第22話 偶然
義母に復職を許されたことに、私は安堵していた。
きっと復職してからの方が、大野家での生活は肩身の狭い思いをするのは目に見えていた。
あの義母のことだ…
家事に手を抜けば「仕事なんか辞めてしまいなさい」そう言うに決まっている。
それでも、私は復職を願った。あの頃の自分を取り戻したい気持ちと大野家から離れて、自分の居場所を探したいという本音があった。
貴一郎が出掛けた後、義母も用事があるらしく早々に家を出てしまった。
朝食の後片付けをする前に、私は伊坂に義母から復職の許しを得たことを報告した。
「藤江先生、よく許してくれたな~」
伊坂の第一声は驚きを隠せないといったものだった。大野家との長い付き合いで、義母の性格もある程度は把握しているだろう伊坂にも、こんなに早く許しを得られるとは思っていなかったようだ。
「藤江先生の気が変わらないうちに、大野校長にも話をしに行くから。藤江先生は旦那さんには強く出れない人だからな」
電話口で急に声を潜める伊坂が可笑しくて、思わず声をたてて笑った。私の笑いにつられて伊坂も豪快に笑い出した。
大野家での私の立場を理解してくれる人がいると思うだけで、私は心強かった。ましてや、それが心を開ける相手なら尚更のことだ。
「とにかく、今は足を治さなくちゃな。今日は何時頃、病院に行くつもりだ?」
「母が今、出てますから…午後からになると思います」
「じゃ、16時に家に迎えに行くから。待っててくれ」
「え?先生、迎えに来てくださらなくてもいいです。病院くらい自分で行けますから…先生、バスケの大会前で忙しいでしょ?そちらに専念してください」
伊坂の思わぬ申し出に、私はすかさず断りを入れた。怪我をした場所が学校だったからと言って、伊坂に甘えることは許されないと思ったからだった。
「気にするな!お前らしくないな~…このケガは学校で起きたんだから、学校側の責任だ。ちゃんと校長先生からも頼まれてるんだよ、学校側の誠意を見せるように。だから、松嶋は何も心配せずに治療してくれたらいい。昨日、そのことも話すつもりだったのに、そんな雰囲気じゃなかったからな…これで藤江先生も文句言えないだろうな」
そう言って「ハハハ」と乾いた笑いを残した伊坂は、授業が始まると言って早々に電話を切った。
病院に通院することも、実を言えば私の悩みの種でもあった。
通院する病院は、公共機関を乗り継いで行かなければならなかったし、今のこの状態ではタクシーでの通院はやむを得ない選択だった。大野家の財政は義母が管理している為、そのお金を捻出することも容易なことではなかった。
伊坂の話は本当に有り難いもので、私の悩みの種を一掃してくれた。気持ちが軽くなったせいか、足の痛みも心無しか半減したような気持ちになる。私は朝食の後片付けを済ませると、自分が出来る範囲の家事を時間を掛けて行い、伊坂が迎えに来てくれるのを待つことにしたのだった。
時計が16時になる前に伊坂が大野家を訪れた。義母も幼児を済ませ、義父の病院に寄ってから帰ってきたところだった。
伊坂が朝、私に説明したように義母にも通院の話をしてくれたが、義母は至極当たり前のことだと言わんばかりの態度で話を聞いていた。
「そういう保証がない学校は信用ならないから」と発した義母の言葉を、伊坂は予想していたのだろう。伊坂の言った通り、義母の口から文句は出なかった。
「お前も色々、大変だろうけど…」
車の運転をしながら呟いた伊坂の言葉に私は苦笑するしかなかった。もとは他人とはいえ、今は紛れもなく私の母親になる人だ。こういうやり取りをする相手が伊坂だったことが救いでもあった。
車は順調に流れて思っていたよりも早く病院に着くことが出来た。
病院の中に入ると待合室のイスに数人がまばらに腰掛けていた。診察券を伊坂が提出してくれている間に、空いているイスに腰掛ける。松葉杖が私の座ったイスの前の人に軽く当たってしまい、私は「すみません」とすぐにお詫びを言った。
「大丈夫です」と言って振り向いた人の顔を見て、私は「アッ」と声を上げた。
振り向いた人は今朝、心配して電話をくれた木本柾だった――
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