第14話 確執 6
イスから立ち上がってキッチンへと姿を消した義母を、皆、息を呑みながら見つめる。
ガチャガチャと食器がぶつかる音が聞こえてきて、貴一郎が苦笑しながら短い溜め息を吐いた。
「機嫌が悪くなると直ぐに食器洗いが始まるんです。もう、昔からそうだったから…伊坂先生、お見苦しいところをお見せしちゃってすみません」
貴一郎の恐縮した言葉に伊坂は「いやいや」と言いながら首を振った。キッチンから聞こえてくる音がだんだん激しくなるような気がして、気が気じゃない私は思わずイスから立ち上がってキッチンへ向かおうとした。
「茜!」
貴一郎の突然の大声に私の体はビクンとなった。貴一郎の顔を見ると私がキッチンへ行こうとするのを制止するかのように首を横に振った。
「でも、お義母さんが…」
そう言った私の言葉に貴一郎は再び首を強く横に振って、テーブルに戻るよう促した。
私はキッチンにいる義母を気にしながらも、渋々テーブルのイスに腰掛けた。
キッチンからはお鍋を洗っているのか、更にガチャンガチャンと音が鳴り響いてくる。
「ほら、行かなきゃもっとお義母さんのご機嫌が…」
私は伊坂の存在に気を遣いながら、キッチンにいる義母には聞こえないくらいの声を出す。
何だか居心地の悪い空気が一気に食卓を包んで、伊坂の腰を上げさせた。
「じゃぁ…俺はそろそろ…」
「すみません。伊坂先生を引き留めておきながら…」
「いやいや…直ぐにいい返事を貰えるとは思ってなかったから。でも、貴一郎くん…松嶋の再就職のこと、君にも考えて欲しいんだ。…頼んだよ」
義母に気を遣ってか、伊坂の声はしっかりボリュームが絞られていて、キッチンにいる義母には聞こえていないようだった。
すると、貴一郎が伊坂に続いて立ち上がったかと思うと急に大きな声を出したのだった。
「伊坂先生、茜の再就職の件、前向きに検討させて頂きますから」
貴一郎の言葉にキッチンでガチャガチャとひっきりなしに鳴っていた音がピタリと止んだ。
貴一郎の声はしっかり義母の耳にも届いたようだった。
濡れた手の雫を撒き散らしながら、義母は慌てて食卓に姿を見せた。
「貴一郎!何言ってるの。茜さんはもう大野家の嫁なのよ!あなたも働いていて何の不自由もないのに、嫁を働きに出すなんて!ご近所からなんて思われるか…私の立場も考えてご覧なさい」
義母はもの凄い剣幕で貴一郎に食ってかかった。私と伊坂は息を呑んで二人のやりとりをただ見つめるしかなかった。
貴一郎は興奮する母親の肩に手を置くと、今度は優しい声で母をなだめ出した。
「母さん、疲れてるんだよ。茜との結婚で教室も閉めたり、父さんの入院でバタバタしたり…今までみたいにさ、また教室始めたらいいんじゃない?茜が仕事に行けば、気を遣わずにまたいろんな人、呼べるだろ?」
貴一郎の言葉に義母の表情が少しずつ穏やかになっていくのが分かった。
結婚して3ヶ月…
貴一郎のこんな姿を見たのは初めてだった。
いつも母親の肩ばかり持つ貴一郎に、少しずつ不満を募らせて来た私にとって、今日の貴一郎は大袈裟だが救世主に見えた。
「伊坂くん、本当にごめんなさいね。私ったら、貴一郎が言うようにちょっと疲れてたみたい…茜さんのことは悪いようにはしないから、改めて返事をさせてちょうだい」
義母の興奮は治まったようで、伊坂を玄関から送り出す頃には義母の顔に笑みすら浮かんでいた。
義母の後ろで伊坂を送り出す私は、貴一郎の手にそっと自分の手を重ねた。
驚いたような顔で貴一郎は私を見たが、私はそうしたい気持ちを抑えられずにいた――
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