第53話 疑惑 4
私は貴一郎に初めての嘘をついた…
恋だと確信してしまった柾への想いに気付かれてはいけないと、私の頭の中で警報が鳴り響いていた。
まだ、私が教師をしていた頃、一緒に働いていた貴一郎に誤解を受ける出来事があった。
それは、教師になって3年目の出来事で、貴一郎の嫉妬からくる行動に同僚の友加里も呆れたほどだった。
貴一郎が嫉妬した相手は教育実習に来た男子学生で、クラス担任をし、国語の担当でもあった私に教育実習の指導係としての白羽の矢が立ったのだった。
教師になって3年目とはいえ、まだ駆け出しの私が誰かを指導するなんておこがましいことだったが、学校の方針に若い教師を育成することを掲げていて、逃れることは出来なかった。
教育実習は2週間という期間だったが、学校にいる間は実習生の手取り足取りの状態で、自由になる時間は殆んどなかった。
学校を出た後も、何時もより念入りに授業の組み立てを考えたりして、プライベートの時間も費やすことが多かった。
何時もだったら貴一郎と食事に行って、プライベートの時間を満喫しているのに、この2週間に限っては、プライベートを満喫するどころか、貴一郎と会う時間も殆んどない状態だったのだ。
貴一郎も経験していることだから、分かってくれているものと思っていたのに、実習生が男性だったということも重なってか、貴一郎の疑心は更に深まっていったようだった。
「…荒れてるよ~、貴一郎…」
そう忠告してくれたのは友加里で、「毎晩のように愚痴を聞かされて困ってる」と私に零しにやって来た。
…とは言っても、実習生を託された以上、手を抜くことは許されないと真面目さ故に思う私がいて、あの時は友加里の忠告を無視せざるを得なかった。
ようやく実習生の実習期間が終わり、激励をかねて実習生と食事に行った時、どこで聞きつけたのかは分からないが、貴一郎が突然、店にやって来て食事を共にすることになってしまったのだ。
「松嶋先生の授業はどうだった?」
初めはそんな優しい会話からだった…
実習生も気さくそうな貴一郎に心を許し、実習の間の出来事を次から次へと話し始めた。
途中、貴一郎にお酒を勧められ、遠慮することなく彼は飲み始めた。
…それがいけなかった。
彼は私が必死になって実習に取り組めるようサポートしてきたことを褒めちぎり、酔った勢いで私に好意を持っていることを口走った。
そんな彼の言葉を聞いて、私は驚きを隠せなかった。
しかし、貴一郎は驚いた私の様子を自分に「ばらされた」と勘違いしてしまったのだ。
その後は、目も当てられないくらいの修羅場だった。
実習生の彼には申し訳ないほど、貴一郎は罵声を浴びせた。それでも飽き足らず、手を上げようとした時には、心臓が飛び出るかと思うくらい驚かされた。
殴られることはなかったけれど、実習生の彼に我を忘れるくらい必死で謝ったことを、忘れたいと封印した記憶の中から拾い上げ、思い出したのだった…
貴一郎が豹変したのは、確かにその時だけではあったが、それ以降は私自身も十分、気を付けてきた。
結婚してからは仕事を辞めたせいか、そういう出逢いもなかったからだろう…
貴一郎の嫉妬心のことなど、私の中でしっかり封印され忘れ去られようとしていた。
「…何もないんだったら、別にいいけど」
貴一郎の言葉で、私の初めてついた嘘は上手く伝わったのだと、そう信じていた――
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