248話 銀狼少女の帰艦
「元獣王の名において命じます! 兵たちは戦闘態勢を解いて下がりなさい!」
やたらと長身の獣族女性が高らかに叫ぶと、俺たちを取り囲んでいた兵士たちはそれはもう勢いよくサッと武器を収めて下がりだした。
見事な統率である。
『ん? 元獣王っつったか?』
『ううむ、先生……。これはひょっとして……』
きょとんとしている烈火吹雪の言葉に、俺は頷いて説明した。
「ああ。あの人が現王妃にして元獣王。そんで、隣に居るのが次期王様だよ」
『く、詳しいんだな』
「ああ。そりゃあ、前に会ってるからな」
一か月ほど前、俺たちは海神ムーアからの要請によって海族と獣族間の戦争回避の為奔走していた。
戦争勃発の原因は、獣族側のテロリストが海族の王女様と獣族の王子を拉致し、それぞれ互いの国がやったのだと思わせた事だった。
それを察知した俺たちはテロリストのアジトに殴り込み、二人を救出。
それぞれの陣地に出向いて王女と王子を返還したのである。
この二人とは、その時以来だな。
「ええい貴様ら! 獣王の命令だぞ! 何故動きを止める!?」
一方、現獣王は突然の事態にあたふたとしている。
そんな獣王へ、王妃がつかつかと近寄って行った。その身体から溢れるオーラ……流石である。
「それは、貴方よりも私の方が慕われているからですよ。獣王陛下……」
「お、お前……グラリォの療養のためにシュマル領に行っている筈では……」
「オホホ。久しぶりですねぇ陛下。それにしても、私が留守にしている間に、随分とやりたい放題やった事で……」
「わ、私は現獣王だ! 私の好き勝手にやって何が悪い!」
「そりゃ悪いでしょう。好き勝手やるのが王の権利だとでも思っているのですか? それも、こんなくだらない事で」
「く、くだらない……だと?」
「話は既に神官から聞きましたよ。まさか、獣神様からの
「い、いや。それは……その……」
獣王の目が完全に泳いでいる。
そして、いきなりそんな話を聞かされて、俺たちを取り囲んだ兵士は勿論、会場に集まった客たちもどよめいている。
今の反応を見る限り、城の関係者ですから大半は知らなかったようですね。
「さて、そこの貴女……」
と、王妃の視線が闘技会会場に立つフェイに向く。
「貴女、この獣王国に留まりたいですか?」
『いいえ、この国での用件は既に済みましたので、即刻帰らせてください』
「そ、そんな……フェイちゃん」
即答するフェイの姿を見て、獣王はガックリと膝から崩れ落ちた。
「分かりました。貴女を開放します。これはすでに獣神様より許可を貰っていますので」
『分かりました。帰ります。すぐに帰りますのでご安心を』
「そ、そんな……フェイちゃん……」
即答するフェイの姿を見て、獣王はそのままペタリと尻もちをつく。
俺からしたら、期待を抱く余地があっと思うのかという所なんだが……他人の思考というものはよく分らんな。
「そして貴方……現獣王よ。貴方から、獣王の座をはく奪します!」
王妃は獣王に配慮もせず、更なる現実を突きつけたのだった。
兵士たちや民衆たちのざわめきも大きくなる。そんなやり取りを国民がたくさん集まった場所でしているのだが、いいのかこの国。
当然ながら獣王は反論する。
「な、なんだと! 何の権限があって!」
「権限ならあります。獣神様より神託がありました。ええと……
「わ、我について?」
「政治には関われないから直接命じる事は出来ないが、これ以上下らん事で我の頭を悩ますならば、今後キラウェイア火山に良く無い事が起きるぞ……だそうです」
「キ、キラウェイア火山!」
王妃の発言に、獣王どころか会場に集まった民衆からもざわめきが広がっている。
なんじゃそらと思っていると、背後より月影がぼそりと説明してくれる。
『キラウェイア火山は、このシルバリア王国で一番大きな活火山ですね。数年前に一度大噴火を起こして、多大なる被害を出したとか。今では噴火は収まっているようですが……』
なるほど、脅しか。
具体的に建造物を破壊とかではなく、自然現象に多少手を加えるとかならありなのだろうか。
神のルールとやらも良く分からん。
『な、なぁあの人って元獣王とは言え王妃なんだろ? なんでまたあんなに強気なんだ?』
『うむ。今の獣王とやらよりも圧倒的に立場が上だな』
烈火吹雪の疑問に、最早ウィ●ペディアと化した月影が解説してくれる。
『あの元獣王陛下、妊娠と出産を機に王の座を今の獣王に引き継いだらしいのですが、その信頼は未だに厚く、有事の際には現獣王よりも頼りにされているようですね』
『ん……引き継いだ?』
『ええ、今の獣王は言ってみれば婿養子さんですね。正式に王家の血を受け継いでいるのは、王妃様の方です。現獣王は、王族の血は受け継いでいませんので、あくまで王子が成人に達するまでの繋ぎの獣王とも言えます』
俺はそこまで獣王国の事情に詳しくなかったが、かつて王妃に接触した際に、この人の方が圧倒的に力関係は上なんだなと実感していた。そもそも先の戦争勃発未遂の折、前線でがっつり指揮を執っていたのはこの人なのだ。
「更に、城の大臣たちとも話は付けました。過半数が賛同し、王位の譲渡については最早、貴方の了承のみとなっています」
「そ、そんな……獣王は我じゃ! 貴様、再び王の座を得ようとして、姑息な真似を……」
やがて、口論はヒートアップし、冷静な言葉で諭していた筈の王妃が遂に切れた。
「うるっせぇんだよ! このロ●コンがぁ! 自分の性癖の為に、他人様どころか国全体に迷惑かけてんじゃねぇよ!
