71話 老竜の最後



 時間は少し遡り、レイジと聖騎士ルクスが戦い始めた頃……



『だ、駄目だぁ。生命反応がどんどん低下していく……。全然治せないよぉ』


 ルークは先ほどから必死にゲオルニクスに向かって治癒魔法を掛け続けているが、治癒が完了するよりも早くゲオルニクスの身体から生命力が失われていく。これでは、彼の身体を治す事は不可能だ。

 そもそも、治癒魔法とは肉体の細胞を活性化させて、本来治るべき傷の修復を早めているものである。だから、死に至るほどの傷は癒す事は出来ないのだ。


 それでも、ルークは諦めきれなかった。

 自らの主で、艦長たるケイから頼まれたのだ。

 彼を頼むと。

 艦長命令ならば、なんとしても完遂しなくてはならない。

 だというのに……。


「ルーク殿よ……。これが死というものなのだ。いくらお主が優れた魔術師であったしても、死というものを塗り替える事は不可能だ」


 息も絶え絶えといった様子でゲオルニクスが諭す。


『そ、そんなぁ……』


 ルークに涙を流す機能は無いが、表情は今にも泣きそうであった。

 ルークは、今まで死というものに触れた事が無い。

 自分達が倒す存在は全てが魔獣。チームメンバーは怪我というものには無縁であったし、他のチームとの合同任務の時はパッと治せる程度の怪我人しか居なかった。

 いや、Bランク認定試験の時にチーム・バサラの面々が死を迎えたが、別に死の瞬間を直接見たわけでは無く、特に死を嘆く程に親しかった訳でも無い。だから、彼の中で死というものがどういったものなのか理解できていなかった。

 だから、今の状況がさっぱり分からない。

 どうして彼の傷を癒す事が出来ないのか。どうして、彼はその死というものを受け入れているのか。


 そこへ……


「全く……急いで帰ってきてみれば、まさかこんな状況で再会とはな……ゲオ爺」


 いつの間にか、傍におよそ30歳手前程度の銀髪の美女……竜神ファティマが立っていた。

 何気に、ルークがファティマと会うのはこれが初めてであるが、ラザムを通して会話だけはした事がある。外見では無く魂で本質を捉えるルークからしてみれば、この人がファティマなのかと、すんなりと納得できたのだ。


「ふふ……あのじゃじゃ馬娘が立派になりおったか」


 ファティマの姿を見て、ゲオルニクスが嬉しそうに笑う。


「ああ。父の後を受け継いで、これでも神だ。全く……あのゲオ爺がここまでヨボヨボになっているとは、私も歳をとったものだ」

「それが世代というものだ。お前もいずれ子が出来るだろう。そうすれば、その者に命を繋げばいい」

「まあ、私の場合はつがいの相手が相手だからな、そもそも子が出来るのかまだ分からんがな」


 ファティマの口調はいつものように歳よりめいたものではなく、どことなく歳相応の女性のようでもあった。昔の知り合いという事で、口調も昔のものに引きずられたのか。

 そんな感じで、何やらのんびりと会話を始めた二人に慌ててルークが割り込んだ。


『そんな事より、お爺ちゃんを助けてあげてよ! さっきからちっとも治せないんだ!!』


 ファティマは少しだけ考え込んでいた様子だが、やがてルークに向き直った。


「確かルークと言ったな。残念だが、私……儂も死を覆す事は出来んよ。ゲオ爺の命は、もってあと数分といった所だろう」

『そんなぁ……』


 ルークは愕然とした。自分よりもこの世界の魔法に詳しいファティマであればどうにか出来るのではないかという期待を抱いていたが、これで望みは潰えてしまった。

 この場において、ゲオルニクスを救う方法は存在しない。


「してファティマよ。一つだけ頼みがある。可能かどうかは分からんが、どうか聞いてはくれんだろうか」

「分かっているよ。じいの中にあるもう一つの魂の事だろう」


 まるで溜息のように、ファティマは言葉を吐き出した。


「王家はとやかく言うかもしれんが、確かにその者に罪は無い。何よりゲオ爺の今生の頼みだ。引き受けよう」

「ありがたい……。これで心置きなくける」

「とは言え、確実に助けられるかどうかは分からんぞ。少々実験みたいな事を試すからな」


 そう言ってファティマが取り出したのは、エメラルドグリーンに輝く丸い水晶……ではなく魔晶だ。


『それって……魔晶?』


 ルークが尋ねると、ファティマは頷いた。


「コイツは、元々竜王国の使いからお前たちに手渡す予定の物だったんだが……こうなっては仕方ないな。使わせてもらうぞ」


 と、ルークに言うのだが、ルークの一存で決められるはずもない。

 だが、返事も待たずにファティマは実行する。

 つかつかと瓦礫の上に横たわるゲオルニクスの元へ近づくと、その口の中へと手にした魔晶を押し込んだのだ。


「な、何をするファティマ……」

「いいから頑張って飲み込め」


 とは言え、死にかけの身で異物を飲み込むという行為は厳しいだろう。

 それでも魔晶自体がドラゴンの身体には小さすぎた事もあってか、ゲオルニクスは頑張って魔晶を飲み込む事に成功する。


「次は、その坊主とやらの魂を体内の魔晶へと移せ」

「なんじゃと!?」

『えっ!?』


 魔晶に意識を移すというのは、アルカやルークが編み出した方法だ。確かにその方法ならば魂の移動も出来るのだろうが、普通の人間の魂が魔晶へと移動できるものなのか。


「多分可能だと思うぞ。お前たちから、ダンジョンコアに人間の魂が入り込んだという話を聞いてな、人間であっても精神力次第で魔晶や魔石に魂を移す事が可能なのではと考えた」


