた短編『田畑守りし詩は調べ』というわけである。ミステリのいわゆる”問題編”にあたるとみられるこの一連の文章は大和祐二の自殺の日に彼のブログに投稿され、「死んだミステリ作家からの挑戦」としてインターネット上で急速に拡散された。
「これ、解答編はどこにも投稿されてないんだよね。しかも作者はもう死んでるから、真相は読者が解くしかない」
人の死が絡んでいるので表情には出していないが、黒瀬さんが少しワクワクしているのが伝わってくる。不謹慎だと思いつつも、僕もその気持には同意だった。ただ……
「どうにも納得行かないんですよね……」
「ふん、どのへんが?」
頭の引っ掛かりを整理しながら、黒瀬さんにひとつずつ説明する。
「まず、この短編、論理的な推理が出来るようにはとても見えないです。環境の条件設定も全然なされてないし、登場人物の人間関係とか、身体的特徴とか、趣味とか嗜好とか恐怖症とか、そういった推理を限定するための要素も到底足りているようには見えない。それなのに、挑発的に視聴者に推理を要求している。たしかに文体は大和祐二っぽいですが、彼はこんな迂闊なものは書かないはずです」
「なるほどねえ」
黒瀬さんは長い髪を指に巻き付けながら僕の話を聞いている。指先まで美しい。見とれながら続ける。
「それに、なんとなく冗長な設定も多い気がします。福留さん?のクリスチャン設定とか雑すぎだし……。それに『田畑守りし詩は調べ』というタイトルも、あまり内容に即しているようには……いや、このへんは解決編で回収される予定だったのかもしれませんが」
黒瀬さんは「ふん……」と悩んでいるとき特有のかわいい相づちを打つ。
「最後に出てきた変な暗号は?」
「あれは「部長 死因 恐怖」の文字をバラしたものですよね。何の情報量の足しにもなってません。てか「死因 恐怖」て……」
言いながら僕は頭をかきむしる。この小説には一見不要に見える要素が多すぎるのだ。本当にこんな小説を書くだろうか、あの大和祐二が……と考えたところで思い出す。
「そうだ、あと何より最後の”だいわ右二”って名前の表記も気になります。”大和”はひらがなだし、”祐二”のしめすへんも欠けている。」
「死に際に切羽詰まって誤変換したって可能性は?」
「そうであればそれまでの文章が整然としすぎているし、何より使い慣れたPCであれば自分の名前を誤変換するほうが難しいはずです」
これで小説自体に関する気になる点は言い切ったが、何よりも気になったことは小説の外側にある。それは、投稿されたタイミングだ。一体なぜ死と同時に投稿する必要があったのか。ファンはこれを遺稿だと言っているが、これではまるで……
「遺書……」
その瞬間、電流が走り、すべての要素が頭の中で繋がった。僕は大急ぎで頭から小説に目を滑らせる。確認すべき要素を順番に確認して、それらを脳内で結びつける。
「やっぱりだ……」
疑念は確信に変わる。
この小説に、確かに犯人は描かれていた!
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