「ひ、ひいぃぃっ!?」
そして、そのパワーワードは瞬く間に広がっていく。つーか、この世界にもその単語ってあるんすね。
「ロリ●ン? 獣王がロ●コン?」
「そう言えば、あの子確かに小さいわね」
「パパー。ろ●こんって何?」
「おい、うちの子を獣王陛下と目を合わさせるな!」
「でも、ひょっとしたら側室に選ばれたりしないかな?」
と、馬鹿馬鹿しいざわめきを他所に、いい加減現獣王が泣き崩れた。
「だってだってぇ! そ、そもそも……お前が、こんなにでかくならなければ―――。せっかくあの頃のお前によく似た子に出会えたというのに……」
今の台詞の意味を分からず、首を傾げていると背後に立つ月影より注釈が入る。
『前獣王ですが、結婚する前は確かに今のフェイ様によく似た可愛らしい外見の少女だったとか。獣族は妊娠と出産で一気に体形が変わるらしいので……まぁ、好みの体系ではなくなったという事なのでしょう』
……よもや、今の王子以外に子供が居ない理由ってそれが原因だったりするのだろうか。
でも、それだったら側室が居たりとかありそうなもんだけど。
まぁこの国の事情について、あれこれ考えても仕方がない。
それに、獣王の性癖について理解出来た事で今回の騒ぎの解決法も分かった。
「ああ、フェイ……」
俺はフェイの耳元に口を近づけると、ゴニョゴニョと耳打ちする。
『……はぁ、分かりました』
フェイは心底嫌そうな顔をしていたが、深呼吸の後にパンパンと自分の頬を叩く。
腹をくくったようだ。
『……獣王陛下』
「おおフェイちゃん! やはり、我の元に居たくなったか!」
フェイは額に青筋を立てながらも深呼吸をして、自らの肉体をぐにょんと変形させる。
そこに居たのは、まるでアルカさんのようにグラマラスな大人ボディへと肉体を変化させたフェイだったのだ。
『これが、私の本当の姿です。これで、理解いただけたでしょうか?』
フェイの変貌を見て、獣王はペタリとその場に再び尻もちをついた。
本当の姿ってのは嘘であるが、今の獣王にはクリティカルヒットだったらしい。
「そ、そんなフェイちゃんが……あんな凹凸のある肉体に……」
よし、これで心は折った。
後はこの国の問題で、俺たちに出来る事は最早無いだろう。
まぁ、俺たちの存在がこの国に問題を巻き起こしたようにも考えられるが、こんな国王が居る国だ。遅かれ早かれ、問題は起きただろう。
……と、思っておく。
こっちはこっちの問題で精いっぱいなのだ。国の問題はその国で何とかしてくれ。
そう思って踵を返そうとすると……
「レイジどのー!」
まだ声変わりのしていない甲高い少年声が響いてきた。
振り返ると、兵士たちをかき分けて見覚えのある獣族の少年が駆けてくる。
グラリォ。
あの獣王の息子にして、獣王国の次期王様である。
「おひさしぶりにございます!」
「おう、お前もでかく……はなってないな。会ったのはついこないだだし」
ルークにするようにぐしゃぐしゃと頭を撫でると、グレリォ少年はゴロゴロと喉を鳴らして喜んで見せた。
くそう、可愛いな。
「このままさってしまうのですか? せっかく会えたのですから、もっとしんこうをあたためたいのですが……」
「悪いな。まだまだやる事が山積みでな」
「そうですね。まだまだこのせかいの悪いやつをたいじしなくてはなりませんものね!」
いや、そういう事でもないのだが……いや、ある意味そうか。
しかし、あんな親の醜態を目の当たりにして、この子の将来が非常に心配だ。
国の問題とは別にして、知り合いの子供の将来を気にする余地くらいはあっていいだろう。
「強く生きろよ」
「はい! ぼくはだれよりも強いじゅうおうになります!」
健気に両手でガッツポーズを作った後、急にもじもじした態度となった。
