第24話 ときめき
伊坂と柾の会話を聞きながら、私は昨夜の義母の不機嫌な声を思い出していた。
もの凄い剣幕で捲し立てられた柾を思うと、再び気の毒な気持ちになった。
「そうか~、松嶋って大野先生の旧姓なんだよ。つい、生徒だって思うと当時の名前しか出てこなくてさ…そりゃ、悪かったな」
「別にいいんですよ。俺もあんな時間に掛けちゃったし」
そう言って柾は私の方をチラリと見た。私は首を振りながら「気にしないで」と声を掛けた。いつもだったら、あんな時間に義母が起きていることはないのに、たまたま出掛けていたことが柾にとっては運のツキだった。
「本当にごめんなさいね。義母があんなに大騒ぎして…若い人からの電話なんて久しぶりだったから警戒したんだと思うわ」
朝の電話では義母が聞き耳を立てていた為、義母の応対については謝罪したが、理由は説明出来なかった。ましてや柾に嫁姑の仲の悪さを暴露するつもりなど毛頭ない。
私の言葉に伊坂の方が反応して苦笑して見せた。柾に至っては「そうかな」と言いいながら、義母の応対をそれ以上は批判することなく、納得しているように見えた。
話をしている間に二人の患者さんの診察が終わったようで、そろそろ柾の番が近づいていた。柾の診察に同伴するつもりの伊坂は「ちょっとすまん」と言ってトイレへと向かった。
「診察…長くなるだろうな」
伊坂の背中を見送りながら柾がポツリと呟いた。柾の声が聞き取れなかった私はもう一度、柾に聴き直してみる。柾は伊坂の背中が見えなくなるのを確認してから、後ろを振り向いた。
柾に聴き直す為、身を乗り出していた私の至近距離で、柾の顔が振り向いて止まる。
ドキン――
言葉よりも先に、私の胸が大きな音をたてた…
思わず身を縮めて何事もなかったように振る舞ったが、心臓のドキドキが聞こえてしまうのではないかと気が気じゃなかった。
そんな私の様子を気に留める風もなく、柾は私の顔を見ながら呟いた言葉をもう一度繰り返した。
「…どういうこと?」
「伊坂先生が診察室についてくると、先生にいろいろ聴いて時間が長く掛かるんですよ。足が腫れた時にはこうした方がいいとか…とにかく先生も迷惑な顔するくらい…参るんだよなぁ~」
柾は診察室でのことを想像しているのか、困ったような顔をして頭を掻いた。
柾の言っていることが目に浮かんできて、私はニッコリと微笑んだ。
「愛されてる証拠よ」
私の言葉に「え~」と嫌そうな声を出す柾だったが、心底嫌な気持ちではないことは手に取るように分かった。
…と、突然、笑っていた筈の柾が急に私の顔をまじまじと見た。
「何?」
さっきのドキドキが再び、私の胸を襲ってくる。
端正な顔立ちの柾に見つめられるとドキドキしてしまうのは、きっと私だけじゃないんだと自分に言い聞かせ、胸の高鳴りを抑える私がいる…
「大野先生、スゲーいい笑顔するのに…」
「え?」
「凄く寂しそうな顔する時…あるから。守ってやれる人、いないのかなって…もし、俺だったら…」
その時、柾の言葉を遮るように「木本柾さ~ん」と看護師の声が待合室に響いた。
その言葉に導かれるように、伊坂もトイレから出てきたところだった。
「木本!」と彼の名を呼んで、診察室の方を指さしている。
柾は言葉を続けることなく、私に頭を軽く下げるとイスから立ち上がった。
彼の言葉が私の耳に木霊している…
(もし、俺だったら…)彼の言葉はどう続いたのだろう。私は胸のドキドキとともにぼんやりと彼の言葉の続きを探していた――
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