第26話 親友




私の診察が終わっても、まだ柾のリハビリは奥の部屋で続いているようだった。

伊坂は柾に声を掛けて、再び診察室に戻ってきた。





「…木本くん、大丈夫なんですか?」





さっきの深刻そうな伊坂の顔を思い出し、恐る恐る訊ねてみた。「本人は至って元気だから」

伊坂はそう言うと担当医に頭を下げ、診察室を後にした。私は伊坂に置いてきぼりを喰わないよう、慣れない松葉杖で必死に追い掛けた。





病院を出たところで私が居ないことに気付いたのか、伊坂は頭を掻きながらこちらへ戻ってくる姿が私の目に映った。近づいてくる顔が申し訳ない顔をしているのが分かった。





「もう!先生。忘れないでよ、私のこと」





冗談交じりに言った言葉に「松嶋、すまん」と伊坂は低姿勢で謝ってきた。そんな伊坂の態度に思わず私の方が恐縮してしまい、ほんの僅かだがいつもとは明らかに違う空気が漂った。その空気を咄嗟に感じ取った伊坂は、無理に笑顔を作って「帰るか~」と大袈裟に言ってみせる。

私も伊坂に合わせるように「おぉー」と拳を突き上げ苦笑した。





大野家に帰る道すがら、伊坂は黙っていた。何か考えているような顔でハンドルを握り、正面だけを見つめていた。

柾のことを考えているのだろうか…

昔から生徒思いの先生ではあったが、こんな表情をして生徒のことを考えていたのだと改めて知った。





「私も…幸せ者だったんですね」





唐突な私の言葉に、伊坂が不思議そうな顔で私を見た。信号がちょうど赤になって、伊坂はサイドブレーキを掛けると「何だ、突然」と言葉を返してきた。





「先生は生徒のことになると、本当に一生懸命だから」





私の言葉に伊坂は「まぁな」と苦笑しながら答える。「木本くんにも何かあったんでしょう?」

そう訊ねたかったが、信号が青になり聞き出すタイミングを失ってしまった。

家に辿り着くと「また、明日な!」と伊坂の声が飛んだ。





「先生、診察は来週ですよ。足が腫れてたら来てくれって…先生言われてましたよ」





「そうだったか?」





やはり、私の診察中は上の空だったかと思いながら、「そうですよ」と念を押した。何だか帰りの運転の方が心配になってしまい、私は何度も「気を付けて」の言葉を掛けた。





伊坂の車が走り去った後、家の中から義母が私の名を呼びながら、怪訝な顔で外に出てきた。





「あんまり騒がしいから…ご近所迷惑よ。家の中まで筒抜けだったわ」





そういう義母の声の方が外で響きわたっているのに、それには気付かないんだろうと諦めの溜め息を義母に気付かれないように吐きながら「すみません」とだけ答えた。

慣れない松葉杖で玄関に向かおうとすると、家の中から見慣れた顔が飛び出してきた。





「もう、藤江先生。また、茜のこと叱って…もっと、優しくしてあげて下さいよ~」





少し甘えた声を発しながら姿を現したのは、以前の学校で一緒に教鞭をとっていた梶村友加里だった。





「久し振り~!茜、足を怪我したんだって?お宅の旦那に聞いたもんだから、お見舞いに来ちゃった」





友加里は貴一郎と同級で、貴一郎が現在の学校に務め出してからの付き合いだ。

義母が華道を教えていた頃、縁あって生徒となり、この大野家にも足を運んでいたようだ。

義母とは馬が合うらしく、とても可愛がられていると結婚前に喜一郎から聞かされていた。

親友…友加里は私のことをそう思っているようだったが、私の中では貴一郎の親友であり、義母のお気に入りという認識の方が強かった――




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