「それと……」
「ん?」
「レイジどのは、あれからペチカとお会いになりましたか?」
「ペチカ?」
俺は脳内よりその名前の主を思い出す。
そう言えば、海族の王女の名前……本人より聞いたわけではないが、周りがその名前で呼んでいた気もする。
「あの海族のお姫様か?」
「そうです! お会いになりましたか?」
「いや、残念ながら会ってないな」
そう答えたら目に見えてがっかりした態度となる。
「……そうですか。レイジどのは、うみぞくの女の子はどんなものをもらったらよろこぶのか分かりますか?」
「ざ、残念ながら……海族に知り合いは居なくてな」
もしや……もしやと思うが、この少年……。
「仲良くなりたいのか?」
「いえ、すでになかはよいです! あとはどうきょりをつめていくか……」
と、悩ましい表情で腕を組んだ。
そうか。
この二人は一つの牢の中で数日間共にしていたのだったな。
吊り橋効果とやらで距離も縮まるか。
しかし、見た目人間サイズの猫である獣族と全身青色で下半身魚の海族……ロミオとジュリエットどころじゃねぇ。とんでもなく前途多難なカップリングだ。
そもそも、どうやって子供――――――アーアーアー!! 自らそんな事を考えてどうする俺! この二人にはこの二人の物語があるのだ! これ以上踏み込んでどうする!
と、自分に言い聞かせてグラリォの頭にまた手を置く。
「とにかく、またな……グラリォ。元気でやれよ」
「はい! レイジどのもおげんきで!!」
今度こそ背を向け、俺たちは会場の外に向かって歩を進めた。
そこであることに気付く。
「あ、フェイ。もう元に戻っていいぞ」
『元……以前アルドラゴに居た時の姿という事で良いのですよね?』
「当たり前だ。何言ってんだ」
『……ところで
「あん? フェイはフェイの姿のままで良いんだよ。……いや、その姿が好きなら別に構わないが……」
『いえ、元の姿に戻らせていただきます』
元の姿……要は、俺にとって馴染み深い姿に戻ったフェイは、数歩ほど歩いた所でポツリと口を開いた。
『……この姿、もう
「そう言えば、そんな事を言っていたか」
『名前すら知らないですし、どんな方だったのか知る術はありません。それでも、私という存在に姿形を与えてくれた恩人です』
なるほど、俺たち人間に対する両親の存在とは違うだろうが、確かに今のフェイを形作った恩人とも言えるか。
『意識しなければ自然とこの姿に戻ってしまうという事もありますが、私たちAIにとってオリジナルの姿というのはなるべくなら変えたくないものなのです』
「うんうん」
『ええと……ですから……』
そこへぬっと入ってくるのは
『このままの姿を受け入れてくれて感謝しているという事ですね、フェイ様』
『……マークス、私が知らない間に随分と感情の機微を読む力が上手くなりましたね』
『今の名前は月影です。それも含めて、伝えるデータがたくさんありますね』
『……そうですね』
俺たちが闘技会場端に陣取っている
その様子に安心したのか、日輪が手を振って喜んでいる。
さて、この国に来た一番の目的はこれで済んだな。後はセルアの墓参りっていう表向きのミッションも残っているが、肩の荷も少しは降りた。
……いや、まだやるべきことが残っていたな。
「あ、ところでフェイ。まだ言っていなかったな」
『なんですか?』
「おかえりなさい」
『………』
フェイはキョトンとしていたが、やがて何処か安心したような顔つきとなる。
『姉さんたちに会った時にまた言うかもしれませんが、そうですね。……ただいま帰艦しました。
こうして、離艦していた三人のうち、一人がようやく戻って来た。
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