第21話 決断 2
私は久しぶりに声をあげて笑った。
結婚してから、こんな風に声をたてて笑うことがあっただろうか…
義父や義母の目を気にして、心から笑うことも忘れていたような気がする。
この3ヶ月、どうやったら大野家の嫁として気に入って貰えるのか…そればかりを考える毎日だった。
「貴一郎はどう思ってるの?昨日の伊坂先生の話…本当に仕事、してもいいの?」
テーブルに戻った私は、食事を終えたばかりの貴一郎に問いかけた。
貴一郎は黙ってお茶をすすりながら、私に分かるようにキッチンへと目配せをする。
「母さんに聞こえるだろ?」言葉にはしなかったが、貴一郎の目が私にそう訴えかけているのが分かった。
また、私の胸の中にモヤモヤしたものが立ち込めて来る。
そう、いつもこの繰り返しなのだ…
私が異常なくらい義母に気を遣うのは、貴一郎のこの態度がそうさせているのだと改めて気付く。
私は思わず大きな溜め息を吐いた。
「何だよ…」
私の溜め息に貴一郎は怪訝な顔を向けた。「別に」私は胸のモヤモヤをじんわりと貴一郎にぶつけるように呟いた。貴一郎は私の態度にムッとした顔で「勝手にすればいいだろ」と言い放った。
「じゃ、勝手にしていいのね」
私の強い言葉にキッチンの奥に引っ込んでいた義母が慌てた様子で出てくる。結婚して私たちが険悪なムードになったのは、実はこれが初めてのことだった。
「な~に、二人とも…朝からケンカなんて」
エプロンで手を拭きながら、義母はテーブルにつきお茶を煎れ始める。
今までは嫌味を言う義母に対しても、ましてや貴一郎にさえも口答えしたことのない私が初めて見せた態度に驚いているようだった。
「…お義母さん」
「…何?茜さん」
私はイスから立ち上がって義母を見つめた。私の深刻な顔に義母は湯呑みにお茶を煎れる手を止める…
「いったい、どうしたんだよ。茜…」
貴一郎も私の様子に不安を抱いたのか、イスから立ちがり私の肩に手を置いた。
私は逸る気持ちを抑える為、僅かな時間で呼吸を整える…
そして、義母に向かって頭を下げてこう言った。
「私に仕事をさせて下さい。貴一郎さんとの子供のこともちゃんと考えていきますから…伊坂先生のお話、受けさせて下さい」
やはり私には「目には目を」でのやり方は出来なかった。それでは堂々巡りになるのは目に見えていた。
私がこの大野家で自分の想いを貫くには、ここにいる義母や貴一郎を立ててお願いをするしかない。その願いには、この先の義母の嫌味も貴一郎のあやふやな態度もすべて受け入れていく覚悟が含まれていた。私はその覚悟を持って、義母に一縷の願いを賭けたのだった。
「…子供のこともちゃんと考えてくれるのね」
「はい」
「家事との両立は、そんなに生易しいものじゃないことも分かってるわね」
「もちろんです」
「少しでも手を抜くようなことがあったら、すぐに辞めて貰うから。茜さん、いいかしら?」
「はい!お義母さん、ありがとうございます」
義母は短い溜め息を吐くと、再び湯呑みにお茶を煎れ始めた。義母の許しを得たことで、貴一郎もホッとしたのか再びテーブルについた。
初めから快い返事が貰えるとは思っていなかったが、私の想いが少なからず義母に伝わったのだと、その時の私は思っていた。以前の私を取り戻したいと思わせてくれた柾にも、秘かに心の中で感謝していた。
「まぁ、いつまで続くのか…楽しみだわね」
お茶をすすりながら呟いた義母の言葉は、私の耳には届くことはないほどの小さなつぶやきだった――
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