第50話 疑惑




(先生が隣にいたら、もっと楽しんだろうな)





柾の言葉に私は思わず絶句した。今、この瞬間、彼と同じ想いでいれたことに驚き、そして何より嬉しい気持ちでいっぱいになった。

心の奥の方がじんわりと温かくなっていく。

私の心が満たされていくのが、自分でも分かった…





「先生…?」





柾の言葉で急に黙り込んでしまった私を心配したのか、柾の問いかけには不安な気持ちが含まれているように聞こえる。





「あ、ごめん。…私も同じこと考えてたから、驚いちゃって…」





もっと大人の発言をしたかったのだが、柾が不安なままでいる時間を伸ばしたくなくて、つい本音をポロリと漏らしてしまったのだった。

言ってしまって少しの後悔を感じたが、伝えたかった想いを口にすることが出来た喜びの方が大きく、私はこの時、教師という職業をすっかり忘れていた…





「…そっか。先生もそんな風に思ってくれてたんだ。…何か、先生と俺って似てるのかな?」





「木本くんと私が?…うん…似てるのか…な?」





「あ、先生!今、俺と似てるの嫌だって思ったでしょ?」





曖昧に答える私の言葉に柾が即座に突っ込んできた。私は慌てて「そうじゃないわよ!」と何時もはそう出したことのない大きな声で柾に訴える。

そんな私の様子を愉しむかのように、柾の笑い声がスピーカーから溢れんばかりに聞こえてきた。





「冗談だよ、冗談。先生、からかい甲斐があるから面白いよね」





「ひどーい!大人をからかうなんて!!もう、木本くんなんて知らない」





今度は私の言葉に柾が慌てる番だった。

そんな些細なやり取りは、私達からたくさんの笑顔と笑い声を引き出させてくれる。

そんなたわいもない時間が二人の距離を縮めてくれるような気がして、私は柾との電話を自分から切ることが出来なかった。

このまま、この楽しい時間が続けばいい…

私は心の片隅で、そんな想いに駆られる自分を発見する。





しかし、明日、手術を控えている柾を解放しなければならないと、壁掛け時計を見つめながら思い直す私がいた。





…と、その時、私はリビングに人の気配を感じて恐る恐る振り返る…

私の背後に立っていたのは貴一郎だった。

私は静かに佇む貴一郎の姿に驚き、思わず声を上げそうになったが、私が貴一郎の存在に気付いたことで、貴一郎は「ただいま」と呟くとリビングを後にしたのだった。





「先生?どうかした?」





スピーカーから柾の声が聞こえて、私はハッと我に返った。

何時から貴一郎がそこに居たのかは分からないが、てっきり義母達と一緒だと思っていた私にとって、貴一郎の帰宅は驚きのなにものでもなかった。




「ううん、何でもないわよ。…それより、もう休まなきゃ…明日は手術なんだから」





「…うん、そうだね」





「木本くんの手術が成功するよう、祈ってるから。応援してるからね!ファン第一号として」





「心強いや。先生の応援があれば頑張れるよ。…先生と話せて良かった。今日はありがとうございました」





柾の丁寧な口調に私もつられるように背中を伸ばした。

きっと、柾は不安だったのだろう…

急に手術日が早まって不安に駆られていたのだろう…

そんな時に私を求めてくれ、安心を得ようとしてくれたことが私には何よりも嬉しかった。





「手術して、リハビリ頑張って元の体になって…バスケ出来るようになったら、先生…俺の試合、見に来てくれませんか?」





「うん、絶対見に行くよ。…是非、応援させて下さい」





私の言葉に安堵の溜め息を漏らして、柾は電話を切った。私も柾の穏やかな様子を感じ取れたのを確かめて携帯電話の「切」ボタンを押すことが出来た。





「何だかやけに楽しそうだったな…」





2階で着替えを済ました貴一郎の声に私の体がビクンと震えた瞬間だった――



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