第13話 確執 5
「玄関先じゃなんでしょうから伊坂くん、上がってちょうだい!」
義母の張りのある声が奥の部屋から聞こえてくる。伊坂に「藤江先生」と呼ばれたことがよほど嬉しかったのか、義母の声は上機嫌だった。
なかなか家の中に入って来ない伊坂に痺れを切らしたのか、義母が再び玄関へと現れた。
「あら、貴一郎も帰ってたの?だったら、一緒にお夕飯にしましょうよ。今日は貴一郎の好きな和食よ。お刺身も買ってきてあるの。茜さんは和食はあまり得意じゃないみたいだから」
玄関の隅で立ち止まっている私にチラリと目を遣って、満面の笑みを浮かべながら貴一郎の手を取り、家の中へと誘った。「母さん、ちょっと」と言いながら貴一郎はまんざらでもない様子で慌てて靴を脱いでいる。
義母の嫌みや夫が見せる母親への愛情も、この3ヶ月の間で少しは慣れたつもりだった。
まだ、胸がズキリと痛むのは、きっと伊坂がいるせいだろう…
他人の前で義母に嫌みを言われるのには、まだ慣れていないからだ…そう私は自分に言い聞かせる。
「伊坂先生も上がって下さい。僕が母に叱られちゃいますよ」
こんな時に明るい声ではしゃいでいる夫の姿も、私の気分を落ち込ませた。でも、伊坂の前で暗い顔をしてしまったら、伊坂に心配をかけてしまう…そう思うと、自然と笑みが零れた。
奥の部屋へと消えていく貴一郎の言葉に「あぁ」と言いながらも、伊坂が躊躇しているのが手に取るように分かった。私と目が合った伊坂は困ったような顔を見せて苦笑している。
「先生、母の顔を立ててやってください」
私は奥の部屋にいる二人には聞こえないくらいの小さな声で呟いた。私の声が耳に入って、伊坂が私の言葉をどう受け止めたのかは分からない…
「そうだな」といつもの笑みを浮かべて家の中に足を踏み入れた伊坂は、私の肩をポンポンと叩いて奥の部屋へと進んでいった。
「頑張れ」今の私には伊坂の行為がそう言っているように思えてならなかった。
夕食の間中、食卓では義母の話が中心だった。
普段、饒舌に語る場のない義母は、ここぞとばかりに校長までのし上がった義父を支えてきたことを私達に話して聞かせた。
夫も伊坂も慣れた調子で、母の話に相槌をうっている。きっと、この話は私が聞いてきた以上に二人の方が聞かされているに違い、なかった。何だか気の毒なような気持ちが過ってはみたものの、義母の話を止める術を知らない私達は、義母の気分を害さないよう首を縦に振り続けるしかなかった。
「…ところで、伊坂先生?今日は何か用事があったんですか?」
義母の話が途切れたのを見計らって、貴一郎が伊坂に今更のような質問を投げ掛けた。
貴一郎の言葉に少し戸惑いを見せていた伊坂だったが、場の雰囲気を気にしながらも私を教職へ復帰させたい胸の内をポツリポツリと話し始めた。
「…松嶋のことは昔から知っているし、以前、働いていた学校での評判も耳に入ってる。出来たらうちの学校で働いて貰えないかと思ってね。うちは公立ではないから、ある程度のことは融通が利くんじゃないかと思って、今日初めて松嶋にも声を掛けてみたんだよ」
伊坂の言葉が終わらないうちに、義母は黙ってイスから立ち上がった。義母の姿を横目で捉えながら、義母の機嫌を損ねたことをそれぞれが感じ取っているようだった――
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