第20話 決断
(あの…)
絶妙な具合で上手く言葉がハモった相手は木本柾だった。
まだ、名前を名乗られた訳ではないけれど、その一言で彼だと確信できた。
「…木本くん…でしょ?どうぞ」
沈黙は苦手な私だが、不思議と彼との沈黙は嫌な気持ちにはならなかった。しかし、このまま沈黙を続ける訳にもいかず、自ら沈黙を破ったのだった。
私に名前を呼ばれた彼は受話器の向こうで驚いたのか、戸惑っているようにも感じる。
「昨日の電話もあなただったの?」
戸惑う彼に私は更に言葉を続けた。もしかすると義母に責められたのではないかとチラッと心配が過ぎったからだった。
「はい…夜分にすみませんでした。先生の足が気になったものですから…」
意外にもきちんとした彼の応対に、昨日の義母のキツイ言い方を思い出した。彼も彼なりに言葉遣いに気を遣ったのだろうか。今度は私の方が恐縮する番となった。
「心配して掛けてきてくれたのに…昨日はごめんなさい。あなたに手当までして貰ったのに、夜遅かったとはいえ、あんな対応…気を悪くしないで貰いたいの」
私は柾に平謝りしながら義母に聞こえる声で言い放つ。こんな時に義母にやり返すのは卑怯だとも思ったが、彼の好意に対しての謝罪も必要だと思ったのだ。
私の言葉に義母は気まずくなったのか、そそくさとイスから立ち上がりキッチンの奥へと姿を消した。
きっと、受話器を置いたらそれ以上に何か言われるだろうと予測は出来たが、もうそんなことはどうでもいいと思えた。
「いいえ、あんな時間に電話した俺が悪いんです。…伊坂先生に聞けばよかったんですけど、何だか気になっちゃって」
柾の言葉に私の口元がふっと緩んだ。「何だか気になる」という彼の言葉が胸をくすぐった。
また、私の胸がドクンと音をたてる…
高校生相手に朝からときめいている自分が何だか可笑しくもあり、このときめいている気持ちがなんなのか分からない自分がいる。
ただ、私のいる場所とは違う世界に触れている今が、心地いいと言うことだけはハッキリと分かる。
「木本くん…ありがとう。ケガは大したことないから心配しないで」
「…先生、うちの学校に来るの?」
「…どうだろう…まだ、分からないけど。出来たらそうしたいって思ってるわ」
「そっか…そうなると嬉しいけど。…あ!こんな時間!朝練、間に合わねー」
柾の慌てた声に私は笑い声をあげた。「気を付けてね」そう明るく語りかけている自分が、何だか自分らしさを取り戻したような気にさせた。
受話器を置くと背後から貴一郎が私の背中に声を掛ける。
「何だか楽しそうだな…」
その言葉に私は振り向いて貴一郎を見つめた。貴一郎は私と目を合わさないように、再び食卓の方へ視線を下げた。
「そう?学校に行ってる頃は、私、こんなだったでしょ?あなたが一番、知ってるじゃない」
私は貴一郎の言葉に悪びれる素振りも見せず、そう答えた。
きっとキッチンの奥で義母も私の言葉を聞いている筈だった。
そう、以前の私は生徒とこんな風に明るく話をしていたのだ。
いつからだろう…人の目を気にして思っていることを口に出せずになったのは。
柾との電話の会話で、私は以前の私を思い出せた。
そして、その頃の私らしさを取り戻したい…そう強く思った――
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