第36話 光 3
伊坂の言った「教師魂」と言う言葉が私の頭の中を渦巻いていた。
柾に対する想いは、私の心の中にひっそりと根付いている「教師」という職業から来るものなのか。知らず知らずのうちに柾と似ている部分を感知し、ときめきへとすり替えてしまったのだろうか。
いろんな想いが交錯し、診察を受ける間中もそんなことばかり考えていた。
「…どうかしたのか?」
診察を出て外来のソファーに腰掛けると、伊坂が心配そうに私に問いかけてきた。
私は何事もなかったかのような素振りをして「何もありませんよ」と答えたが、診察中の出来事は殆ど記憶に留めていなかった。先生との会話もそうだが、伊坂と先生の会話も集中して聞くことが出来なかったのだ。
「…まだ、難しいな」
腕組みしながら呟く伊坂に今度は私が問いかける番だった。
その問いかけに伊坂は「お前のことだよ」と、私の頭を軽く叩く。
「仕事できるまで、もう少し掛かりそうだって…先生言ってたろ?聞いてなかったのか?」
伊坂の疑いの眼差しから逃れようと、いろんな言い訳を頭に巡らせたが、上手い言い訳は見つからず、私は俯いてしまった。伊坂は呆れ顔で「ぼんやりしてる場合じゃないぞ」と私の肩を叩く。私は、自分のことにすら集中出来ていなかったことに、今更ながら驚いた。
「お前の教師魂を感じて、早く現場復帰させたかったんだけどな。ま、焦っても仕方がないな」
私のことを考えてくれている伊坂の言葉に、自分の体のことはさておき、柾のことばかり考えていた自分が恥ずかしく思えた。
「教師魂」などと言ってくれている伊坂に対して申し訳ない気持ちになった。
柾への気持ちを確かめる為にも一目会っておきたかったが、このまま柾と顔を会わすことにも躊躇いが生じてくる…
会計を済ませた伊坂が「行くぞ」と言って、エレベーターの場所へと向かった。
伊坂の背中について行きながら、エレベーターを待つ伊坂の背中を見つめる。
「先生…」
「うん?どうした?」
「…やっぱり、先生一人で行って。木本くんにとって先生は伊坂先生でしょ?私は今、教師じゃないんだし。先生が信じてれば、木本くんにもちゃんと伝わると思う。伊坂先生の教師魂…」
「え~、お前今更な~」と伊坂の口から言葉が零れた途端、エレベーターが1階についた。
数名の面会に来たと思われる人達が、エレベーターに乗り込んでしまうのを見計らって、私は伊坂の背中を押した。
「先生!私、ここで待ってるから」
そう言って私はエレベーターのドアが完全に締まるまで見つめていた。
伊坂があわてふためいているのが手に取るように分かったが、伊坂に怒られるのを覚悟で、私は柾に会わない決断をした。
確かめたい…その気持ちには変わりはない。
ただ、その気持ちが「教師魂」から来るものではなかったら…そう考えると怖くなったのだ。
結婚して3ヶ月…
義母との関係が上手く行っていないことで、私は自分の光を見失っていた。
夫の貴一郎もそんな私に手を差し伸べようとはしてくれなかった。
伊坂との再会で好きだった教師という仕事に戻れるかも知れない期待が膨らんだ。
そして、柾との出会いがより、私を取り巻く変化に色をつけ、光を放ったのだ。
私は今、教師に戻ろうとしているけれど教師ではない…
だからきっと、柾への想いも自分の気持ちを曖昧にさせるのだ。
今、彼に会っても確かめることは出来ない。
ただ、怖いのは「ときめき」が「恋」に姿を変えてしまうこと…その可能性を心の中で強く感じたから、柾と会うことを私は躊躇ったのだろう。
今なら、まだ大丈夫…
ちゃんと教師としての心構えを身に付け直すことが出来る…
伊坂の背中を押した感触が残る指先を、私はギュッと握り締めた――
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