第17話 強さ




結局、夜中の電話で義母に嫌みを言われてから、一睡も出来なかった。

義母の嫌みにも気持ちが萎えたが、眠れなくなるほどのことではなかった。

ただ、電話をしてきたのは誰なのか…それが気になって眠れなかったのだ。





朝方、うつらうつらしていた私の耳に、階下から義母の声が聴こえた。

朝食の支度の催促なのは分かっていたが、ギプスで固定された足が今になって痛み出した。

昨日の貴一郎との行為の激しさを、今更のように反省してみるが後の祭りだった。





「遅くなりまして、申し訳ありません」





必死で階段を下りて、義母の待つキッチンへと急ぐ。キッチンからはリズム良く包丁とまな板がぶつかり合う音が聞こえてきて、私の存在に義母はまだ気づいていないようだった。

私は、義母の操る包丁の音が止むのを待ってから、再び声を掛けた。





「あ~、そうだったわね~…茜さん、怪我してて役に立たないんだったわ」





私の言葉に振り返った義母の口からは、溜め息と呆れたような冷たい言葉だけが溢れてくる。私は義母に向かって頭を下げる…

我慢…我慢しなくちゃ。

頭を深々と下げながら、私は心の中で何度も呟く。呪文のように呟いていれば、そのうち気持ちが収まることを知っている。だから、暫くの間だけのことだと気持ちを割り切る。





しかし、その日はいつもとは違う私の気持ちがあった。

言葉では説明できないモヤモヤする想いが心の中にあった。

形にならない想いを口にすることは出来なくて、頭を下げることだけは止めなかった。





「…何だよ、朝から。大きな声出してさ…」





さっきまで裸でベッドに寝ていた貴一郎が、何事もなかったかのように皺一つ付いていないパジャマを着てキッチンに現れた。

テーブルに置かれた新聞を拾い上げると、大きな欠伸(あくび)をしながらイスにもたれ掛かるように座って新聞を広げる。





「あなた、知らないの?昨日の夜遅くに、茜さん宛に変な電話があったのよ。若い男から…」





義母は私の顔をチラチラ見ながら、不愉快そうな声を強調して貴一郎に捲し立てた。

義母のそんな態度に貴一郎は動揺する素振りも見せず、新聞をめくっていく。





「ちょっと、貴一郎!聞いてるの?」





「…電話くらいで目くじら立てることもないだろう。若い男って茜の昔の教え子だったかも知れないじゃないか。そんなことくらいで朝から大きな声、出さなくてもさ…」





のんびりと答える息子に拍子抜けしたのか、義母は消化不良のまま言葉を続けるのを止め、キッチンの奥へと姿を消した。

その場に突っ立ったままの私は、思い立ったように洗面所へと向かった。





「茜?」





私が動き出したことで貴一郎は「どうした?」と言わんばかりに名前を呼んだが、私は返事をする気にもなれなかった。

開いてしまったココロの穴が少しずつ大きくなっていく気がした。

ぎこちない足の運びがもどかしくて、私は歩幅を広げて廊下を歩く。





洗面所に入るとドアを急いで閉めた。

いつものこと、いつもの光景なのに…

黙ってやり過ごせば良かったことなのに、今日の私にはその場にいることが耐え難かった。

鏡の前で泣き出しそうな自分の顔をしっかりと見つめる。





「このままじゃ…イヤ。このままじゃ…」





唇を噛みしめながら私は鏡に映る自分に向かって呟いた。

強くなりたい…言葉には出来なかったが、鏡の中の私はそう言っているようだった――




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