第42話 恋という確信 6




私から背中を押された柾は、戸惑った顔で私を見ている。私は「行って!」と思わず声を荒らげてしまった。

目の端に綾乃の走り去る姿が映って、私の心がまたチクリと痛んだ。





「じゃ…」





柾の呟きが耳に入ってきて、私は冷静さを失わないようにゴクリと唾(つば)を飲み込み「うん」と返事をした。

柾が私に背中を向け、綾乃の後を追う姿を見て何とも言い知れぬ寂しさに襲われた。

そんな柾の姿を見てはいられなかった私は、思わず目を伏せその場に呆然と立ち尽くしていた。





「先生!…大野先生!」





目を伏せてすぐに柾の声が私を呼んだ。急いで目を開けると、綾乃を追いかけていた筈の柾が途中で立ち止まっている。





「何?」





「あいつとは幼馴染みってだけだから!それに、あいつには彼氏いるから!」





念を押すように叫ぶ柾の言葉は、何を私に伝えようとしているのか、その時には分からなかったけれど、何だか私の寂しさを一掃させてくれた。





「分かってるわよ!」





晴れやかに答える私に安心したのか、柾は大きく手を振ると、また再び走り出して私の視界から見えなくなった。

柾の目には映らなかっただろうけれど、思わず私は柾の後ろ姿に手を振っていた。

それこそ、彼の姿が視界から消えていくまで、私は小さく手を振り続けていた。





胸の中のモヤモヤが、霧が晴れていくように私の心の中でハッキリと形になっていくのが分かる。

私はベンチに戻って真っ青な空を見つめた。





「…好き」





私の口から思わず零れた言葉を、もう私は飲み込むことが出来なかった。

私は木本柾が好きなんだ――

そう自分の心の中で言葉にすることすら、躊躇出来ない自分がいた。

「好き」という気持ちを認めてしまってはいけないと、私の理性が歯止めをかけていたけれど、柾の言葉で私は自分に素直になりたくなってしまったのだ。







とうとう私は木本柾に「恋」をしていることを確信してしまった。

この想いが、これからの私にどう影響していくのか。

夫の貴一郎や義母に対して、どう影響されるのか。

こんな気持ちのまま教師として復職出来るのか…

自覚した途端に、私の頭の中ではいろんな問題が次々に生じて来る。





それでもどこかで、私は柾への想いに純粋さを感じていた。

計算なんかない、私の心が、躰が求める純粋な恋だと信じたかった。

ただ、心から溢れ出す「好き」と言う気持ちだけを守りたいと思った。





「お~い!松嶋~!」





ベンチに腰を掛けてから暫くすると、こちらに向かってくる伊坂の姿が目に映った。

私はベンチから腰を上げると、軽く伊坂に手を振って「そっちに行きますから」と声を掛けた。





「じゃぁ、車回してくるからボチボチ来いよ!」





伊坂の声が耳に届いて、私は大きく「は~い」と返事をした。

ベンチから離れかけて一瞬、私は足を止めた。

視線――

どこからか視線を感じて、思わず病棟の方に目を遣る。

ゆっくりと顔を上げて、柾が入院している筈の5階へ目を向けてみた。





…柾だった。

柾の視線が痛いほど私の姿を見つめているのが分かった。

私達は地上と5階の空間を言葉も交わすことなく、手を振るわけでもなく、ただ視線を絡ませ続けた…





プップー…

私はその音でハッと我に返った。

伊坂の鳴らすクラクションの音で、柾と絡ませた視線を解かざるを得なかった――





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る