 考えてみれば、あのBランク試験の折のダンジョンコア事件も、濃い魔力の密度を持つ石に、人の魂が乗り移ったものであったか。

 そして、よくよく考えてみれば魔獣が生み出されるシステムにしてみても、かつての魔族の思念……魂が魔石に入り込んで出来るものなのだ。

 強い思念さえあれば、人間にも可能であるかもしれない。……あくまでファティマの仮説であるが。

 最も、過去にそういう事例があっという情報は一切無い。よって、もし仮に仮説が正しいとしても、並大抵の思念や精神力では成功し得るものでは無いのだろう。


「だから、体内に魔晶を押し込んだ。肉体の外よりも、中の方が魂を移動しやすいだろう」


 ファティマの言う事は理解出来るし、理屈も理解は出来る。

 だが、容易な事では当然なかった。


 それであっても、ゲオルニクス達にもアドバンテージはある。

 竜族は元々魂の共有化等、魂の操作に関する事は他の種族よりも知識は深い。また、エルフ青年に関しても魂の共有化は経験済みである。

 であるならば、決して不可能な事では無い。

 ……筈だ。


 やがて―――ゲオルニクスの口から、エメラルドグリーンの魔晶が吐き出される。


「坊主は胸を貫かれた時に表に出ていたせいもあってか、意識が消えかけている。儂の中に魂を感じないので、恐らくは移せたと思うが……」

「いや、魂の波動を感じる。その坊主の魂はこの中にある」


 魔晶を手に取り、ファティマは確信したように言った。

 その言葉を聞き、ゲオルニクスの顔が安心したように安らぐ。


「そうか……ならば、このまま巻き込んで死ぬ事は無いな」

「あぁ、コイツの事は私が責任を持とう」

「ふふ……坊主に伝えてくれ。お前と居た20年は悪くなかったとな……」

「伝えなくとも伝わっているさ」


 優しげにファティマが言うと、ゲオルニクスもニコリと笑みを作った。


「だと良いのだがな。……では、ルーク殿よ。レイジ殿達にも世話になったと伝えてほしい」

『あ……ううぅ』


 ゲオルニクスの身体から、どんどん生命力が失われていく。

 それを、ルークは見ている事しか出来なかった。


「では、さらばだ……」


「……大変お世話になりました。冥府では、父に息災を伝えて下さい」


 ファティマはその場に片膝をつき、静かに祈りを捧げた。

 エヴォレリアで、死後は冥府の世界へと旅立つと言われている。最も、誰もそれを確認した者は居ないが。


 その言葉を最後に、ゲオルニクスは動かなくなった。


 そして、それを見ていたルークも動けなくなってしまった。

 死んだ。

 肉体から生命反応が完全に消えた。

 もう、ゲオルニクスは喋る事も動く事もない。

 これが……死というものか。


 データでは理解していたし、そういう現象なのだという事も理解はした。


 だが、何故だかルークの中で受け入れられなかった。

 頭では理解していても、納得が出来ない。ルークの中の何かが死というものを拒否している。


「さて、後はこの魔晶をこの坊主の体内に埋め込めばいいのだが……」


 祈りを捧げ終わったファティマは、魔晶を手に取って傍に横たわっているエルフ青年へと近寄る。

 だが、困ってしまった。

 さっきと同じように強引に飲み込ませる訳にもいくまい。何より、意識が無いのだから飲み込む事は不可能だ。

 そもそも、魂を肉体に戻したところで根本的な問題は解決しないのだ。

 だから、出来る事ならばこの魔晶の魔力エネルギーをこの青年の肉体に循環できるようにしたいのだが……。


 ファティマがチラリと視線を移すと、そこにはゲオルニクスの死体を見つめたまま放心している様子のルークが居た。


(人体の構造について詳しいであろうアルカやこのルークという少年ならば、この魔晶を外科手術で身体に埋め込む事も可能なのではないかと思ったのだが……)


 今の状態のルークにそれをさせるのは酷というものであった。

 であるならばどうするか?

 アルカが戦闘から戻るまで待つか、それともラザムあたりにでも頼んでみるか。いや、人よりも魔法に詳しいと言っても、ラザムは医者ではない。さすがに外科手術までは無理か……。


『でしたら、私がやりましょう』


 見知らぬ声。ファティマが慌てて振り返ると、そこには銀髪と褐色の肌を持つ少女が立っていた。傍に居ると言うのに、全く存在感を感じない。また敵意は感じないから、声を掛けられるまで気づけなかった。

 何者―――!?


『フェ、フェイ姉ちゃん?』

「姉ちゃんだと?」


 そこに現れたのは、アルカの妹でありルークの姉であるフェイだった。


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